三種神宝の分離祭祀が始まった第10代祟神天皇の御世の史跡を中心に
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三輪山登山
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大物主神の神託により日本大国魂大神を祀る大和神社(おおやまと)
大和神社(おおやまと)の本殿

ご祭神
日本大国魂大神八千戈大神
御年大神
大和神社(おおやまと)の鳥居と説明書き

大和神社(おおやまと)の拝殿の中の説明書きと拝殿横の説明書き

大物主神の神託によって、「大三輪神」と「大国魂神」の二重化が発生
霊筋を間違えてはいけないところなので、何度も何度も同じように確認作業をしている。
第10代崇神天皇の御世まで、国常立尊は神璽(かんをして)を神依代として、天照神は八咫鏡を神依代として、大国魂神は八重垣剣(叢雲剣)を神依代として宮中で祭られていた。崇神4(天鈴624)年10月23日の勅命によって、豊耜入姫が天照神を笠縫に祭り、渟名城入姫が大国魂神を山辺の里に祭り始めた。
崇神5年に疫病が流行り、半数近くの人民が死に絶えた。
崇神6年に民が離散し始めた。
そこで、崇神6(天鈴626)年9月16日夜、大国魂神を大和神社へ遷宮され、崇神6(天鈴626)年9月17日夜、天照神を檜原神社(ひばら)へ遷宮された。
崇神7(天鈴627)年2月3日の迹迹日百襲姫の湯立て神事によって神託があった。
第2代大物主の奇彦命の神託によって、崇神7(天鈴627)年10月1日、大直根子命が大三輪神の斎主、長尾市命(ながおいち)が大国魂神の斎主に任命された。
この第2代大物主の奇彦命の神託によって、「大三輪神」と「大国魂神」の二重化が発生した。
紀元前143万年前に天之沼矛をもって三輪山で神上がられた第2代大物主奇彦命の讃え名が「大和大国魂神」であったにも関わらず、ここで二重化が生じているとすれば、それをどのように理解しておくべきかが最大の問題になる。いつもこの部分で混乱して、前に進めなかったのだ。
国常立尊の御神剣が、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みのときの天之沼矛のような働きとして現れた場合を「大和大国魂神」と呼び、天之逆矛の働きとして現れた場合を「大物主神」と呼ぶ、と捉えることができるのかもしれない。天之沼矛とは、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の「国生み」という特定に時期に関わる神宝名だ。
神が人体をもって現れた時代に、「国生み」に準じるような作用が「大和大国魂神」と認識されてきたのかもしれない。
天之沼矛は伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みのとき、シホをコオロコオロとかきならして大地を生みあげるとき使われことから、「大和大国魂神」が立ち現れるときとは、現状をシャッフルして新しい秩序がもたらされるときになるのかもしれない。
天之逆矛は国生みが安定化しその秩序を保つときに使われたように、「大物主神」は、「大和大国魂神」によってもたらされた状態を安定化させるときに現れる御力なのかもしれない。
国常立尊の御神剣は、その時々によって現れ方が違うのだろう。
八重垣剣(叢雲剣)は、八岐大蛇の尾から取り出されたところから、「天之沼矛」や「天之逆矛」とは出自が異なるが、天之沼矛が「天之逆矛」として三輪山に隠れているので、「八重垣剣(叢雲剣)」が「大和大国魂神」の神依代として用いられたようだ。倭姫の時代(時代を考察中)、「大和大国魂神」の神依代とされた八重垣剣(叢雲剣)が伊勢神宮へ納められた。
