松原神社(まつばら)【2】神社に掲載されている由緒書き|福井県

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福井県敦賀市松原町130-2 (広域地図はこちら
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神社に掲載されている由緒書き

神社に掲載されている由緒書き

由緒書き

 祭神 正四位武田伊賀守以下四百十一柱

 由緒 徳川幕府の末葉、勤王の大志を抱き尊攘論を唱えて京都に趣き、素志を貫徹せんと意を決した武田伊賀守他同志達は各地に転戦しつつ元治元年11月大雪の中、新保の地にて加賀藩の軍門に降り、敦賀の鰊倉に幽閉され、慶応2年2月斬罪により松原の露と消えた。
 大政奉還後王政維新明治の聖世となり命等の勤王の大志が天日を見るに至り、慶応3年敦賀の修験行壽院が神祇伯白川家の許可を得て院内に諸士の霊を祀り、明治7年11月水戸の人・根本弥七朗が墓地付近に一小祀殿を創建して松原神社と称し、大正4年11月現在地に御造営竣功し、白砂青松浄域に御霊代を奉還、永く英霊の鎮り座すこととなった。