産田神社【2】神社に掲載されている由緒書き|三重県

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三重県熊野市有馬町1814
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神社に掲載されている由緒書き

神社に掲載されている由緒書き

産田神社の由緒書き
 産田神社祭祀遺跡

 産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(いざなみ)と軻遇突智神(かぐつち)を祀っている。日本に米作りが伝えられた頃からあったと考えられており、古い土器も出土する。
 古代には神社に建物がなく、「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれる石で囲んだ祀り場(祭祀台)へしめ縄を張り神様を招いた。この神社の社の左右にある石の台がそれである。日本で2か所しか残っておらず、大変古くて珍しい。

参拝のしおりより

 天正年間に兵火に罹り、古記録焼失創立年月日等詳かならずといえども崇神天皇の御代と伝へられる。伊弉冉尊此の地にて軻遇突智神を産み給ひし故に産田と称す。(産田は産処の義なりとす)後之を標する為に社を建て伊弉冉尊軻遇突智神とを祀り伊弉諾尊は夫神なればとて後に合せ祀れるなりといふ。長承元年3月崇徳天皇根来氏を供して行幸あらせられし事あり又代々の領主亦崇敬篤く社領を寄進して祭祀を厳修せられたり。
 明治40年12月6日天照皇大神、大山祇命、木華開耶姫、神武天皇の祭神を合祀する。御祭神の御神徳について今更申すも畏く、諾、冉、二神は生成化育の神に坐すを以って当社は古来安産守護、子授の大神として地方人の崇敬篤し。