記録に残しておきたいメモ書き
記録に残しておきたいメモ書き・・
→「高龗神(たかおかみのかみ)とはどういう神なのか? 」
→「平泉寺白山神社に伝わる九頭龍」
→「福井県の九頭龍」
→「持子の九頭龍」
しかし、「怒りと憎しみ」の発生や「妬みや恨み」の発生の論理性をどのようにしたら転換することが出来るのかという点をつかみ切れないでいた。思い余って、平成22(2010)年12月5日(日)、私が発行しているメルマガの読者さんにSOSを発し、助言を求めた。
→「平成22年12月5日(日)大国主命(大己貴命)からの要請」
しかし、助言は全くなかった。
この結果を踏まえて、私は大国主命に謝った。
「平成9(1997)年2月3日(月)から十数年という時間を頂戴したにも関わらず、出来そうにありません」
と。
理屈はわかっている。
だからその論理性をメルマガでも公表できていた。
しかし、肝心要の
「地質学的エネルギーの部分を、どうしたら心という物質のエネルギーに転換しうるか」
が全く判らなかった。
メルマガを発行した平成22年12月5日(日)から約3ヵ月後の平成23(2011)年3月11日(金)午後14時46分、東日本大震災が発生した。
「 死者 15,867人、行方不明者 2,906人、負傷者 6,109人 」(2012年8月15日現在)
という被災状況だった。
一年後、平成24(2012)年3月11日(日)に鎮魂を兼ねて西金砂神社の参拝させていただいた。
その時、西金砂神社の境内地に「3月11日」と刻まれた碑を発見した。「3月11日」とは、西金砂神社の創建記念日だったのだ。
実に判りやすい!
大国主命からの要請に応えきれず、私の責任を放棄したがゆえに、
「人が出来ぬのであれば・・」
・・と、大地が揺れたのだと思った。
しかも、西金砂神社(にしかなさ)御鎮座1200年祭が執り行われた平成18(2006)年とは、私が『人生秘中の奥義書』を発表するに当たって非常に苦心していた時期だった。私に引き付けた流れで考えていい性質のものなら、まだ何らかの手立てが残っている。
というのも、西金砂山はまだ海に沈んでいないからだ。まだやり切れていない切り口があるとしたら、それは何だろう?
本来やるべき事柄で、まだチャレンジしていないことにはどういう事柄があるだろう?この点についてジックリ考えてみる必要を感じた。
これまでは、私は日本各地の山や川や海辺や神社で祝詞を奏上してきた。そして、神代が崩壊してしまった原因を追究してきた。
そうして、神代が崩壊した原因を論理的に説明できるようになった。
神代崩壊の論理性は、人の世から神代に移行させるための道筋になりうる。
神代が崩壊するとき、「知識」の力が破壊の力に利用されたことがあったらしい。
この度の私の課題は・・、
この「知識」の力(論理性)を利用して、人の世から神代に移行させるための道筋をつけること、・・ここにある。
私が追求してきたこの論理性を、人様の前で「声」を発して語ってみたらどうなるだろうか?まだ試みられていない事柄の一つだった。
文字に書くだけではダメだったらしい。
「書く」は、「読み」に必然的に繋がってしまう。
伊邪那美命が亡くなってしまったことを受けて、伊邪那岐命が首を斬ったと伝えられる「軻遇突智命(かくつちのみこと)」とは、原子の「核エネルギー」だけではなく、「書く」という行為も包含されているものらしい。
「書く」から「読まれ」てしまう。
「書く」から「読み国(黄泉国)」が誕生してしまう理屈だ。
声を発して「話」さないといけないものらしい。
記憶が想起されるさいに発生する質量ゼロの「音」と質量ゼロの「光」が結びついて、「心」という質量のある物質が生じる。
私がこれまで日本各地を周ったことは、日本各地の記憶庫である「水」に働きかけてきたことだった。
つまり、日本人の意識の根源に相当する記憶庫としての「水」には十分に私の声は届いている。
これが、無我夢中で17年近く日本を周ってきた大きな成果だと思う。
人の意識の記憶庫を構成する水から、個々人の記憶が想起されるさいに発生する「音」が「光」と結びついて「心」という物質が生じている。今度、意識の主体たる「心」の側に呼びかけたら、永遠の記憶を留めている「水」の記憶庫に到達し、未来の世界にたどり着けるのではないか?
