御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|秀真伝

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御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕

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御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕の概略

【1】豊玉姫、瑞穂宮に帰還・・

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
このときに 瑞穂(みずほ)の宮は  

【2】鴨建祇命の妻

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
  七月(ふづき)弓張(ゆみはり)  

【3】彦火火出見尊の兄の鵜川宮の子と原治君の子

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
しかるのち 三種(みくさ)神宝(たから)お  

【4】飛鳥宮の崩御、原治君の子(国照)を養子に

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
  時に飛鳥(あすか)の  

【5】鵜葺草葺不合尊への三種神宝の授与と彦火火出見尊の崩御

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
都(みやこ)には 君(きみ)睦(むつ)まじく  

【6】多賀宮の改築と即位の大礼

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
勅(みことのり) 「多賀(たが)は二神(ふたかみ)  

【7】世嗣文と世嗣社

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
  四十九(よそこ)の鈴(すず)の  

【8】玉依姫と御毛入命(みけいり)、稲飯尊(いないい)、武仁尊(たけひと)

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
御乳(おち)なくて 触(ふ)れ尋(たづ)ぬれば  

【9】神立命-蕗根命、積葉八重事代主命の長子の櫛甕玉命(鰐彦命)が養子に

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
これの先 原見(はら)の天押雲命(おしくも) 原見山(富士山)の朝間宮にて勤めていた天押雲命が、近江国多賀の鵜葺草葺不合尊のもとへ召し上げられ、その代わりに、弟の若い日立命が朝間宮に仕えた。
召(め)し上(のぼ)す 弟(おとうと)日立命(ひたち)は  
若(わか)きゆえ 阿波(あわ)の事代主命(ことしろぬし) 現在の徳島県
侍(はべ)る宮(みや) はらからなれば  
西(にし)東(ひがし) 通(かよ)ひ勤(つと)めて  
要(かなめ)しむ 名も積葉八重(つみはやゑ)  
事代主命(ことしろ)が 三島(みしま)に至(いた)り  
原見(はら)に行(ゆ)き また三島より  
伊予(いよ)に行(ゆ)く ついにちなみて  
溝咋命(みぞくい)の 玉櫛姫(たまくしひめ)も 本紋に「三島(みしま)溝咋命 原見宮(はらみや)に 百枝県(ももえあがた)の 物部と 豊かに治む」(二七−二)とある。
孕(はら)むゆえ 鰐船(わに)乗(の)り阿波(あは)え  
帰る内(うち) 生む子の諱(いみな)  
鰐彦命(わにひこ)は 櫛甕玉命(くしみかたま)ぞ 鰐船で生まれたので鰐彦
次の子は 諱(いみな)中彦(なかひこ)  
櫛梨命(くしなし)ぞ 青垣殿(あおがきとの)に  
住(す)ましむる 先(さき)に筑紫(つくし)の  
神立命(かんだち)は 襲緒(そを)の船津(ふなつ)の 襲緒(そを)、鹿児島県曽於郡。船津、鹿児島県姶良郡姶良町船津。
太耳姫(ふとみみ)お 夜須に娶りて  
蕗根命(ふきね)生む のち諸(もろ)ともに 大己貴神社(おおなむち) 〔福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3〕において、蕗根命が生まれる。
子守神の長男の神立命(かんだち)は夜須の地で神上がる。
神となる 大物主(おおものぬし)は  
蕗根命(ふきね)なり 豊祇彦命(とよつみひこ)と  
治(をさ)めしむ 野業(のわざ)教えて  
民(たみ)お生(う)む    

蕗根命-櫛甕玉

  一人(ひとり)治(おさ)むる  
大己貴命(おおなむち) 自(みづか)ら褒(ほ)めて 大己貴命とは第5代大物主の蕗根命のこと。
奈良県桜井市三輪の大神神社は大物主大神を主神とし、大己貴神、少彦名神を配祀している。
「葦(あし)の根さ 元(もと)より荒(あら)び  
岩根子(いわねこ)も みな伏(ふ)しなびけ  
治(をさ)むるは 八万穂にだれか  
またあらん」 海原(うなばら)光り 「海原の光り」という場面は、日に向かうことから、日向神という名が、第5代大物主の蕗根命に与えられていたかもしれない。
 大三輪神社の摂社神坐日向社が「第6代大物主の櫛甕玉命」が住まわれた土地だとすると、住所の「奈良県櫻井市三輪字御子ノ森」の「御子」とは、日向神の「御子」という意味を持ち合わせてくるだろう。
 三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)の祭神が「日向御子神」である点から、「第6代大物主の櫛甕玉命」は、「櫻井市三輪字御子ノ森」にお住まいになられて、山頂に「日向御子神」として祭られた可能性がある。
 あくまでも『秀真伝(ほつまつたゑ)』を主流においた解釈である。
 
