大物主神の神託により日本大国魂大神を祀る大和神社(おおやまと)【5】記録に残しておきたいメモ書き|奈良県

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記録に残しておきたいメモ書き

大物主神の神託によって、「大三輪神」と「大国魂神」の二重化が発生

 霊筋を間違えてはいけないところなので、何度も何度も同じように確認作業をしている。

 第10代崇神天皇の御世まで、国常立尊は神璽(かんをして)を神依代として、天照神は八咫鏡を神依代として、大国魂神は八重垣剣(叢雲剣)を神依代として宮中で祭られていた。
 崇神4(天鈴624)年10月23日の勅命によって、豊耜入姫が天照神を笠縫に祭り、渟名城入姫が大国魂神を山辺の里に祭り始めた。
 崇神5年に疫病が流行り、半数近くの人民が死に絶えた。
 崇神6年に民が離散し始めた。
 そこで、崇神6(天鈴626)年9月16日夜、大国魂神を大和神社へ遷宮され、崇神6(天鈴626)年9月17日夜、天照神を檜原神社(ひばら)へ遷宮された。

 崇神7(天鈴627)年2月3日の迹迹日百襲姫の湯立て神事によって神託があった。

 第2代大物主の奇彦命の神託によって、
 崇神7(天鈴627)年10月1日、大直根子命が大三輪神の斎主、長尾市命(ながおいち)が大国魂神の斎主に任命された。

 この第2代大物主の奇彦命の神託によって、「大三輪神」と「大国魂神」の二重化が発生した。

 紀元前143万年前に天之沼矛をもって三輪山で神上がられた第2代大物主奇彦命の讃え名が「大和大国魂神」であったにも関わらず、ここで二重化が生じているとすれば、それをどのように理解しておくべきかが最大の問題になる。

 いつもこの部分で混乱して、前に進めなかったのだ。

 国常立尊の御神剣が、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みのときの天之沼矛のような働きとして現れた場合を「大和大国魂神」と呼び、天之逆矛の働きとして現れた場合を「大物主神」と呼ぶ、と捉えることができるのかもしれない。
 天之沼矛とは、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の「国生み」という特定に時期に関わる神宝名だ。
 神が人体をもって現れた時代に、「国生み」に準じるような作用が「大和大国魂神」と認識されてきたのかもしれない。
 天之沼矛は伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みのとき、シホをコオロコオロとかきならして大地を生みあげるとき使われことから、「大和大国魂神」が立ち現れるときとは、現状をシャッフルして新しい秩序がもたらされるときになるのかもしれない。
 天之逆矛は国生みが安定化しその秩序を保つときに使われたように、「大物主神」は、「大和大国魂神」によってもたらされた状態を安定化させるときに現れる御力なのかもしれない。

 国常立尊の御神剣は、その時々によって現れ方が違うのだろう。

 八重垣剣(叢雲剣)は、八岐大蛇の尾から取り出されたところから、「天之沼矛」や「天之逆矛」とは出自が異なるが、天之沼矛が「天之逆矛」として三輪山に隠れているので、「八重垣剣(叢雲剣)」が「大和大国魂神」の神依代として用いられたようだ。

 倭姫の時代(時代を考察中)、「大和大国魂神」の神依代とされた八重垣剣(叢雲剣)が伊勢神宮へ納められた。
 倭姫の誕生を神託によって告げたのは「大和大国魂神」だった。

 また、「大和大国魂神」は、倭姫に伊勢神宮の千木や鰹木の由来も指導されている。

 こうして、大和神社には神が人体をもって現れた時代の天之沼矛の神格化である「大和大国魂神」の神名だけが留まることになったようだ。