人に語りかけるというこの方向性は、平成7(1995)年当時に断念した方向性だった。
平成7(1995)年当時は、私があまりにも知識不足だった点が第一の理由。第二の理由は、数十億人が生きているこの地球上で、一人一人に語りかけていては時間が足りなさすぎる。
そのため、まずは山や川や海の自然に呼びかけてきたのだった。
日本という国土の水に呼びかければ、数年のうちに地球の隅々に行き渡ることが可能だからだ。
平成7(1995)年当時に断念した方向性を、再考するときがきたのかもしれない。
人の心は、「物質力」としての強さをもっている。地球や大地の揺れを「心の輪」で緩衝し、緩やかなものにしていくこともできるはずである。
こういうことが出来れば、建物や道路網が寸断されようとも、大地が「海中に没すること」は避けられるかもしれない。
人の生き変わり死に変わりのなかで、次に生まれてきたときに、肝心の国土が海の中であった、という事態だけは避けなければならない。
国土がなければ、人々の生活がない。
セミナーで人の心に語りかける点とは・・
〔1〕光と音が結びついた「心」の属性からいって、「心」の結びつき方には「2種類」の結び方しかない。
「心」という状態になった「光」は拡散しないので、帯状になって存在する可能性がある。
現在の物理学的可能性から「この世」を象徴する光と音の結びつき方と、「あの世」を象徴する光と音の結びつき方という2つの存在がありうる。
心の持つ物理学的性質から「この世」と「あの世」の説明を試みた人は、私以外の誰もいなかったのではないか。
さらにこの論理性は「ビックバーン」発生の論理性にもなっている。
この方向に科学と宗教が協調する道があるのだろう。
〔2〕現在の「この世」の「心」のあり方の必然からいって、現在の「心」のあり方は、時空を押しつぶす方向に力が働いてしまう。
この理屈が論理的に示されれば、その危険を未然に回避しようという力が働くところに「心」の特性がある。
危険を未然に回避するためには、多くの人の力が必要ではなく、最低でも4名の方の協力があれば事足りる。
4点で空間ができることから、空間を補強するためには4名の方に、理解していただければいいことになる。
3点では面しか構成できず、空間を補強できない。
しかし、私はこういうことをやり遂げられる4名の方と出会う「運」を持っているだろうか。
人の生き変わり死に変わりのなかで、過去生の記憶を消失している今の時代において、「偶然」という微かな導きを頼りに、こういうことをやり遂げられる4名の方と出会うことが出来るだろうか?
