2005(平成17)年2月22日 |
いつの間にか、また Yahoo!Japan でも検索できるようになっていた。ヤフー用のキーワード検索欄を設けました。
平成17年1月17日(阪神淡路大震災10周の年記念日)、地獄の最後の扉が開かれ、『ひふみ神示』いう地獄の3段目に世の中の状況が落ち込んだと感じてきます。同時に、閻魔法王庁の奥之院にあった秘密の通路も公開されたようです。秘密の通路は今まで閻魔大王が天国との連絡に使われていたものです。1月17日以降この通路はすべての人に公開されています。閻魔法王庁では、地獄界に落ち込んでいるすべての身霊がこの通路を通れるように四方八方に灯明を燈し、すべての身霊を導かんとしています。
困難な時代を乗り越えて、多くの方が閻魔法王庁奥之院にある天国への最短通路を歩まれるよう心からお祈りします。 |
2005(平成17)年4月9日 |
トップページの説明文を変更しました。その概要。
↓↓↓↓↓↓
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2005(平成17)年5月22日 |
『祝詞集』(第二版)の目次をアップ。
初版を作成してから「ここはこうすべきだったな」と思える部分が何箇所かあったのですが、なかなか踏ん切りがつきませんでした。
平成17年5月14日(土曜日)の夕方、「やる時は今だ」という素盞嗚神の声に背中を押されて第二版を作成しました。
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2005(平成17)年7月10日 |
日本の神社のページの整理が思うようにはかどらないので、忘れないようにひとまず旅行の記録を載せていくことにしました。
ありがたいことに、この世の普通の仕事が今忙しいのです。
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2005(平成17)年8月28日 |
「日本の神社」のページの整理を始められるようになりました。
まず最初は「三女神」からです。
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2005(平成17)年10月4日 |
平成17年10月2日(日曜日)。小学生の子供達の運動会を終え、ベットに休憩。子供のころよく見ていた池の鯉を釣る夢を見た。子供のころよく見ていた夢で、私は池の中の大鯉を捕まえようと何度も試みていたのだがとても捕まえきれるきれるものではなかった。しかし、今日の夢は、夢に入った瞬間に鯉は釣り針にかかっていた。私は「実加、網を持ってきてくれ」と叫ぶと、実加は昆虫を捕まえる「網」をもって来てくれた。その網を池に投げ入れると不思議にも大網に変化し、釣り針にかかった大鯉がかってに入ってしまったのだ。さらに、大鯉が入った大網は岸にかって上がってきて、自由にしてくれという風だった。
忘れないように。 |
2005(平成17)年10月9日 |
月の光>日高見の国(宮城)のページの編集中のこと。
多賀城碑(壺の碑)が「壺」と言っている「壺」、『秀真伝』が伝える「壺」に源流があるのではないか、という観点から書き進めているところ神は次のように言われる。
>>多賀城碑(壺の碑)と『秀真伝』の「壺」をそなたが関連付けて記述してはいけない。両者はまったく別物として捉えよ<<
上のように言われた記録として残すことはよさそうなので、編集途中までを下に残しておきます。
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多賀城碑(壺の碑)について
多賀城市の観光協会のホームページ>多賀城歴史探訪より
・多賀城碑(壺の碑)
・多賀城碑建立の時代
--------------- 多賀城碑(壺の碑)について
芭蕉庵ドットコム>俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡>多賀城碑(壺の碑)についてより
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2005(平成17)年10月10日 |
鯉。
ひとのみかわ(人の甕)〜忘れないように。
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2005(平成17)年10月31日 |
探訪ノート(小論)>速佐須良比売神について をアップ
要点は神素盞嗚大神が速佐須良比売神と現れ、そして『秀真伝』の神人の時代には、瀬織津姫神の妹・若姫花子として現れていた可能性があると考えたもの。
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2005(平成17)年12月18日 |
の略歴をアップ。 |