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和多都美(わたつみ)神社 平成18年8月8日に訪問。
  由緒書き(参考文献から) 『全国神社名鑑』(史学センター)
  由緒書き(参考文献から) 谷川健一編(白水社) 日本の神々―神社と聖地〈1〉九州

●『延喜式』神名帳には、対馬の上県郡(かみあがたぐん)・下県郡(しもあがたぐん)合わせて29座が載っている。このうち上県郡の筆頭に「和多都美(わたつみ)神社」(名神大)とあり、別に「和多都美御子(わたつみのみこ)神社」(名神大)がある。
 また、下県郡(しもあがたぐん)にも「和多都美(わたつみ)神社」(名神大)と、別にもう一社「和多都美(わたつみ)」と称する小社があり、このように多くの和多都美神社が鎮座している国は、対馬だけである。

 現在も和多都美と称する神社が多く、したがって、これら4座の和多都美をいずれの地に比定するかについて、近世以来、数編の研究書がある。


●中世以降、社名・神名が変動し、古い所伝が不明となった神祇が多いなかで、当社は一貫して和多都美の由緒を伝えてきた明証があるからである。
 文永4年(1267年)の八幡宮文書に「上県・和多都美宮」と見え、また当社の宮司長岡家の中世文書にも、観応2年(北朝・1351年)も判物に「渡海宮司」、貞治6年(北朝・1367年)には「わたつみの宮司」、また応永4年(1397年)には「わたつみのミや志」とあり、当社の懸仏には「渡海宮・応仁3年(1469)」の銘がある。

 この伝統は近世まで続き。貞享3年(1686年)撰の『対州神社誌』にも、「仁位村・渡海宮」とあり、中世以降「渡海宮」として「わたづみ」と訓んだ経緯がわかる。


●社前の渚に聖なる霊石があり、「磯良(いそら)エベス」と呼ばれるが、これが原初の神体だったにちがいない。







 この霊石の表面には鱗状の亀裂が縦横に生じ、鰐か蛇か、あるいは亀の甲を想像させる。

 神話の豊玉媛は出産に際し、八尋の鰐(一書には蛇)になったというが、この霊石はまさに渚にあり、神話の御子神を具現したものにほかならない。

 海神宮を「いろこ(鱗)の宮」と称したゆえんも、これがシンボルかと考えられる。


●当地の俗伝に、和多都美の神は白い蛇と伝えられ、宮司の長岡家の世継ぎには背中に鱗があるという。
 また長岡家の家法として、出産に際して和多都美様に箒を上げる習俗など、豊玉姫の故事に由来する伝承とみられ、当社を海神(わたつみ)の本宗とするにふさわしい所伝といえよう。


●境外の浜辺には、御子出誕の伝説地「玉ノ井」があり、海中に満珠瀬(みつたませ)・干珠瀬(ひるたませ)がある。
 
 この入り江のたたずまいと、海宮の伝説、祭祀の古跡などからみて、この地を海神祭祀の本拠とした説が行われている。

(文献)
 川本達『海神宮考』
 田中卓『住吉大社史』
  住吉大社史〈上巻〉 (1983年)
  住吉大社史〈下巻〉 (1983年)

 永留久恵『対馬の神々』
  海神と天神―対馬の風土と神々
  海童と天童―対馬からみた日本の神々

  由緒書き(参考文献から)

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