戸隠神社の奥社【3】文献に掲載されている由緒書き|長野県

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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

 当神社奥社は創建年代最も古く第8代孝元天皇5年の古記録がある。
 昔天手力男命曰く
 「吾天にありし時蹴落とせる天之岩戸今科野国(しなののくに)に留まり山と成れり。彼の山則吾霊魂の残れる地なり。彼所に生きて住まん」
 と筑前・紀伊を経て、当山に遷座された。
 第15代応神天皇7年犬養氏奉仕。
 第33代推古天皇の時、社殿造営、第41代持統天皇・第54代仁明天皇(にんみょうてんのう)・第56代清和天皇の時、勅使参向。
 嘉祥3年(850年)学問行者、役小角の跡を踏み両部修験道を開く。
 慶長17年徳川家康社領1000石寄進。
 維新の際神仏分離、
 明治23年国幣小社に列した。
 戸隠神社中社は寛治元年(1087年)創立、天暦年中阿智之祝登山、奥社本殿内に思金命・表春命二柱の神を合祀した。
 戸隠神社宝光社康平元年創立、現社地に分祀した。
 往古より三所権現として知られる。
 崇敬者は近畿以東各県に及び講組織をもって年々増加している。

九頭龍伝説・・

 「烏踊り(からすおどり)」についてから九頭龍伝承の引用です。

 平安時代以降、戸隠山は修験の霊場として全国に知られていた。この地には九頭一尾の竜神がいた、その大きさは戸隠山から新潟県妙高村関山を回り、能生町までしっぽが届いたほどであった。関山神社には胴中権現、能生の白山神社には尾先権現が祀られた。九頭龍権現は水の神様で、昔から干ばつの時は全国から雨乞いの祈願に参拝する信者が多く、九頭龍伝説は語り伝えられ、信越地方一帯の水を司る神様として、水神信仰は現在も人々の生活の中に生きている。