倭姫の誕生を神託によって告げたのは「大和大国魂神」だった。
また、「大和大国魂神」は、倭姫に伊勢神宮の千木や鰹木の由来も指導されている。
こうして、大和神社には神が人体をもって現れた時代の天之沼矛の神格化である「大和大国魂神」の神名だけが留まることになったようだ。大和神社を入ってすぐ左にある摂社の増御子神社

大和神社の摂社・高龗神社の左にある朝日神社

『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述にみる第10代祟神天皇の事蹟
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十三〔神祟め疫病治す紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P374-393 )
三穂(みほ)九月(なづき) | 磯城(しぎ)瑞籬(みづがき)に |
崇神3年、天鈴623年9月。 「磯城」は、奈良県磯城郡。 「瑞籬」は、『大和志』によると「古蹟在三輪村東南、志紀御県神社西」と見える。 現在の奈良県桜井市金屋付近のこと。 第10代崇神天皇 磯城瑞籬宮伝承地の史貴御県坐神社がある。 実際の宮跡はこの神社の境内ではなく、境内の西側にある天理教会の建物とその北隣りの三輪小学校のあたりにあったと推定されている。 |
新都(にいみやこ) | 四穂(よほ)メ二十三日(すえみか) | 崇神4年、天鈴624年10月23日 |
勅(みことのり) | 「御祖(みをや)の授(さづ)く | |
三種(みぐさ)もの | 国常立尊(くにとこたち)は | 神璽 → 国常立尊の依代 |
神璽(かんをして) | 天照神(あまてるかみ)は | 八咫鏡 → 天照神の依代 |
八咫鏡(やたかがみ) | 大国魂神(おおくにたま)は | 八重垣剣(叢雲剣) → 大国魂神の依代 |
八重垣剣(やゑがき)と | 常に祭りて |
「八重垣剣」とは叢雲剣のことか? 『秀真伝』(御機27−27)「この叢雲剣は 生れませる 御子の祝いに ささげよ」と第5代大物主の蕗根命が第6代櫛甕玉命(鰐彦)に託す。 『秀真伝』(御機27−32)「八重垣剣は鰐彦に 授くお姫が 預かりて 別雷宮に 納め置く」 倭姫が御杖代になったとき、八咫鏡と叢雲剣(八重垣剣)を捧持され、伊勢の地にもたらされた。 |
身(み)と神(かみ)と | 際(きは)遠(とほ)からず | |
殿床(とのゆか)も | 器(うつわ)もともに | |
住(す)み来(きた)る | やや稜威(いづ)恐(おそ)れ | |
安(やす)からず | 天照神(あまてるかみ)は | |
笠縫(かさぬひ)に | 豊耜入姫(とよすき)に |
崇神4年、天鈴624年10月23日の勅命。 豊耜入姫が檜原神社(ひばら)で天照神(八咫鏡)を祀る。 その後、天照神(八咫鏡)は倭姫の手によって伊勢の地に遷された。 |
祭(まつ)らしむ | 大国魂神(おおくにたま)は | |
渟名城姫(ぬなぎひめ) | 山辺の里に |
崇神4年、天鈴624年10月23日の勅命。 渟名城姫が大和神社で大国魂神(八重垣剣)を祀る。 |
祭(まつ)らしむ | 石凝留命(いしこりどめ) | 石凝留命の孫に、鏡を造らせ複製を宮中に留める |
孫(まご)鏡 | 天目一箇神(あめひとかみ)の | 天目一箇神の孫に、剣を造らせ複製を宮中に留める。 |
孫(まご)剣 | さらに造(つく)らせ | |
天照(あまて)らす | 神(かみ)の璽(をして)と | 天照神の顕された神璽(国常立尊)は、複製が造られることなく、そのまま宮中に留め置かれた。 |