ハッキリしていることは、
私が自分に課されている命題を果たしていないと、おそらくそういう方と出会うことは出来ない、ということだ。
〔3〕この世とは、6次元までの次元と「結び・産霊(むすび)の7次元」によって成り立っていること。1次元 ⇒ 点(線 〜 最初に水蛭子と淡島の弱点があった)
2次元 ⇒ 面3次元 ⇒ 縦・横・高さ(ニュートン)
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4次元 ⇒ 時間(アインシュタイン)
5次元 ⇒ 距離(リサ・ランドール)
6次元 ⇒ 速さ(私の仮説)
(※)小学生の時に習う【 速さ × 時間 = 距離 】が
4次元・5次元・6次元を説明する数式の入り口になっているらしい。
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7次元 ⇒ 結び・産霊(むすび)(私の仮説)
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8次元 ⇒ 煮炊きの時に発生する一つづつの水滴で説明可能(私の仮説)。
水蒸気のような水滴のなかに、一つの極大の宇宙が存在している。
8次元の領域とは、無限に存在する水滴のどの水滴のどの部分から入っていくかを選択する世界。
「思う思い方」に相応する水滴の世界に入る。
9・10次元 ⇒ 光透場(九十場・ことば)(私の仮説)
8次元の水滴の世界を浮かべている皮膜のような世界。
11次元以上 ⇒ 無数に存在する一つ一つの光透場が括られている世界。
「無」とか「無限」といわれる領域。
物理学的には余剰次元という表現で一括されている。
イメージ的には、本の1ページが「一つの光透場」を構成し、それが括られて「本」が出来る。
さらに、「本」が納まる書庫がある。
こんな風に解説できそうな世界だ。
〔4〕共時共鳴性現象とは、6次元までの世界が7次元の結び・産霊(むすび)の領域をへて、8次元の世界の入り口に来たときに起る。
これが「岩戸」(言う答え)と言われるものだ。
別の8次元の世界の内部も、1次元から7次元の構成になっており、世界の造りはさほど大きな差異がなく、「思う思い方」だけが決定的に違っている。
次の時代の未来は、もう既に、別の8次元の世界に造られていて、人類がその領域に入っていく決断をするだけになっているらしい。
〔5〕1次元を構成する点(線 )の段階で、水蛭子と淡島を生んでいるために、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みが未完成に終わっている。
パプグット教授の地殻移動説の根源的理由は、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの未完成に求められる。
伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みは正六面体の立体構成を目指したものだったが、未完成に終わってしまったため、正六面体が崩れていく現象が生じた。
正六面体が崩壊する運動を利用して、大国主命は正八面体の立体構成への国引きを行ったが、その国引きも未完成に終わっている。
今度(今の時代)は、国引き神話によって造られた大国主命の正八面体が、未完成であるがために崩壊に向かっており、その崩壊する運動を利用して、未完成に終わっている伊邪那岐命と伊邪那美命の正六面体を造り上げるという「国生み」が完結する運動に向かっている時代になっている。
パプグット教授が唱える地殻移動が起る必然性は、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みが未完成に終わっていることと、大国主命の国引き神話が未完成に終わっていることのなかに読み込むことが出来る。
〔6〕「速さ」という6次元軸があるので、「人の心」が関与することによって、地殻移動のスピード(速さ)は緩和できるかもしれない。
太陽が西から登るような「速さ」になるか、通常の「地殻変動」なみの「地殻移動」の「速さ」になるかは、「人の心」の関与度合いによって決定付けられるのだろう。
「人の心」が関与するということは、何か大それたことをやらなければならないということではないこと。
日々の「子の成長」や「家族の幸せ」を願って生活していくその行為のなかに全てが含みこまれている。
宇宙や地球のダイナミズムを感じ取り、日々感謝の生活を送っていくこと。
これに尽きる。
