生田神社【3】文献に掲載されている由緒書き|兵庫県

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神戸市中央区下山手通1丁目2-1(広域地図はこちら
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

 記載はありません。

生田神社のホームページより

 生田神社の御創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されており、「『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)」に下記のように記されています。
「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。
因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。
神功皇后が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、
「私は活田長狭国に居りたい」
と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと伝えられます。
 同じくこの時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。