この三種(みぐさ) | 天(あま)つ日嗣(ひつき)の | 崇神4(天鈴624)年に複製された八咫鏡と八重垣剣、複製されることがなかった天照神の顕された神璽(国常立尊)が三種神宝。 |
神宝(かんたから)」 | 五年(ゐとし)疫病(ゑやみ)す |
崇神5年、天鈴625年。 疫病が流行り、半数近くの人民が死に絶えた。 |
半(なか)ば枯(か)る | 六年(むとし)民(たみ)散(ち)る |
崇神6年、天鈴626年。 民の離散。 |
勅(ことのり)に | 治(た)し難(がた)し枯(か)れ | |
つとに起(お)き | 罪(つみ)神(かみ)に請(こ)ふ | |
二宮(ふたみや)お | 新(さら)に造(つく)らせ | |
六年(むとせ)秋(あき) | 大国魂(おおくにたま)の | 崇神6(天鈴626)年秋 |
神遷(かみうつ)し | 九月(なつき)十六日夜(そむかよ) |
崇神6(天鈴626)年9月16日夜、 大国魂神の宮遷し、 → 大和神社へ |
明日(あす)の夜(よ)は | 天照神(あまてるかみ)の | |
宮遷(みやうつ)し | 豊(とよ)の明(あか)りの |
崇神6(天鈴626)年9月17日夜、天照神の宮遷し、 → 檜原神社(ひばら)へ。 |
色(いろ)もよく | いざとも神(かみ)は | |
降(くだ)ります | イロのツズ歌 |
いざ遠(とほ)しゆきのよ | ||
ろしも大夜(おほよ)すがらも |
七穂(なほ)二月(きさら) | 三日(みか)勅(みことのり) | 崇神7(天鈴627)年2月3日 |
「わが御祖神(みをや) | 開(ひら)く基(もとひ)は | |
盛(さか)んなり | わが世に当(あた)り | |
汚穢(おえ)あるは | 祭(まつ)り届(とど)かぬ | |
咎(とが)めあり | 蓋(けだ)し極(きわ)めて | |
寄(よ)るなり」と | 朝日(あさひ)の原(はら)に | 朝日原(真名井原) |
行幸(みゆき)して | 八百万神(やもよろ)招(まね)く | |
湯の花の | 百襲姫(ももそひめ)して | 「湯の花」とは湯立ての神事 |
宣(のり)ごちに | サツサツズ歌(うた) |
去る民(たみ)もツズにま | ||
つらで汚穢(おゑ)に乱(みだ)るさ |
君(きみ)問(と)ふて | 「かく教(をし)ゆるは | |
誰(た)れ神(かみ)ぞ」 | 答えて「われは | |
国(くに)つ神(かみ) | 大物主命(おおものぬし)ぞ」 |
三輪山に祭られている。 ここでいう大物主は、大物主の奇杵命・奇彦命・蕗根命・櫛甕玉命のどちらであろうか? 三輪山の祭祀の始まりが、奇彦命が三輪山で神上がったことに求められるとすれば、ここの大物主命は奇彦命であろう。 |
君(きみ)祭(まつ)る | こと兆(しるし)無(な)し | |
斎浴(ゆあ)びして | 清(すが)に祈(いの)りて | |
告(つ)げ申(もふ)す | 「われ敬(うやま)えど | |
受(う)けざるや」 | この夜(よ)の夢(ゆめ)に | |
「われはこれ | 大物主(おおものぬし)の | |
神(かみ)なるが | 君(きみ)な憂(うれ)ひぞ | |
治(た)せざるは | わが心(こころ)あり | |
わが裔(はつこ) | 大直根子(おおたたねこ)に |
大御毛主命の孫か? 大御毛主命のあとをうけ、『秀真伝(ほつまつたゑ)』29紋から40紋までを書き加えた全紋の撰者。 |
祭(まつ)らさば | 等(ひと)しく均(なれ)て | |
外国(とつくに)も | まさに服(まつら)ふ」 | |
八月(はつき)七日(なか) | 迹速命(とはや)が茅原(ちはら) | 崇神7(天鈴627)年8月7日 |