平成24年6月10日(日)と平成24年7月28−29日(土日)にセミナーを開催
次に、平成24年7月28-29日(土-日)に大阪研修センターでセミナーを開催した。
特に、平成24年7月28-29日(土-日)の大阪研修センターでのセミナーが特別の意味をもっていた、と思う。
第一の理由は、セミナーの開催時期にある。平成24年7月28-29日(土-日)という日程は、ちょうど第30回ロンドンオリンピックの開幕式に重なっていて、世界の注目と熱気が一点に集中しやすい日になっている点が重要だった。
第30回ロンドンオリンピックという一つの大きな取り組みを支える情熱と希望と夢を目指す努力に、私の「光と熱との関わりの世界」に入るという試みを重ね合わせることが出来る。
セミナーを開催するとしたら、この日を外してはならないという日程になっていた。
第二の理由は、セミナーの開催場所にある。
(1)鞍馬山から流れる水は、三つの流れになっている。一つは、東に流れ、安曇川(朽木川)となって琵琶湖に注ぐ。
琵琶湖の流れは、瀬田川 → 宇治川となって淀川に注ぐ。
二つは、西と南に流れ、鴨川に注ぎ桂川と合流する。
三つは、北側の流れは、綾部市と亀岡市を通り桂川となって淀川に注ぐ。
鞍馬山からの3つの流れは、淀川で合流している。
(2)奈良県宇陀市から流れる水は、宇陀川 → 木津川となって、淀川に合流していく。
奈良県宇陀市西側に流れ落ちた水は、初瀬川となり大和川に注ぎ、豊臣秀吉以前は淀川に合流していた。
奈良県宇陀市の水の流れも、2つの流れに別れ、それぞれ淀川で合流していたのだ。
(3)さらに、京都府南部は、神武天皇のころ、八咫烏の孫が統治するとき「宇陀邑」と呼び習わしたように、奈良県宇陀市の何らかの属性が遷しかえられている可能性がある。
神代の昔の急所のような記憶が、淀川のどこかのポイントに集中的に納められているのかもしれない。
地理的な場所が判らなくなっていても、淀川や淀川に準じる水系で現在生活しておられる方たちの「体に秘められている水の記憶」から、神代の記憶に入っていける可能性もある。
こういう点から、淀川流域の十三駅という場所は好都合な場所だった。
セミナーを開催したあとの状況を感じ取ってみると非常にうまくいったと思う
第一に、神代が崩壊した原因を論理的に説明すること。
神代崩壊の論理性は、人の世から神代に移行させるための道筋になりうる。
第二に、セミナーに参加された方々の「意識」や「心」という物質の物質力をお借りして、「神代の昔のメヴィウスの輪」を再び起動させること。
セミナーにおいて論理的に道筋がつけられれば、「神代の昔のメヴィウスの輪」は、必ず動くはずである。
セミナーの結果は、セミナーに参加された方の意識の力をお借りして、人の心の奥底に秘められていた「神代の昔のメヴィウスの輪」の起動スイッチの前に立つことができた、と実感できるものであった。そして、セミナーに参加された方の「心という物質の力」をお借りして、「神代の昔のメヴィウスの輪」の再起動が無事に行われたという実感をもった。
「神代の昔のメヴィウスの輪」の再起動が、人の力によって出来たというところに大きな意義がある。
大国主命に、「大国主命(大己貴命)からの要請に応えられた」と胸を張って言えるようになった。
セミナーを終えて10日ほど経った平成24(2012)年8月8日(水)に、次のような報道がなされた。「日本たばこ産業(JT)」は、平成24(2012)年8月8日(水)、「マイルドセブン(MILDSEVEN)」のブランド名称を、全世界において「メビウス(MEVIUS)」に変更すると発表した。
またこれに合わせ、デザインも世界で統一する。
「マイルドセブン(MILDSEVEN)」は、1977年に日本で発売され、その後各地域に広まったブランド。
日本たばこ産業側では今回、ブランド力の強化を図るとして、新しいブランド名称「メビウス(MEVIUS)」を用いることとなった。
「メビウス(MEVIUS)」は「メビウスの輪(こちらはMobius)」などで有名な図形の名称そのものではなく、日本たばこ産業側の造語。
説明によると、「MILDSEVEN」の「M」と「S」を受け継ぎながら、進化「Evolution」を意味する「E」と「V」を加え、さらにブランドの「I」とお客様の「U(YOU)」とのつながりを表現。
「MILDSEVEN」のブランド価値を引き継ぎながら、世界のお客様とともに終わりなき進化をしていくグローバルプレミアムブランドでありつづけたいという意思を込めた、という。
