文献に掲載されている由緒書き
『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き
記載ありません。
その他の文献
茨城県常陸太田市公式ホームページから引用。
東金砂山の頂上に位置する神社で、祭神は大己貴命と少彦名命。山田川の谷を挟んで西金砂神社と対をなしています。
創建は西金砂神社と同じく延暦25(806)年、平城天皇の勅願によって宝珠上人が社殿を造営し、祭壇を設けて、近江国比叡山の日吉神社の分霊を勧請・祭祀し、国家安泰,五穀豊穣の祈願所としたのが始まりとされています。
その翌年には、坂上田村麿が蝦夷征伐の際に多宝塔を建立。
中世には源頼義とその子義家が奥州征討の際に勝利を祈願したほか、祈願所と定めた佐竹氏は神領1,200石を献じ、家紋の扇を当社の紋章に使用することを認めました。
近世に入っても、徳川3代将軍家光が社領24石を寄進するなど、創建以来、手厚い保護を受けてきたことがわかります。
樹齢約500年を誇る御神木のモチノキは茨城県指定文化財。
72年ごとに行われる大祭礼や毎年2月11日(旧暦正月3日)に行われる嵐除祭、また、それらの際に奉納される田楽舞などでも知られています。
引用先:http://www.speedway.ne.jp/~i-dec/jinja/kanasaE.html
祭神「大己貴命・小彦名命・国常立命」
所在地
茨城県久慈郡水府村天下野9740
由緒沿革
平安時代の大同元年、天台沙門宝珠上人が近江の国比叡山日吉権現を勧請・開基し、国家安泰、五穀豊穣の祈願所としたものである。
翌大同2年には、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立し、嘉祥2年には慈覚大師が当山に登り、山上からの眺めが比叡山によく似ていたので、羅漢堂を建て16羅漢を安置した。
また、源頼義・義家親子は奥州征討の際、戦勝を祈願して柄太刀や太刀を奉納している。
境内の説明板には載っていないが、祭神の大己貴命と少彦名命が鮑(あわび)に乗って水木浜に現れた、となっている開基縁起により、72年に1度の祭典、5つの市町村を舞台に展開される伝統の祭り磯出大祭礼では、東染の参道鳥居をくぐって水木浜まで御出社し、各市町村において金砂田楽(西・東金砂神社田楽舞)が奏されます。
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