眼妙姫(めくはしめ) | 大水口命(おおみなくち)と | |
伊勢麻績命(いせをうみ) | 三人(みたり)帝(みかど)に |
三人が同じ夢を見た。 迹速命の娘・茅原眼妙姫 大水口命 伊勢国の麻績命 |
告(つ)げ申(もふ)す | 「夢(ゆめ)に神(かみ)あり | |
大直根子命(たたねこ)お | 大物主神(おおものぬし)の |
三輪山に祭られている。 ここでいう大物主は、大物主の奇杵命・奇彦命・蕗根命・櫛甕玉命のどちらであろうか? 三輪山の祭祀の始まりが、奇彦命が三輪山で神上がったことに求められるとすれば、ここの大物主命は奇彦命であろう。 |
斎主(いわいぬし) | 磯長尾市命(しながおいち)お |
市磯長尾市とは、神武東征のとき水先案内を勤め、即位後、大倭国造に任ぜられた椎根津彦(シイネツヒコ・神知津彦-カミシリツヒコ・宇豆彦-ウズヒコともいう)の子孫で、大倭直氏(大和連・大和宿禰)の祖とされる。 新撰姓氏禄には、「大和国神別(地祇) 大和宿禰 神知津彦命より出ず (神武の水先案内を務めたとの記事の後に)天皇之を嘉し、大倭国造に任ず。是大倭直の始祖也」 「摂津国神別(地祇) 大和連 神知津彦命十一世孫御物足尼之後也」 が見える。 大倭直氏は奈良時代を通じて当社の祭祀を司ったが、平安時代には衰微し、中世になると史上から消えたという。 |
大日本(おほやまと) | 国魂神(くにたまかみ)の |
大日本国魂神とは第2代大物主・奇彦命に与えられた尊称であるが、崇神天皇のとき大日本国魂神が奇彦命とは別の神格をもって現れたようだ。 天之逆矛の神格化を大日本国魂神と捉えておく。 神代の昔、奇彦命が天之逆矛をもって三輪山で神上がられたが、時を経て、天之逆矛が神格化されて現れてきたのだ。 |
斎主(いわいぬし) | なさば平(む)けべし」 | |
君(きみ)これに | 夢(ゆめ)合(あ)わせして | |
触(ふ)れ求(もと)む | 大直根子命(おおたねこ)お | |
茅渟陶村(ちぬすゑ)に | ありと告(つ)ぐれば | |
君(きみ)やぞと | 茅渟(ちぬ)に行幸(みゆき)し |
茅渟は和泉国一帯の古称。 陶村は和泉国大島郡陶器荘。 現在の大阪府堺市東南部、陶器山からその西方にかけての地。 『延喜式神名帳』に「大島郡陶荒田神社」がみえる。 |
大直根子命(おおたたねこ)に | 「誰(た)が子(こ)ぞ」と問ふ | |
答えには | 「昔(むかし)大物主(ものぬし) | 大物主の子守神のこと。 |
陶津耳命(すえすみ)が | 活玉依姫(いくたま)と生む | 活玉依姫は子守神の后 |
大物主(ものぬし)の | 大三輪神(おおみわかみ)の |
ここの大物主は子守神の子の第4代大物主の神立命のこと。 大三輪神とは、第6代大物主の櫛甕玉命のことか? |
裔(はつこ)なり」 | 君(きみ)栄(さか)えんと | |
楽(たの)しみて | 伊木色雄命(いきしこお)して | |
占(うらな)わす | これまことよし | |
よそ神(かみ)お | 問(と)えば太占(ふとまに) | |
占(うら)悪(わる)し | メ月(つき)初日(はつひ)に |
崇神7(天鈴627)年10月1日 「メ月」は、他の箇所に載るその記述と『紀』の記述を比べると10月に相当すると考えられるが、確証を欠くので、本文・口語訳ともにしばらくカタカナ名で表記する。 |
伊木色雄命(いきしこを) | 八十瓮(やそひらか)なし | |
これお以(も)て | 大直根子命(おおたたねこ)お | |
斎主(いわひぬし) | 大三輪(おおみわ)の神(かみ) | |
長尾市命(ながおいち) | 大国魂神(おおくにたま)の | |
