西金砂神社(にしかなさ)【3】文献に掲載されている由緒書き|茨城県

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茨城県常陸太田市上宮河内町1911( いつもNAVIによる広域地図
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

 記載ありません。

その他の文献

茨城県常陸太田市公式ホームページから引用。

 西金砂山の頂上にある神社で、祭神は大己貴命と国常立命と少彦名命。
 大同元(806)年に天台僧の宝珠上人が、社殿を造り祭壇を設けて、近江国比叡山の日吉神社の分霊を勧請・祭祀したのが始まりとされています。
 創建当時は、比叡山延暦寺の伽藍を模した七堂伽藍中堂を設け、千手観音を諸沢村堂平に、鐘楼と経堂を赤土村太平山に建てたほか、中染村羅漢沢に十六羅漢を祀りました。
 中世は佐竹氏の厚い崇拝を受け、近世には、徳川光圀公の宗教政策によって西金砂山から社寺や古仏像を廃し、僧侶を別の地に移すとともに、社地26石を寄せられました。
 社地は自然林に囲まれた西金砂山の一帯を占めており、御神木の老杉、大イチョウ、大サワラなど、茨城県の天然記念物にも指定されている名木の数々を見ることができます。
 72年ごとに行われる大祭礼や6年毎に行われる小祭礼、それらの際に奉納される田楽舞(ともに茨城県指定文化財)でも名を馳せています。