御機の二十二〔興津彦火水土の祓いの紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|秀真伝

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御機の二十二〔興津彦火水土の祓いの紋〕

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御機の二十二〔興津彦火水土の祓いの紋〕の概略

【1】新治宮遷御の祝いと天照神の祝詞、八将神・・

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十二〔興津彦火水土の祓いの紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P816-824 )
御竈(みかまど)の 神(かみ)の火水土(ひみつ)の 」は竈の火。
」は煮炊きに使う水。
」は御食を盛る陶と関係する。
三つの根(ね)は 新治宮(にはり)の宮の  
御渡座(みわたま)し 天の御孫の 瓊瓊杵尊のこと。
勅(みことのり) 守(もり)お賜(たま)わる 御竈神の守役を興津彦が天照神より授かる。
興津彦(おきつひこ) 赤白黄(かしき)の木綿(ゆふ)  「興津彦」船魂神の沖津彦とは別神。『神道大辞典』によれば、大歳神の子で、母を大知迦流美豆比売とし、名の由来を、竈が家の奥の方に在ることによるとする。
 「赤白黄の木綿」の所伝より
 「赤宮ー日ー火」、
 「白宮ー月ー水」という関係性がわかり、
 赤木綿は「火」、
 白木綿は「水」を象徴していることがわかる。
 また「黄」は土の色を表す。
 
幣(みてぐら)に 八百万神(やをよろかみ)の  
神司(かんづかさ) 天照らします  
大御神(をおんかみ) 祝(ほ)ぎ奉(たてまつ)る  
祝詞中(のとなか)に 「御竈(みかま)の祝(ほ)ぎの  
その神(かみ)は 天地(あめつち)開(ひら)け  
初(そ)むときに 国常立神(くにとこたち)の  
神孕(かんはら)み 負(お)ふ日(ひ)の御名(みな)の 日の出、日の入によって東西を定め、それにより南北および中央の名が定まった。
東西中南北(きつをさね) 五臓(ゐくら)の神(かみ)の 二十一紋に「国常立尊の 子の 年徳神(としのり)の 玉女神(たまめ) 五臓六腑(ゐくらむわた)お 生み上げる 」(21−7)とあり、五臓六腑の神を、年徳神が生んだことが記されている。
成(な)り出(い)でて 七代(ななよ)の内(うち)の  
天(あま)つ事(こと) 祭(まつ)るトホカミ  
ヱヒタメの 八元(やもと)の神(かみ)の 天神七代の天界に関する神事は、宮中のご祭神である「トホカミヱヒタメ」の八元神(やもとかみ)が守護。
守(まも)らせき 国(くに)つ祭(まつ)りは  
東西中南北(きつをさね) 室十一神(むろそひかみ)の 国の祭祀は、東西中南北および室十一神である五臓六腑の神々が守護された。
五臓六腑の神(5+6=11)。
数としては、「5+11=16」
守(まも)らせき このゆえ日々の  
御竈(みかまど)の ヱト守神(もりかみ)と 竈神は普通、興津彦と興津姫の二神とされる。
『古事記』に「諸人の以て拝く竈の神なり」とみえ、『続日本紀』に「神祇官。奏庭火御竈四時祭祀、永為常例」とみえる。
 しかし、ここの記述によると、御竈のヱト守神とは、トホカミエヒタメ八神、東西中南北の神、五臓六腑の神のこととされる。
 数によると「8+5+11=24」である。
讃(たた)えますなり」    
久方(ひさかた)の 天照神(あまてるかみ)の  
初御世(はつみよ)に 日読(ひよみ)の鶏(とり)の 二十四紋に「昔日読みの 思兼命 暦作りて ここにあり」〔24−3〕とみえる。
以下、「キツヲサネ」「アミヤシナウ」「ヱト」の組み合わせによって「キアヱ暦」を作ったことを述べている。
光(か)お告(つ)ぐる 東西(きつ)お光名音(かなね)の この部分は、秀真キアヱ暦の構造と深い関係をもつ。
すなわち、「東西をカナネの、嫁ぎして」は、東西を軸に東西中南北に嫁いでの義であるが、この東西中南北を重複させた「キキツツヲヲササネネ」がキアヱ暦の上部を成す。
さらに「編み養うて」に相当する「アミヤシナウ」が中部を成す。
さらに「ヱト守」の「ヱト」が下部を成し、これの繰り返しによって、六十進法の暦が出来ているのである。
 これは、中国の干支暦とは、本質構造を全く異にするわが国固有のものと考えられる。
嫁(とつ)ぎして 年徳神(としのりかみ)の  
生(あ)れませる その十一神(そひかみ)お  
ヱト守(もり)と 編(あ)み養(やしな)うて  
八御子(やみこ)なる 天二神(あめふたかみ)の  年徳神が生んだ五臓六腑の十一神を、「編み養う」て八御子(やみこ)としたというのは、一年400日だったものを、一年を365日になるようにした、という例え方が適切なような気がする。
 ということは、「編み養う」ている間に、天体的変動があったということにもなるはずである。
天体的変動後に、伊邪那岐尊・伊邪那美尊の神生みの段に記述に繋がっていく。
勅(みことのり) これに賜(たま)はる  
一兄(ひゑ)の名(な)は ウツロヰの神(かみ)  
次の名は 級戸辺(しなとべ)の神(かみ) 「級戸辺(しなとべ)の神」『延喜式』「大祓祝詞」に
「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く」
と見える。
三つの名は 軻遇突智(かぐつち)の神 『日本書紀』の「神代」四神出生章第三・一書に「次に火神軻遇突智を生む。時に伊邪那美尊、軻遇突智が為に、焦かれて終(かむさ)りましぬ」とみえ、『記』に「伊邪那岐命、はかせると十拳剣を抜きて、其子迦具土神の首を斬りたまひき」とみえる。
『紀』ではこののち、埴山姫、罔象女、を生んだことがみえ、本書五紋〔5−5〕にも同じような記述が見える。
四つの名は 罔象女(みづはめ)の神  
五(ゐ)つの名は 埴安(はにやす)の神  
六(む)つの名は ゾロ大歳(おおとし)の  
力(ちから)守(も)る 大歳(ををとし)神  
讃(たた)えます 七名(ななな)わ水(みな)の  
もと繁る 総山祗(すべやまつみ)の  
となる 八弟(やおと)の神わ  
火(ほ)の鎮(しづ)め 立つ波(なみ)治(おさ)む  
竜田姫(たつたひめ) 各々(おのおの)御名(みな)お 「竜田姫」今日では秋を掌る女神などと解されていて正確な神威は不明となっているが、本書では、鎮火の神および荒波を治める神として明確に記されている。
 二十四紋に瓊瓊杵尊の后の木花咲耶姫が無戸室に火をつけると、富士の峰の地に住む竜田姫神が竜となって現れ、水を吐きかけ火を消すことが描かれている。
賜(たま)はりて 暦(こよみ)お守(まも)る  
八将神(やまさかみ)なり   「八将神」とは、空神(うつろゐ)、級戸辺神(しなとべ)、軻遇突智神、罔象女神、埴安女神、大歳神、総山祗神、竜田姫神。


