思い出の写真集(旅行の記録)
緑風荘の表玄関で
5人も6人も「座敷わらし」がいるのが見える人にはみえるだろう。
緑風荘の中庭にある亀麿神社(きま)
下は緑風荘の説明です。
南北朝の乱で足利尊氏に敗れたために、この地まで落のびてきた。
藤房には幼い息子が2人いた。
長男の亀麿はここ金田一で病を得て、わずか6歳で世を去る。
以来、亀麿はこの家の守り神となり、座敷わらしとなって姿を現すようになったと伝わっている。
緑風荘の歴史は遠く650年前までさかのぼる。
五日市家の先祖は万里小路(までのこうじ)藤原藤房といい後醍醐天皇に仕えた公家だった。南北朝の乱で足利尊氏に敗れたために、この地まで落のびてきた。
藤房には幼い息子が2人いた。
長男の亀麿はここ金田一で病を得て、わずか6歳で世を去る。
以来、亀麿はこの家の守り神となり、座敷わらしとなって姿を現すようになったと伝わっている。
ご神前に『祝詞集』を奉納させていただいたんです。
緑風荘「槐(えんじゅ)の間」を背景にして記念写真
緑風荘「槐(えんじゅ)の間」にご家族の方たちが宿泊されていて、ご好意によって「槐(えんじゅ)の間」を見学することが出来たのでした。
そのあとに、中庭に入っての記念撮影です。
そのあとに、中庭に入っての記念撮影です。
神から、「座敷わらし」にそなたたちが負担をかけてはならぬ、といわれた気がしている。
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