参拝履歴
訪問日:平成17(2005)年10月15日(土)
駒形神社(水沢の本社)トップページ
拝殿
ご祭神
天照大御神天之常立尊
国之狭槌尊
吾勝尊
置瀬尊
彦火火出見尊
本殿
奥宮・2つの里宮・本社の関係
・駒ヶ岳山頂の奥宮
・盛岡藩側の岩崎の里宮・駒形神社
・仙台藩側の金ヶ崎の里宮・駒形神社
・奥州市水沢区の本社・駒形神社
駒ヶ岳山頂の奥宮は参拝が困難であり、かつ、女人禁制であったことから、仙台藩・盛岡藩それぞれが麓に里宮を作り、駒ヶ岳山頂の奥宮から神霊を勧請して祀っていた。
仙台藩側の金ヶ崎の里宮・駒形神社は金ヶ崎町西根字雛子沢にあり、第二次大戦後は本社から分かれて独立の神社となっているが、現在も奥州市水沢区の本社・駒形神社との関係を保っている。
盛岡藩側の岩崎の里宮・駒形神社は岩手県北上市和賀町岩崎18地割(旧、和賀郡岩崎村)にあり、現存しているが奥州市水沢区の本社・駒形神社との関係は絶たれている。
元々、現在の本社の所在地には鹽竈神社があった。
鹽竈神社は、安倍貞任征伐のため源頼義・義家親子が宮城の鹽竈神社に祈願し、凱旋の後に鹽竈神社より当地に勧請して創建したものであった。
明治4年、駒形神社が国幣小社に列せられる際、奥宮・里宮とも参拝に不便であるとして、当時の水沢県の県庁に近い鹽竈神社の本殿(現在の駒形神社本殿)を仮遥拝所とした。
明治7年、社殿を改修して正式な遥拝所とした。
明治36年、奥宮の神霊を遥拝所に遷座し、元は鹽竈神社の社殿であったもの一切を駒形神社に編入した。
鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀し、春日神社の社名を鹽竈神社に改めた。
鹽竈神社
↓
駒形神社奥宮の遥拝所
↓
駒形神社奥宮を遥拝所に遷座
↓
その結果、鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀
↓
春日神社の社名を鹽竈神社に改める。
玉突きに似ている。
・盛岡藩側の岩崎の里宮・駒形神社
・仙台藩側の金ヶ崎の里宮・駒形神社
・奥州市水沢区の本社・駒形神社
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。から
元々は駒ヶ岳(→マピオン地図)の南方の大日岳山頂に奥宮があり、近世になって駒ヶ岳山頂に遷座した。駒ヶ岳は仙台藩と盛岡藩の境界であり、20年ごとに両藩が費用を出しあって社殿を改修していたという。駒ヶ岳山頂の奥宮は参拝が困難であり、かつ、女人禁制であったことから、仙台藩・盛岡藩それぞれが麓に里宮を作り、駒ヶ岳山頂の奥宮から神霊を勧請して祀っていた。
仙台藩側の金ヶ崎の里宮・駒形神社は金ヶ崎町西根字雛子沢にあり、第二次大戦後は本社から分かれて独立の神社となっているが、現在も奥州市水沢区の本社・駒形神社との関係を保っている。
盛岡藩側の岩崎の里宮・駒形神社は岩手県北上市和賀町岩崎18地割(旧、和賀郡岩崎村)にあり、現存しているが奥州市水沢区の本社・駒形神社との関係は絶たれている。
元々、現在の本社の所在地には鹽竈神社があった。
鹽竈神社は、安倍貞任征伐のため源頼義・義家親子が宮城の鹽竈神社に祈願し、凱旋の後に鹽竈神社より当地に勧請して創建したものであった。
明治4年、駒形神社が国幣小社に列せられる際、奥宮・里宮とも参拝に不便であるとして、当時の水沢県の県庁に近い鹽竈神社の本殿(現在の駒形神社本殿)を仮遥拝所とした。
明治7年、社殿を改修して正式な遥拝所とした。
明治36年、奥宮の神霊を遥拝所に遷座し、元は鹽竈神社の社殿であったもの一切を駒形神社に編入した。
鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀し、春日神社の社名を鹽竈神社に改めた。
鹽竈神社
↓
駒形神社奥宮の遥拝所
↓
駒形神社奥宮を遥拝所に遷座
↓
その結果、鹽竈神社は境内別宮であった春日神社に合祀
↓
春日神社の社名を鹽竈神社に改める。
玉突きに似ている。
Copyright (C) 2002-2013 「月の光」成田亨 All Rights Reserved.
お問合せはこちらのメールフォームからお願いします。※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。