文献に掲載されている由緒書き
『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き
旧記に大同2年(807年)坂上田村麿が再建したとあり、その後、建仁、天正の頃まで、領主南部氏が数度社殿を造営したと伝えられる。
寛永18年、町奉行・森山弥七郎、藩主の命を受けて再建、ついで藩の祈願所とし、社殿を藩費をもって造営した。
明治6年郷社、同年県社に昇格。明治43年青森市大火の際社殿は鳥有に帰した。同年(明治43年)本殿のみ造営、拝殿および幣殿は昭和6年に竣工した。
のち戦災で焼失、昭和30年鉄筋コンクリート造りの本殿を再建した。
寛永18年、町奉行・森山弥七郎、藩主の命を受けて再建、ついで藩の祈願所とし、社殿を藩費をもって造営した。
明治6年郷社、同年県社に昇格。明治43年青森市大火の際社殿は鳥有に帰した。同年(明治43年)本殿のみ造営、拝殿および幣殿は昭和6年に竣工した。
のち戦災で焼失、昭和30年鉄筋コンクリート造りの本殿を再建した。
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