斎主(いわひぬし) | あまねく触(ふ)れて | |
神(かみ)崇(あが)め | 神名文(かみなふみ)なす | 「神名文」とは後の神名帳の原型 |
神部(かんべ)して | 八百万神(やもよろかみ)お | |
祭(まつ)らしむ | 疫病(ゑやみ)平(む)け癒(い)え | |
ゾロ稔り | 民(たみ)豊(ゆた)かなり | 「ゾロ」稲および畑の穀物 |
奇彦命の神上がり〜『秀真伝(ほつまつたゑ)』から
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P852-856 )
時(とき)に大物主命(ものぬし) | ||
笑(ゑ)み曰(いわ)く | 「昔(むかし)大物主(ものぬし) | |
賜(たま)わりて | 深(ふか)く思(おも)えど | |
まだ解(と)けず | 今(いま)やふやくに | |
これお知(し)る | これ八重垣(やゑがき)は | |
物部(もののべ)の | 名(な)なりと己(おの)が | |
緒(を)に応(こた)ゆ | てれば皇(すへら)の | |
代々(よゝ)の垣(かき) | 己(おの)が緒(を)なり」と | |
誓(ちか)いなす | また勅(みことのり) | |
「宜(む)べなるや | 奇彦(くしひこ)汝(なんじ) | |
御孫(みまご)より | 大国主神(をこぬしかみ)の | 御孫の瓊々杵尊から大国主神という名を賜る。 |
賜(たま)う名(な)も | まだ足(た)らずわれ | |
二神の | 賜(たま)ふ逆矛(さかほこ) | 天照神が伊邪那岐尊と伊邪那美尊から賜った「逆矛」を奇彦命に授けた。 |
幸(さいわ)ひに | その杵(き)お得(ゑ)れば | |
譲(ゆづ)るなり | 生(う)まれ素直(すなお)に | |
弥真瓊路(やまとぢ)の | 教(をし)ゑに叶(かな)ふ | |
皇(すべらぎ)の | 八重垣(やえがき)の翁(をき) | |
賜(たま)ふ名(な)も | 日本大国(やまとをヽこ)の | |
御魂神(みたまかみ)」 | 時(とき)に奇彦命(くしひこ) |
奇彦命、天照神から「日本大国御魂神」という名を賜る。 大国玉神・大国霊神は、土地の神の国土経営の霊徳に対する崇称として伝えられている。 |
恐(おそ)れ伏(ふ)し | しばし答(こた)えず | |
物部(もののべ)ら | 「さ受(う)け賜(たま)え」と | |
勧(すす)むれど | また項垂(うなだ)るお | |
天児屋根命(こやね)また | 「な深(ふか)恐(おそ)れそ | |
受(う)け賜(たま)え | われ若(わか)けれど | |
子守神(こもり)とは | 世々(よよ)睦(むつ)まじく | |
君(きみ)のため | 中心(なかご)一(ひと)つに | |
忠(まめ)なさん」 | 時に奇彦命(くしひこ) | |
敬(うやま)いて | 受(う)け頂(いただ)けば | |
君(きみ)はまた | 太玉命(ふとたま)香久山命(かぐ)に | |
勅(みことのり) | 「孫(まご)照彦尊(てるひこ)の | 第一次天孫降臨を行った御孫の火之明照彦(ほのあかりてるひこ) |
翼(はね)の大臣(おみ) | 太玉(ふとたま)は世々(よよ) | |
祭(まつ)り執(と)れ | また香久山(かぐやま)は | |
大物主(ものぬし)よ | 六十(むそ)の物部(もののべ) | |
掌(つかさど)り | 民(たみ)お治(おさ)めよ」 | |
時(とき)にまた | 天児屋根命(こやね)子守神(こもり)に | |
勅(みことのり) | 「今(いま)清仁(きよひと)の | 第二次天孫降臨を行った瓊々杵尊 |
翼(はね)の臣(おみ) | 天児屋根(こやね)は世々(よよ)の | |
