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沼島のおのころ神社
  沼島のおのころ神社の由緒書き(参考文献から)

 『日本の神話@天地創成』 (P126、伊藤 清司編 ・ 松前 健編、発行所:ぎょうせい、1983年)より

 現在は漁業と観光の島で、淡路島南淡町土生から島へ渡る船の便がある。
 この島の南に平波倍(ひらはへ)という磯があり、その付近に海中に突き出した上立神岩という高さ30bほどの柱状の奇岩がある。
 この巨岩のことを島の人たちはイザナギ・イザナミが左右から廻って結婚した「天の御柱」だと言い伝えている。しかも、この島では、島めぐりをするさい、女が多いときは右廻り、男が多いときは左廻りをする風習があるという。
 また、島の西南部の山上の林の中には、
おのころ神社という神明造の社もある。このように、沼島には、イザナギ・イザナミの国生み神話に関する伝承地が少なくなく、古くはこの島をオノコロ島に比定する説もあった。→下に紹介しています。



 『日本の神話@天地創成』 (P128、伊藤 清司編 ・ 松前 健編、発行所:ぎょうせい、1983年)より

 オノコロ島とは、本来、神話の中で語られている想像上の島であったと思われるが、『古事記』の仁徳天皇の段に、難波の崎から眺めるとオノコロ島が見えるという意味の仁徳天皇御製の歌がある。この歌が本当に仁徳天皇の歌であったかどうかはわからないが、すくなくとも、7、8世紀の頃には、オノコロ島と呼ばれる島が実際あったとしなければならない。

 したがって、その所在地をめぐっては平安時代からすでに問題になっており、沖ノ島、沼島、それに淡路島の榎列(えなみ)のオノコロ島神社などがその候補地に上げられていた。

 このうち、榎列説は、同じ榎列に鎮座する淡路二之宮の大和大国魂神社の社家が近世になってから、国生み神話に基づいて、この地に建てたものであることがはっきりしているので、この地をオノコロ島と見るのは困難であろう。

 また沼島説も、大阪湾から望見できる島ではないので、オノコロ島と比定するのも無理といわなければならない。

 そこで、今日最も有力視されているのが沖ノ島であろう。沖ノ島は和歌山県の加太港と淡路島の間によこたわる紀淡海峡内の周囲8キロほどの一小島であるが、大阪湾からも遠く望み見ることができ『古事記』の歌の条件にもかなっている。また、奇岩怪石や岩窟も多い沖ノ島は古くから修験道の聖地として知られているが、おそらく修験道の開基以前からも、この島は淡路や紀伊地方の漁民の間で一種の聖なる地として信仰されていたことも推定されよう。

 このようにみてくると、オノコロ島は沖ノ島とするのが最も古い伝承のようで、淡路島からも遥かに望むことのできるこの島が、イザナギ・イザナミによる万物の生誕の地であるように考えられていたのではないだろうか。



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