つづりは異なるが、図形の「メビウス」の意味も多少は含めているように見える。
また同時にデザインも変更。
現在のマイルドセブンの「青の色調とシンボルマーク」を引き継ぎつつ、流れるように広がる曲線を採用。
「お客様とともに終わりなき進化を続けていくブランドの姿勢」を視覚的に表現したものになるとのこと。
新デザインとブランド名の変更だが、
日本では平成24(2012)年11月から新デザインに変更(この時点ではブランド名はマイルドセブンのまま)、
2013年2月上旬から「メビウス」に名称も変更する。
海外では先行する形で2012年4月以降、新デザインへの切り替えを開始しており、今後1年をめどに新ブランド名への切り替えを予定している。今回の報道を目にして、「神代の昔のメヴィウスの輪」の再起動は既に予定に入っており、私がやらなければ、誰かがやった事柄であったと知ることができた。
「神代の昔のメヴィウスの輪」の再起動に神々が直接関与するような事態になれば、人に足場を組めなかったことの裏返しなので、山が大地が震えるだろう。
「神代の昔のメヴィウスの輪」の再起動に神々が直接関わることなく、人によって成し遂げられたということは、人の世から神の世への移行に、「人も関われる」ということなので、「人が活躍する場面」も想定できるようになったということでもある。
日本たばこ産業(JT)の平成24(2012)年8月8日(水)の発表の要点は次の2点。
第一点。日本では平成24(2012)年11月から新デザインに変更(この時点ではブランド名はマイルドセブンのまま)。
第二点。
平成25(2013)2月上旬から「メビウス」と名称が変更する。「マイルドセブン(MILDSEVEN)」は、「セブンスター(7つ星〜昴星・プレアデス)」に次ぐ銘柄として登場したものだった。
今回のセミナーでは、「セブンスター(7つ星〜スバル・プレアデス)」の周囲に、「メヴィウスの輪のようなベルト」(フォトンベルト)がある可能性を指摘している。
つまり、平成25(2013)2月上旬に、「セブンスター(7つ星〜昴星・プレアデス)」の周囲の「メビウス」(フォトンベルト)が稼動することによって、2013年3月から第62回式年遷宮が動くことになる、ということである。
(※)第62回式年遷宮の行事は2013年3月から。
〔1〕立柱祭の執行。皇大神宮(内宮)で平成25(2013)年3月4日(月)午前10時から、
豊受大神宮(外宮)で平成25(2013)年3月6日(水)午前10時から。
〔2〕御形祭(ごぎょうさい)。
皇大神宮で平成25(2013)年3月4日(月)午後2時から、
豊受大神宮で平成25(2013)年3月6日(水)午後2時から。
〔3〕上棟祭の執行。
皇大神宮で平成25(2013)年3月26日(火)午前10時から、
豊受大神宮で平成25(2013)年3月28日(木)午前10時から。
「日本たばこ産業(JT)」が平成24(2012)年8月8日(水)に発表する前に、私が平成24(2012)年7月28-29日(土-日)の大阪セミナーで、「セブンスター(7つ星〜昴星・プレアデス)」の周りに「メビウス」(フォトンベルト)が存在する可能性について文献的に触れている。「日本たばこ産業(JT)」の平成24(2012)年8月8日(水)の発表は、大阪セミナーに対する追承になっていると思えた。
セミナーを開催せずに、「日本たばこ産業(JT)」の平成24(2012)年8月8日(水)の発表を聞く場合と、セミナーを開催した後に、「日本たばこ産業(JT)」の発表を聞く場合とでは、非常に大きな隔たりがある。
セミナーを開催した後に「日本たばこ産業(JT)」の発表を聞く場合の方が、遥かに深く人類史に関わっているという実感が持てるだろう。
平成24(2012)年8月17日(金)、西金砂神社に報告を兼ねて参拝にうかがった。
大国主命に「とうとうやり遂げることが出来たと思います」
と報告させていただいた。
「平成24(2012)年6月10日(日)の東京の新宿でセミナーと、平成24(2012)年7月28-29日(土-日)の大阪セミナーの開催が大きかったと思います。」
返答は、
「そなたたちに頼まなければならない事柄はなくなった」
「そなたたちが人としての勤めを果たした後、またお会いしよう」
という回答だった。
とうとう「大国主命(大己貴命)からの要請」から解放されたものらしい。
これでようやく肩の荷を降ろすことができる。
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