祭(まつ)り執(と)り | 子守神(こもり)は世々(よよ)の | |
大物主(ものぬし)ぞ | ともに守(まも)りて | |
民(たみ)お治(た)せ」 | また皇孫(すべまご)に | |
勅(みことのり) | 「汝(なんじ)ら政(まつり) | 第一次天孫降臨を行った御孫の火之明尊と第二次天孫降臨を行った瓊々杵尊に |
怠(おこた)らず | 秀真(ほづま)なるとき | |
やヽ安(やす)ぶらん」 | ||
奇彦命(くしひこ)は | 大和(やまと)山辺(やまべ)に | |
殿(との)造(つく)り | 世(よ)お考(かんが)えば | |
歳(とし)すでに | 十二万八千(そふよろやち)も |
27鈴木1枝(紀元前1,440,710)ごろから28鈴木ごろ、奇彦命奇彦命、天照神から日本大国御魂神の称号と天之逆矛を賜う。 奇彦命、12万8千歳にして、三諸山の洞に逆矛を持って隠れ神上がる。 (※)奇杵命が生まれたのは紀元前1,560,710年であり、国譲りが行われたのは奇杵命5,620歳の時の紀元前1,555,090年のことである。ということは、奇彦命が生まれたのは、この期間だということになる。 奇彦命が12万8千歳のとき神上がられたということは、紀元前1,432,710年から紀元前1,427,090年の間になるはずだ。 |
極(きわ)あれば | 後(のち)の守(まも)りは | |
豊受神(とよけ)法(のり) | 魂(たま)の緒(を)入(い)れて | |
皇(すべらぎ)の | 世々(よよ)守(まも)らんは | |
天(あめ)の道(みち) | 三諸(みもろ)の山(やま)に | |
洞(ほら)掘(ほ)りて | 天(あま)の逆矛(さかほこ) | |
提(さ)げながら | 入(い)りて鎮(しづ)まる | |
時(とき)お待つ | 直(す)ぐなる主(ぬし)お | その洞にて時を待ち、素直な心の持ち主を見分けよう。 |
見分(みわ)けんと | 直(す)ぐな印(しるし)の | |
杉(すぎ)植(う)える | 大国主(をこ)の御魂(みたま)の | 「杉」の語源が「直ぐなる木」であることが推測される。なお、大神神社の社地が古くから大小の杉に蔽われ、「三本杉」を神紋としている点は、本書の所伝の関連で注意を要する点である。 |
神はもと | 日の輪分け身 | 大和大国魂神は元来、日の輪の分身(わけみ)であり、天照神に次ぐ御神徳の神でした。 |
勅(ことのり)も | 『天(あめ)に次(つ)ぐ』とて | |
子守神(こもりかみ) | 添物部(そへもののべ)は | |
天苫見命(とまみ)なり | 事代主(ことしろぬし)は | |
積葉命(つみは)なり | 瓊々杵(にいんきね)御子(みこ)の | |
守(まも)りなりけり |
【系図】素戔嗚尊-奇杵命(大己貴命)-奇彦命(えびす顔)-子守神

紀元前80,705年に伊雑宮から宇治精奇城(伊勢神宮)へ遷座、天照神の神上がり
紀元前80,705年に伊雑宮にいて十二后が神上がられたので、内宮の瀬織津姫神と共に、宇治精奇城(伊勢神宮)に遷座。
2万年経って鈴木が自生したのをみて天照神は天意を悟った。
2万年経って鈴木が自生したのをみて天照神は天意を悟った。
天照神が神上がられる時の物語である。
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十八「君臣遺し宣の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P172-199 )時(とき)に伊雑宮(いさわ)の | ||
天(あま)つ神(かみ) | 十二(そふ)の后(きさき)も | |
