記録に残しておきたいメモ書き
蕗根命(大己貴命)が神上がられるとき、神武天皇に叢雲剣(むらくも)を献上・・
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕では、叢雲剣(むらくも)は蕗根命(大己貴命)から神武天皇に献上されたという記述になっている点に注目。
(※)三種神宝に用いられるのは八重垣剣(やえがきのつるぎ)。
(※)三種神宝に用いられるのは八重垣剣(やえがきのつるぎ)。
下は、『Wikipedia』(ヴィキペディア)からの引用。
一般的には、スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀で、天叢雲という名前は、ヤマタノオロチの頭上に常に雲気が掛かっていたためとしている(別名;草薙剣(日本書紀)草那芸之大刀(古事記))。 剣はスサノヲ命から天照大神に奉納され、天孫降臨の際にニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡された。 ニニギ尊が所有して以降、皇居内に天照大神の神体とされる八咫鏡(やたのかがみ)とともに祀られていたが、崇神天皇の時代に皇女豊鍬入姫命により八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになり、途中で垂仁天皇の皇女倭姫命に引き継がれ、あわせて約60年をかけて現在の伊勢神宮内宮に落ち着いた(「60年」以降の部分は『倭姫命世記』に見られる記述である。詳細記事:元伊勢)。 その後、倭姫命から、東国の制圧(東征)へ向かう日本武尊に渡された。東征ののち、尾張国で結婚した宮簀媛の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、山の神によって病を得、途中で亡くなってしまった。宮簀媛は剣を祀るために熱田神宮を建てた。 |
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