常宮神社(じょうぐう)【2】神社に掲載されている由緒書き|福井県

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福井県敦賀市常宮字西ノ前13-16 (広域地図はこちら
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神社に掲載されている由緒書き

神社に掲載されている由緒書き

由緒書き
常宮神社

一、 御祭神

 本殿 天八百萬比当ス・神功皇后・仲哀天皇

一、 例 祭

 総参祭 七月二十二日
      〃 十一時
        正午
 気比の神々が一年に一度海上渡御をされ(当社へお渡りになる)別名、七夕祭とも称される。

一、 由緒

 天八百萬比当スは上古より養蚕の神として霊験あらたかに此の地に鎮まり給い、今から約二千年前、仲哀天皇の即位二年春二月に天皇、皇后御同列にて百官を率いて敦賀に御幸あり笥飯の行宮を営み給うた。その後天皇は熊襲の変を聞こし召され、紀州へ御巡幸せられ陸路山陽道を御通過、山口県へ向はせ給う。皇后は二月より六月まで此の常宮にとどまり給い、六月中の卯の日に海路日本海を御渡りになり、山口県豊浦の宮にて天皇と御再会遊ばされ給うた。此の由緒を以って飛鳥時代の大宝三年(七〇三年)勅を以って神殿を修造し、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・日本武命・玉妃命・武内宿禰命を合わせまつられた。爾来、気比神宮の奥宮として一体両部上下の信仰篤く小浜藩政まで気比の宮の境外の摂社として祭祀がとり行われた。明治九年社格制度によって県社常宮神社となって気比神宮より独立いたした。

一、 御神徳

 天八百萬比当スは常宮大神ととなえまつり、養蚕の守り神として敦賀は勿論、県内南条郡、又三方郡、滋賀県北部の人たちの信仰をあつめ御神徳をたれ給うた。
 神功皇后は三韓征戦の前、この地にて御腹帯をお着け遊ばされのち福岡県宇美市にて応神天皇(八幡大神)を御安産遊ばされた故事によって、古くより安産の神として御神徳をたれ給い、広く国内よりの参拝者多し。又皇后は此の地を御船出されるにあたり、海神をまつり海上の安全を御祈願され、はるばる日本海をわたって、遠く朝鮮までも無事航海された由縁により海上の守り神として漁業者・船主・船乗の深い信仰をあつめている。