【2】軻遇突智土神と埴安女神が生む無数の土公(おごろ)

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十二〔興津彦火水土の祓いの紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P816-824 )
この神の 常(つね)に巡(めぐ)りて 八将神(やまさかみ)
守(まも)るゆえ 火水土(ひみつ)の業(わざ)の  
障(さわ)りなし 障(さわ)りなければ  
治(おさ)まりて 軻遇突智神(かぐつちかみ)と  
埴安女神(はにやすめ) ちなみて万(よろ)の  
土公(おごろ)生む 竜(たつ)ならざれば  
捨(す)てらるお 大国主神の 第二代大物主の奇彦命
告(つ)げにより 天の御孫の 瓊瓊杵尊
勅(みことのり) 「土公(おごろ)の神よ  
(かま) 九咫(くた)底(そこ)にあれ  
(かど) 三咫(みた)底(そこ)にあれ  
井戸 七咫(なた)底(そこ)にあれ  
一咫(ひた)底(そこ)にあれ  
新宮(にゐみや)の 敷(し)きます国(くに)お  
座摩(いかす)りて ひとふるなせよ  
住(す)み吉(よ)ろし 兄(ゑ)土公(おごろ)守(まも)らば 「兄土公」と「弟土公」がいるとされるのが注意点。
 二十一紋注22の御垣守り「生島命」と「足島命」と関連性をもって読めそうなところだが、守護する場所と働きがちがう。
十四紋に「生島命と 足島命四方の 御垣守り 座摩(いかすり)内(うち)の 鬼遣(おにやら)ひ」〔14−1〕と見える。
 長野県上田市に生島足島神社がある。祭神は生島神、足島神。
 また、生島神と足島神を祭神とするのは、神武天皇創祀と伝えられる生国魂神社(生國魂神社)(大阪市天王寺区)がある。
弟(おと)土公(おごろ) 片身(かたみ)に替(かわ)り  
ひねもすに 宮(みや)の台(うてな)の  
黒処(くろどころ) 中つ柱(はしら)の 宮の南方の中墨柱の根に住んで
根に住みて 八将(やまさ)の神と  
諸ともに 代々(よよ)の竈(かまど)お  
守(まも)らしむべし    
 誓ひには御柱建てよ」    二十一紋〔21−4〕にあるごとく土公(おごろ)は人に生まれ変わることを希望している。
 「誓ひ」とは、人と生まれ変わるために忠に神に仕えることを示し、「御柱建てよ」とは、得られた柱をよく守護せよということを意味していると思われる。
 御柱を立てるとは、操(身竿)を立てることと共通性があるようにも思える。


【3】御竈神の祭主としての興津彦命の祝詞

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十二〔興津彦火水土の祓いの紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P816-824 )
このときに 天つ勅(みこと)  
定まれば 赤白黄(かしき)の木綿(ゆふ)の  
幣(みてぐら)に 火水土(ひみつ)を結(むす)ぶ  
奥津彦命(おきつひこ) ここも高天(たかま)の  
原(はら)なれば 代々(よよ)に誓(ちか)ふる