「座敷わらし」の緑風荘【3】文献に掲載されている由緒書き|岩手県

マピオン地図
岩手県二戸市金田一長川41( マピオンによる広域地図
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

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緑風荘の歴史

 緑風荘の歴史は遠く650年前までさかのぼる。
 五日市家の先祖は万里小路(までのこうじ)藤原藤房といい後醍醐天皇に仕えた公家だった。
 南北朝の乱で足利尊氏に敗れたために、この地まで落のびてきた。
 藤房には幼い息子が2人いた。
 長男の亀麿はここ金田一で病を得て、わずか6歳で世を去る。
 以来、亀麿はこの家の守り神となり、座敷わらしとなって姿を現すようになったと伝わっている。
 伝説では、座敷わらしは幼くして亡くなった子どもの霊とされている。

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 緑風荘の旅館の開業は1955年。
 作家の三浦哲郎が緑風荘の座敷わらしをテーマにした。
 児童小説「ユタと不思議な仲間たち」を1970年代半ばに発表。
 のちに全国に一躍その名を知られるようになった。
 それ以前にも多くの著名人が宿泊。
 大正時代の宰相・原敬が宿泊し、
 国語学者の金田一京助も、しばしば立ち寄った。
「柔道の神様」とうたわれた三船久蔵十段は座敷わらしと取っ組み合い軽くいなされたという話が残っている。