顕(あら)はれて 「われあればこそ  
汝(なんじ)その 大凡(おおよそ)になす  
労(いたは)りぞ」 大己貴命(おおなむち)問(と)ふ  
「汝(なんぢ)誰(た)ぞ」 「われは汝(なんぢ)の  
幸御魂(さきみたま) 奇(くし)しゐ術魂(わざたま)」  序註42および43を参照。
 内則五則(省恥悔畏悟)に対応する一霊四魂(直霊・荒魂・和魂・幸魂・奇魂)という考え方に関係しそうな術魂(わざたま)という用語が登場する。
 術魂(わざたま)とは、省みる力を象徴する直霊のことだろうか?
 この術魂(わざたま)を鰐彦の櫛甕玉命(くしみかたま)だとしている。
 三輪山に居られる幸魂が蕗根命を三輪山に呼び寄せているところをみると、蕗根命は荒魂・和魂・奇魂のいずれかの御魂を象徴する神だということになろう。
 蕗根命に先行して三輪山に居られるのは、天照神の命を受けて神上がられた奇彦(えびす神)だ。
 論理の帰結は、幸魂で「愛」を象徴するのは奇彦(えびす神)ということになるのかもしれない。
「畏れ」と「愛」は奇彦(えびす神)の代名詞なのかもしれない。
「さて知りぬ 祭る幸魂(さきたま)  
どこに住む」 「いや神(かみ)住(す)まず  
汝(なんじ)おば 青垣山(あおがきやま)に  
住(す)ませんと 宮造(みやづく)りして  
そこにあれ 子(こ)無(な)きがゆえに 第5代大物主の蕗根命(大己貴命)が三輪山の祭神になる。
第5代大物主の蕗根命は、大己貴命とも尊称されている。
奈良県桜井市三輪の大神神社は大物主大神を主神とし、大己貴神、少彦名神を配祀している。
乱(みだ)るるぞ 事代主(ことしろぬし)が  
兄弟(ゑと)の子(こ)の 櫛甕玉(くしみかたま)お  
請(こ)い受(う)けて 嗣(つぎ)となすべし」  
御教(みおし)ゑに 三諸(みもろ)のそばに  
殿(との)なして 請(こ)えば賜(たま)はる  
儲(もふ)けの子 櫛甕玉命(くしみかたま)と  奈良県桜井市三輪の大神神社は大物主大神を主神とし、大己貴神、少彦名神を配祀している。31紋に「鰐彦命(わにひこ)までが、三輪の神」〔31-16〕とあるから、櫛甕玉命(くしみかたま)が祭神に加わってよいはずだがみえない。
 第5代大物主の蕗根命が「日向神」と呼ばれた可能性があることは指摘した。
 三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)の祭神が「日向御子神」である点から、「日向御子神」とは「第6代大物主の櫛甕玉命」の可能性も排除でない。「第6代大物主の櫛甕玉命」が「櫻井市三輪字御子ノ森」にお住まいになられて、「日向御子神」として祭られた可能性がある。
 あくまでも『秀真伝(ほつまつたゑ)』を主流においた解釈である。
 大三輪神社の摂社神坐日向社が「第6代大物主の櫛甕玉命」が住まわれた土地だとすると、住所の「奈良県櫻井市三輪字御子ノ森」の「御子」とは、日向神の「御子」という意味を持ち合わせてくるだろう。
 しかし、摂社の神坐日向社が櫛御方命(くしみなかた)を祭神とする。
 櫛御方命(くしみかた)と
 櫛甕玉命(くしみかた)では一字違うだけだ。
 一番最後の「」があるか、ないかで雰囲気が違ってくる。
若妻(わかづま)の 刺国若姫(さしくにわかひめ)  
諸(もろ)ともに 住(す)ませて主は  蕗根命(大己貴命)の幸御魂が、蕗根命(大己貴命)を青垣山へ招いてくれたので、若妻の 刺国若姫(さしくにわかひめ)と養子の櫛甕玉命(くしみかたま)を奈良県桜井市三輪の大神神社に住まわせて蕗根命は筑紫の統治に努めた。
 大三輪神社の摂社の神坐日向社は、櫛御方命(くしみかた)を祭神とする。
 櫛御方命(くしみかた)と櫛甕玉命(くしみかた)では一字違うだけだ。
 一番最後の「」があるか、ないかで雰囲気が違ってくる。
筑紫(つくし)治(た)す 日(ひ)足(た)るのときは  
これお告(つ)ぐ 母子(ははこ)至(いた)れば  
遺(のこ)し言(ごと) 「この叢雲剣(むらくも)は 叢雲剣(むらくも)」は、第5代大物主の蕗根命(大己貴命と尊称)の手元に留め置かれていたようだ。
第6代大物主の櫛甕玉尊(鰐彦)に「神武天皇の誕生祝いとして奉げるように」と託した。
生(あ)れませる 御子(みこ)の祝(いわ)ひに 神武天皇の誕生に祝いの品として。
捧げよ」と いいてイモヲセ  
神(かみ)となる 夜須(やす)に納(おさ)めて  
祭るのち 筑紫(つくし)雄鹿(をしか)の  
勅(みことのり) のちに櫛梨命(くしなし)  
神となる 母に請われて  
雄鹿(をしか)棄(す)つ 故(かれ)に筑紫(つくし)の  
御幸(みゆき)請(こ)ふ    

櫛甕玉命(鰐彦)が術御魂(わざみたま)〔31-16〕

奇彦命(ゑびす顔)が、幸御魂〔27-25〕
一霊四魂のうち荒御魂と和御魂が不明になっている。
蕗根命の大己貴が「荒御魂」か「和御魂」に相当しているのであろうか?
一霊四魂という考え方を前面に押し出せば、三輪山にもう一神入らないと完結しないのではないか?
神明の五則

一霊四魂

【10】鵜葺草葺不合尊、筑紫行幸と崩御

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )
  ときに五瀬尊(いつせ)に