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和多都美(わたつみ)神社 平成18年8月8日に訪問。
  由緒書き(神社に掲載されているもの)

ガラスカバーされている由緒書きだった。
ガラスに後ろの背景が写っている。
中心に見えるのが私の乗用車(アルファード)。



鎮座地  対馬の下県郡豊玉町大字仁位字和宮55番地

ご祭神 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

御由緒

 当社の所在地表示は現在「下県郡(しもあがたぐん)」であるが、以前は「上県郡(かみあがたぐん)」であった。平安時代の律令細則である『延喜式』の神名帳の中に「対馬国上県郡和多都美神社(名神大)」とあるのは当社である。

 貞観元年(859年)に清和天皇から従五位上の神階を賜り、また、『三代実録』によれば、永徳元年(1381年)に、更に従一位を叙せられ、往古より島内は言うに及ばずわが国の名社大社の一つに数えられた。

 縁起を辿れば、神代の昔、海神である豊玉彦尊(とよたまひこのみこと)が当地に宮殿を造り、宮を「海宮(わたつみのみや)」と名付け、この地を「夫姫(おとひめ)」と名付けた。
 その宮殿の大きさは、高さ一町五反余り、広さ八町四方もあったという。そして神々しい神奈備(かんなび)「夫姫山(おとひめさん)」のさざ波によるこの霊地に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)のご夫婦の神を奉斎したと伝えている。

 豊玉彦尊には、一男二女の神があり、男神は穂高見(ほだかみ)尊、二女神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)という。

 ある時、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、失った釣り針を探して上国より下向し、この宮に滞在すること3年、そして豊玉姫を娶り妻とした。この海幸彦・山幸彦の伝説は当地から生れたものである。

 満潮の時は、社殿の近くまで海水が満ち、その様は龍宮をを連想させ、海神にまつわる玉の井伝説の御遺跡や満珠瀬(みつたませ)、干珠瀬(ひるたませ)、磯良恵比須(いそらえびす)の磐座など旧跡も多く、また本殿後方に二つの岩がある。これを夫婦岩と称し、この手前の檀が、豊玉姫命の墳墓(御陵)である。

 また、西手の山下に、石があり、それが豊玉彦尊の墳墓(御陵)である。

 このように当社は古い歴史と由緒を持ち、時の国主や藩主の崇敬も篤く、たびたびの奉幣や奉献それに広大な社領の寄進があった。

 現在でも対馬島民の参拝は勿論のこと全国各地からの参拝が多い。





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