日置神社 (ひおき)【3】文献に掲載されている由緒書き|滋賀県

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滋賀県高島市今津町酒波( マピオンによる広域地図
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

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滋賀県神社庁の酒波の日置神社(ひおき)からの引用

 滋賀県神社庁の酒波の日置神社(ひおき)からの引用

 元酒波岩劔大菩薩と称し徳川時代に岩劔大明神、若岩劔宮と称した。
 日置山という山号があって日置神社と定めたのである。
 日置神社は式内社で縁起には腹赤の池に大蛇あって人民を悩まし垂仁天皇の時代に素盞鳴命、稲田姫命自現あって退治し給い、其の大蛇の尾より得たる劔を投げて留まりし里に岩劔の神として崇めた。武内宿弥の霊夢により社殿を創建し正徳2年9月に社殿を再建した。
 日本書紀景行天皇39年の条に五十瓊敷皇子が茅淳○砥川上宮にて剣一千口を作りし時10箇品部を定めて皇子に賜いし時にその内に日置部があった。
 川上庄内の総社で、明治9年郷社に加列。
 境内には関白頼道塔という高さ8尺許りの五輪石塔があり、俗に宇治権現と称し毎年2月7日に祭典がある。
 観応2年若狭三方能登倉見より山手として大般若経第百巻が寄進されている。

『秀真伝』〜紀元前1,290,607年、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の足跡