神(かみ)となる | 瀬織津姫(せおりつひめ)と | |
大御神(ををんかみ) | 宮(みや)遷(うつ)さんと | |
御裳裾川(みもかわ)に | 天(あ)上(のぼ)る道(ち)得(ゑ)て | |
精奇城(さこくしろ) | 宇治(うぢ)の宮居(みやゐ)に |
伊勢神宮の創建記録。〔36-16〕参照。 紀元前80,705年 大濡煮尊の御代から2,920,000年に伊勢神宮(伊勢宇治宮)に遷座。 |
二万穂(ふよほ)経(へ)て | 時(とき)に五十鈴(ゐそすず) |
紀元前60,704年 大濡煮尊の御代から2,940,001年 |
宮(みや)に生(は)ゑ | つらつら思(おぼ)す | 鈴木(すずき)が自生する。 |
『植(う)えずして | 生(は)ゑるも天(てん)よ | |
わが命(いのち) | 天(あめ)が知(し)らす』と | |
八百神(やもかみ)お | 召(め)して『われ世(よ)お | |
辞(いな)まん』と | 猿田彦命(さるた)に穴(あな)お | |
掘(ほ)らしむる | 『真名井(まなゐ)に契(ちぎ)る |
紀元前60,704年 大濡煮尊の御代から2,940,001年 猿田彦命にお隠れの穴を掘らせた。 |
朝日宮(あさひみや) | 同(おな)じ所(ところ)』と | |
曰(のたま)えば | 諸(もろ)驚きて | |
留(とど)むれば | 『いやとよわれは | |
民(たみ)のため | 苦(にが)きお食(は)みて | ハラミ三草のこと。 |
百七十三万(もなそみよ) | 二千五百年(ふちゐもとし)お | |
永らえて | 天(あめ)の楽(たの)しみ | 天界高天原の精奇城宮で至楽の暮らしを送ること。 |
覚(おぼ)ゆれば | 世(よ)に遺(のこ)す歌(うた) | |
常(つね)に聞く | 清雄鹿(さおしか)八咫(やた) | 清雄鹿とは「トホカミヱヒタメ八神」のこと。八天神を移し作られた冠を「さおしか八咫冠」という。 |
わが冠(かんむり) | 衣臣(はとみ)裳民(もたみ)に | |
緒(を)お届け | 天地(あわ)お束(つか)ねて | |
日嗣(ひつき)なす | 裳裾(もすそ)をくめと | |
君民(きみたみ)の | 教(おし)ゑ遺(のこ)して | |
天(あ)に還(かえ)る | とてな痛(いた)めそ | |
わが御魂(みたま) | 人(ひと)は天(あ)の裳(も)の | |
上にある | われは冠(かんむり) | |
人草(ひとくさ)は | 耳(みみ)近(ちか)き緒(お)ぞ | |
胸(むね)清(きよ)く | 身は垢(あか)つけど | |
指神(さし)が見て | 天(あめ)に告(つ)ぐれば | |
清雄鹿(さおしか)の | 八(や)つの聞(き)こえに | |
現(あら)はれて | 祈(いの)れもがも』と | |
御裳裾(みもすそ)の | 民(たみ)お撫(な)でつつ | |
『清雄鹿(さをしか)の | 清(きよ)きに神(かみ)は | |
あり』と答(こた)えき | ||
返(かえ)し | 祝詞歌(のとうた) | |
人(ひと)常(つね)に | 神(かみ)に向(むか)はば | |
世(よ)の身々(みみ)の | 垢(あか)は天元(あもと)の | |
清雄鹿(さおしか)に | 清(きよ)め給(たま)ひて | |
精奇城(さこくし)の | 恩頼(ふゆ)の鏡(かがみ)に | |
入(い)ると思(おも)ゑば | ||
また猿田彦(さるた) | 『昔(むかし)授(さづ)くる | |
逆矛柱(さかほこぎ) | 美しき鈴 | 天逆矛柱のこと |
地活(わいき)き太刀(たち) | カカンノンデン |
「カカン」とは篝火(かがりび) 「ノン」とは祝詞(のりと) 「テン」とは手振り(てぶり) の訛音とする説を松本善之助氏は述べている。 〔序-註58 上巻P181〕〔14-2〕も参照。 |
