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2.『素盞鳴と出口王仁三郎』より
(出口和明著、八幡書店)
「 神世のむかし、素盞鳴尊様と稚姫岐美命様とのあいだにエロ関係があった。大ヒルメ尊様がこれをさとられて、天津罪を犯したものとして生木を割くようにして、はるばる高麗の国へ稚姫岐美命様を追いやられた。
風の朝雨の夕、天教山を遠く離れた異郷にあって、尊恋しさに泣きあかす姫命は思いに堪えかねて、烏の羽裏に恋文を認め、この切なる思いの願わくは途中妨げられることなく尊様の御手に入れかし、と祈りをこめて烏を放った。烏の羽裏に文を書いたのは、黒に墨、誰が見てもちょっとわからぬように、と用意周到なる御考えからであった。
烏は玄海の荒波をこえ、中国の山また山をはるか下界に眺めつつ息をも休めず、飛びに飛んで伊勢の国までたどりついたのである。このとき烏はもう極度に疲れ果ててしまって、あわれ稚姫岐美命の燃ゆる恋情を永久に秘めて、その地で死んでしまったのである。
今のお烏神社のあるところがその地なのである。だからお烏神社のご神体は、この烏の羽だという説がある。
こなた、今日か、明日かと尊様の御返事を待ちわびた姫命は、伊都まで立っても烏が復命しないので、ついに意を決して自転倒島へと渡りたもうたのである。
しかしながら、どこまでもこの恋は呪われて、ちょうど高天原においての素盞鳴尊様も思いは同じ恋衣、朝鮮半島からの便りがいっこうにないので、痛く心をなやませたまい、姫命にあって積もる思いを晴らさんと、ついに自ら朝鮮半島に下られたのである。ああ、しかし尊が壇山に到着されたときは姫命の影も姿も見えなかった。行き違いになったのである。
かくて稚姫岐美命は、ついに紀州の和歌の裏で神去りましたのである。玉津島名神、これが稚姫岐美命様を御祀り申し上げたものである。 」
『三鏡』(八幡書店)pp34〜 35
『素盞鳴と出口王仁三郎』(出口和明著、八幡書店)pp85〜87
「お烏神社というのは、三重県香良洲町にある香良洲神社(祭神・稚日女命)のことですね。1912(明治45)年4月24日(旧3月8日)出口直、王仁三郎、澄、直日ら124人のいっこうは、綾部を出発して山田市に行き、25日、伊勢の内宮と外宮を参拝し、26日には香良洲神社に参拝しています。一行の目的は、筆先によると、直の身魂である香良洲神社の神霊を迎える事にあったようです。 」
『素盞鳴と出口王仁三郎』(出口和明著、八幡書店)p87
「本論考その1」で『秀真伝』によると、稚姫君命が「思ひ兼ねた」方は天智彦命だと書いた。ところが、上の引用文によると稚姫君命が「思いに耐えかね(思兼)た」方は素盞鳴尊様なのである。この点が『秀真伝』の記述と上の引用文との違いだ。
次のページでは、『秀真伝』が伝える素盞鳴尊のエロ関係について触れる。
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