5度の岩戸閉め、岩戸開き、建替え建直し、光の岸 月の光
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奈良県桜井市と三重県 

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『改訂版 ひふみ神示』
「・・・」
Welcom さくらい桜井いろいろ>「古代地名の伝承」から「桜井(さくらい)」より
● サクラヰ(桜井)は大字谷付近の旧称であった。谷は文字通り地形「クラ」を示す語である。クラという地形語は、本居宣長の『古事記伝』五之巻(略)にクラは谷の義と解している。当市内の初瀬川に沿った、アサクラ(朝倉)、クチノクラ(ロ倉)、タキノクラ(滝倉)、クラハシ(倉橋)などのクラも谷、岩を意味した。
  (略)
 大字谷の若桜神社に「桜の井」というのが残っているので、桜井は井名の義と解せられる。この井がいつ頃からあったものかはわからないが、『大和志』には「清冷甘味」と記し、いわゆる桜井伝説が残っている。北葛城郡香芝町の杵築(きつき)神社にある「杵築の井」から「狐井きつゐ」(大字)という地名が発生したように、サクラ井の地名が相当古くから同大字一帯の汎称となり、中世には庄園名として用いられた。

●  『松屋筆記』(巻九四)には『和名抄』の「桜井」の郷名について「佐倉の類必ず桜樹によるものにあらず」と書いている。地名「サクラ」をただちに桜樹に結びつけることができない。ところが、『履中紀』に、
 『三年の冬十一月の丙寅の朔辛未に、天皇、両枝船を磐余市磯池に浮べたまふ。皇妃と各分ち乗りて遊宴びたまふ。膳臣余磯(かしはでのおみあれし)、酒献る。時に桜の花、御盞に落れり、天皇、異びたまひて、則ち物部長真胆(ながまい)連を召して、詔して曰く、「是の花、非時にして来れり。其れ何処の花ならむ。汝、自ら求むべし」とのたまふ。是に、長真胆連、独花を尋ねて、掖上室山に獲て、献る。天皇、其の希有しきことを歓びて、即ち宮の名としたまふ。故、磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや)と謂す。其れ此の縁なり。是の日に、長真胆連の本姓を改めて、椎桜部造と曰ふ。又、膳臣余磯を号けて、稚桜部臣と曰ふ。』
 という宮号説話がある。稚桜宮の所在については、桜井市池之内付近とする説(『大和志』)などがあり、明らかではないが、当時すでにあった「サクラ」の地名に付会した風土記的な説話ではなかろうか。『延喜式』城上郡内に若桜神社があり、現在大字谷と大字池之内に、稚桜神社が鎮座している。ワカサクラは、ワカ(稚・若は「大」と同義に美称)サ(接頭語)クラ(地形語)である。松井・杉井・楢井・椿井というように、植物にちなむ井名が多い。桜井の地名の起こることも十分に考えられる。(略)
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桜井市の名称の由来になったといわれる「桜の井」


奈良県の「大和」を全般的に取り扱っているサイト
  大和の神社
  神奈備>大和の神々
若桜神社
(若桜神社・高屋安倍神社)
奈良県桜井市大字谷字西浦



 ☆ ☆ ☆
【神社の祭神】
伊波我加利命(いわがかりのみこと)
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  大和の神社若桜神社より
  神奈備>大和の神々若桜神社より
  玄松子>若桜神社より



稚桜神社
奈良県桜井市大字池之内字宮地


 ☆ ☆ ☆
【神社の祭神】
気息長足姫命
出雲色男命
去来穂別命

文珠 文殊
  大和の神社稚桜神社より
  神奈備>大和の神々稚桜神社より
  玄松子>稚桜神社より



安倍の文殊院
奈良県桜井市阿部山
安倍氏の氏寺
日本三文殊第一霊場
安倍清明堂がある。
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【日本の三大文珠堂】
●京都府宮津市
 天橋立の智恩寺
●奈良県桜井市の安倍文殊院
●山形高畠町の亀岡文珠堂
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【文珠菩薩についての『霊界物語』の記述〜第40巻第2篇第7章より】
 
照国別照公梅公岩彦の宣伝使と共にクルスの森に休息する折しも、前方よりイソ館に向つて進撃する鬼春別の部将片彦の一隊の来るに会ひ、潜かに木の茂みに隠れて様子を窺ひつつあつた。
  <略>
片彦、釘彦将軍は今此時と、馬を飛び下り、
岩彦の首を刎ねむとする時、何処ともなく山岳も崩るるばかりの大音響と共に数十頭の唐獅子現はれ来り、其中にて最も巨大なる獅子の背に大の男跨り、眉間より強烈なる神光を発射しながら、釘彦の一隊に向つて突込み来る、其勢に辟易し、得物を投げ棄て、或は馬を棄て、四方八方に散乱して了つた。獅子の唸り声に岩彦はハツと気が付きあたりを見れば、巨大なる獅子の背に跨り、眉間より霊光を発射する神人が側近く莞爾として控へてゐる。岩彦は体の痛みを忘れ起直り、跪いて救命の恩を謝した。よくよく見れば嵩計らむや、三五教にて名も高き英雄豪傑の時置師神であつた。岩彦は驚きと喜びの余り、
『ヤア貴神は
杢助様、如何して私の遭難が分りましたか、よくマア助けて下さいました』
 
杢助はカラカラと打笑ひ、
『イヤ岩彦、今後は決して乱暴なことは致してはなりませぬぞ。苟くも三五教の宣伝使たる身を以て暴力に訴へ敵を悩まさむとするは御神慮に反する行動である。飽迄善戦善闘し、言霊の神力を発射し、それにしても行かなければ、隙を覗つて一時退却するも、決して神慮に背くものではない。汝は之より此獅子に跨り、ライオン河を渡り、黄金姫、清照姫の遭難を救ふべし、さらば』
といふより早く杢助の姿は煙と消え、数多の獅子の影もなく、只一頭の巨大なる
唐獅子のみ両足を揃へ、行儀よく坐つてゐた。今杢助と現はれたのは、其実は五六七大神の命に依り、木花姫命が仮りに杢助の姿を現はし、岩彦の危難を救はれたのである。岩彦は之より只一人唐獅子に跨り、ライオン河を打渡り、黄金姫の危急を救ふべく、急ぎ後を追ふこととなつた。
 此時、
岩彦の姿は何時の間にやら透き通り、恰も鼈甲の如くなつてゐた。仏者の所謂文珠菩薩岩彦の宣伝使の霊である。之より岩彦は月の国を縦横無尽に獅子の助けに依りて、所々に変幻出没し、三五の神軍を、危急の場合に現はれて救ひ守ることとなつたのである。

三輪山の
大神(おおみわ)神社

大神神社摂社の
若宮神社

国魂神社

香良洲神社

伊勢神社


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