時(とき)待(ま)ちて | 道(みち)顕(あら)はせよ』 | |
また后(きさき) | 『広田宮(ひろた)に行(ゆ)きて | |
和歌姫(わかひめ)と | ともにヰ心(ごころ) | |
守(まも)るべし | われは豊受神(とよけ)と | |
ヲセお守(まも)る | 伊勢(ゐせ)の道なり』 | |
また天児屋根(こやね) | 『汝(なんじ)良(よ)く知(し)る | |
竹子姫(たけこ)が子(こ) | 奇彦(くしひこ)生(う)まれ | |
直(す)ぐなれば | 授(さづ)く御矛(みほこ)に | |
鑑(かんが)みて | 三諸山(みもろ)に入りて |
竹子姫の子・奇彦は授けた逆矛を持って三諸山(三輪山)に窟に入り、時を待っている。 |
時(とき)待つも | 道(みち)衰(おとろ)はば | |
また出(い)でて | 興(おこ)さんためや | それも天の道が衰えるようなときは、また生まれ変わって道を復興させるためである。 |
汝(なんじ)また | 鏡(かがみ)の臣(とみ)は | |
軽(かろ)からず | 神(かみ)お都(みやこ)に | |
留(とど)むべし | われも守(まも)らん | |
これなり』と | 御世(みよ)の御衣箱(みはばこ) | 御在世朝政の御装束一箱 |
御璽(みをしで)と | 『汝(なんじ)春日(かすが)よ | |
遺(のこ)し物(もの) | 多賀宮(たが)に持ち行(ゆ)き | |
捧(ささげ)げよ』と | 親(みづか)らこれお | |
授(さづ)けます | 春日(かすが)は君(きみ)に | |
奉(たてまつ)る | 神の璽(をして)と | 鵜葺草葺不合尊へ奉った。 |
清雄鹿(さおしか)の | 冠(かんむり)と衣裳(はも)は | |
菊散錦(ここちり)ぞ | 行幸(みゆき)の神輿(みこし) | |
真名井(まなゐ)にて | 天照神(あまてるかみ)は |
紀元前60,674年 大濡煮尊の御代から2,940,031年 猿田彦命に穴を掘らせてから30年後に元伊勢内宮で神上がり。 |
内(うち)つ宮(みや) | 豊受(とよけ)は外宮(とみや) | |
故(かれ)春日神(かすが) | 送りてのちは | |
勤(つと)め降(お)り | 三笠社(みかさやしろ)の | |
魂(たま)返(かえ)し | 国(くに)治(をさ)まれば | |
枯(か)れも無し | 政(まつり)の紋(あや)お | |
三(み)つ染(そ)めて | 一つ持ち行(ゆ)きて | |
日読みなす | 天二枝命(ふたゑ)に授(さづ)け | |
御裳裾(みもすそ)の | 精奇城(さこくしろ)宇治(うぢ) | 精奇城宇治を改めて、天照神の「内つ宮」と称する。 |
改(あらた)めて | 天照神(あまてるかみ)の | |
内(うち)つ宮(みや) | 八百(やも)仕(つが)ふ神 | |
侍(はんべ)りて | 胙(ひもろぎ)捧(ささ)げ | |
天(あ)に応(こた)ふ | 伊勢(ゐせ)の道(みち)受(う)く | |
神臣(かんとみ)の | 仕(つか)ふ神(かみ)らが | |
侍(はべ)るゆえ | 内侍所(うちはべどころ) | |
春日神(かすが) | 太祝詞(ふとのりと)事(こと)お | 内侍所に天児屋根命が仕え、太祝詞を掌る。 |
掌(つかさど)るかな | ||
六万年 | 経(へ)て去年(こぞ)尽(つ)きる |
紀元前705年 大濡煮尊の御代から3,000,000年 鈴木の折鈴。 |
折鈴(さくすず)ぞ |
大和神社(おおやまと)周辺地図
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