5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光>探訪ノート(小論)
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探訪ノート(小論) 目次
私の物語の始まり
1995年5月12日
千引の岩戸開き
至恩郷、その1
至恩郷、その2_鶴の物語
至恩郷、その3_吉備津
なぜ「月の光」にしたか
天智彦命の思兼神について
『秀真伝』から
素盞鳴と出口王仁三郎
素盞鳴神のエロ関係
出口王仁三郎はどう見る(別項)
論点整理
『ひふみ神示』を援用して
最後に感想
出口王仁三郎が捉える思兼神
『伊都能売神諭』から引用(その1)
『伊都能売神諭』から引用(その1)
メモ書き
水蛭子・淡島について
はじめに
友ヶ島(友が島)と沼島
沼島で水蛭子淡島が誕生
〜現宇宙の誕生〜
水蛭子淡島は精子と卵子でもある。
伊邪那岐大神と伊邪那美大神の誓い
最後に、様々な課題と感想
速佐須良比売神について
はじめに
『霊界物語』と『ひふみ神示』の速佐須良比売神
『古事記』の「伊邪那岐尊御禊」の段の記述と『霊界物語』の「言霊解」
『秀真伝』の記述から類推すると「若姫花子」が「速佐須良姫」か
 聖地である日本の神社やその由緒書き、神話や物語として伝わっている話をいろんな角度から重ね合わせて、一つの推論を得ています。ただの推論に過ぎないか、それとも真理かは時代の流れが証明してくれるはずだと考えています。
 時代が落ち着いたら検分してみたい事柄です

               
ダマシタ岩戸開き
 特にダマシタ岩戸開きの周辺に観点が注がれています。今となっては遠い神代の思い出話ですが、建替え建直し真っ最中にあってはこの影響は計り知れないものがあります。
 神代の昔、「朝だ」として鶏に一番声を出させて、岩戸の中に居られる天照大神を「ダマシ」にかかったのは、京都丹波を西に行った京都府大江町の天之岩戸神社での出来事でした。そして京都丹波という場所は、第二次世界大戦の戦前戦中を通じて、出口直・出口王仁三郎が「ダマシタ岩戸開き」を改める「岩戸開き」の「型」や建替え建直しの「型」を演じた場所です。こういう神代の因縁がある土地が人目についていくでしょう。
 また、世の中の出来事の中に、神代の昔の物語を例にとって説明できる事柄が非常に多くなっていくでしょう。これまで一部の人にしか自覚されてこなかった事柄が、天運巡って、誰の目にも簡単に自覚できてしまえる非常に過ごしやすい世がやってきたといえるのかもしれません。

            素盞鳴命の追放という岩戸閉め
 天照大神の岩戸締めと素盞鳴神を追放した岩戸閉めは密接に結びついています。ですから天照大神について触れていくことは素盞鳴神に触れていかざるを得なくなります。

            私にあっての岩戸開きの胎動
 私にあっては、平成7年から「岩戸開き」の実地が始まっていたようなのですが、当の私自身何の知識もありません。まったくもって暗中模索状態だったのです。出てくる単語の一つづつがあまりにも「現代」離れしています。急いで勉強しなおしました。神代というのは本当にあったのか、いったい神代に何が起きたのか、この世とはいったい何のためにあるのか、そういう素朴な事柄を真剣に学び返しました。
 この探訪ノートはそういう勉強の集大成です。一般的な見解でいい場合は、その通りなので、そういう通説に道を譲ります。
 しかし、真実はこうだった可能性が高いのに、少数意見になってしまっているものや私の独自の見解をここでは取り上げていきます。


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 <以下が要点>  


附.私の物語の始まり
 平成7年5月12日に私の父が他界してから、霊界からある爺さんが降りてきてくれました。「ワシは、今から90年前に、90歳で長野の名もない農夫として亡くなっている、ソナタであればワシのところを突き止めて訊ねてくることもできようが、そんなことせんでよいぞ、ワシはそなたの教育のために遣わされてきた」
 この爺さんとの話が実に楽しかった、自分の知りたいと思っている要点の全てを実にコンパクトに私にとっては衝撃的な言い方で教えてくれるのです。
 ちなみに私の最初の質問、「なぜ、1年は12ヶ月で1週間は7日なのか」返答「1年を12ヶ月にするのは神霊界の階層により、1週を7日にするのは喜びの数による」この返答を聞いたとき私はとても感動しました、私の心奥にス〜っと沁みこんでいくのです、私はこの爺さん出来ると思いました、それからというもの、いろんなことを聞きました。9年経った平成16年の今思い返しても本当に楽しかった、とても感謝しています。「ワシからソナタへの教育はもう終わりじゃ」といって私の元を離れていくときに見せてくれた最後の映像、霊人から光と闇が分離し光は光の世界に、闇は闇の世界に入っていくという映像に神界にとって霊界がどのような位置にいるかをなんとなく感じ取ることができました、そしてこれが最後の教育の教材なのだということも寂しさの中でなんとなくわかりました。「ソナタの来るのをみんな待って居るぞ、あと解らないことは、神に聞け、そなたが訊ねれば、どのような神でも答えてくれるぞ」これが平成7年5月終わりか6月初めの、この爺さんの最後の言葉でした。

 また、山形県の羽黒山・月山・湯殿山・鳥海山を見渡すことの出来る庄内の地で千引の岩戸が開けられたことを記録しています。
一.天智彦命の思兼神について
 天智彦(思兼命)は、『ひふみ神示』が「間違えてはならん事ぞ」と注意を促している那岐那美両神が「夫婦呼吸を合わせて生み給える」素盞鳴(口篇にトリ)神なのかも知れないと思えます。
二.出口王仁三郎が捉える思兼神
 『伊豆能売神諭』(八幡書店)からの引用です。
三.水蛭子・淡島について
 未完
四.速佐須良比売神について
 「速佐須良姫神」は瀬織津姫神の妹「若姫花子」だろうと推論しています。
 
  若桜神社(奈良県桜井市大字谷)が「若姫花子」を祀った神社だとすると、とりもなおさず若桜神社(奈良県桜井市大字谷)は「速佐須良姫神」を祀る主要神社になってきます。
 『霊界物語』 霊主体従 酉の巻 (第10巻 第29章「言霊解三」)では、「神素盞嗚大神」を「速佐須良姫神」という、との指摘があるので「神素盞嗚大神」の主要神社は若桜神社だということにもなってきます。
五.
六.

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