貴船神社の結社(ゆいのやしろ)【5】記録に残しておきたいメモ書き|京都府

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京都府京都市左京区鞍馬貴船町( マピオンによる広域地図
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記録に残しておきたいメモ書き

貴船神社の本宮・結社・奥宮

貴船神社(本宮) 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
【御祭神】高龗大神(たかおかみ)
貴船神社(結社) 京都府京都市左京区鞍馬貴船町
【御祭神】磐長姫命(いわながひめ)
貴船神社(奥宮) 京都府京都市左京区鞍馬貴船町 【御祭神】闇龗神(くらおかみのかみ)

国生みの後の神生みで、大山津見神(おほやまつみのかみ)が生まれる

『新版 ひふみ神示』(第6巻日月の巻、pp163-164)

 次に、いぶきいぶきて、御子神 生み給ひき。
 大事忍男神(おほことおしをのかみ)大事忍男神(オホコトオシヲノカミ)石土毘古神(いしつちひこのかみ)石土毘古神(イシツチヒコノカミ)石巣比売神(いしすひめのかみ)石巣比売神(イシスヒメノカミ)大戸日別神(おほとひわけのかみ)大戸日別神(オホトヒワケノカミ)天之吹男神(あめのふきをのかみ)天之吹男神(アマノフキヲノカミ)大屋毘古神(おおやひこのかみ)大屋毘古神(オオヤヒコノカミ)風木津別之忍男神(かさけつわけのおしをのかみ)風木津別之忍男神(カサケツワケノオシヲノカミ)海神(わたのかみ)海神(ワタノカミ)大綿津見神(おほわたつみのかみ)水戸之神(みなとのかみ)水戸の神(ミナトノカミ)速秋津比神(はやあきつひのかみ)速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)風神(かぜのかみ)風神(カゼノカミ)志那都比古神(しなつひこのかみ)木神(きのかみ)木神(キノカミ)久久能智神(くくのちのかみ)山神(やまのかみ)山神(ヤマノカミ)大山津見神おほやまつみのかみ)野神(ぬのかみ)野神(ヌノカミ)鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)野椎神(ぬつちのかみ)鳥之石楠船神(とりのいわくすつねのかみ)天鳥船神(あめのとりふねのかみ)大宜都比売神(おほけつひめのかみ)大宜都比売神(オホケツヒメノカミ)火之夜芸速男神(ひのやきはやをのかみ)火之W比古神(ひのかがひこのかみ)
 生みましき。

木花咲耶姫と磐長姫神

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四「コヱ国原見山の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
  そもそもに 御孫(みまご)瓊々杵尊(ににきね)  
  新治宮(にはりみや) 筑波(つくば)に治む  
  年(とし)すでに 三鈴(みすず)二千五十年(ふちゐそ) 12万2050年
    = 中略 =  
  伊勢に着け 巡(めぐ)り請(こ)えども  
  大御神(ををんかみ) 許(ゆる)さずここに  
    = 中略 =  
    時に天照神(あまてる)  
勅(みことのり) 「八洲(やしま)巡(めぐ)れ」と  
  触(ふ)れ給(たま)ふ 時(とき)二十九鈴(ふそこすヾ) 第一次天孫降臨から26万年後の
紀元前1,290,607年、 大濡煮尊の御世から171万98年経ている。
  五百(ゐも)の一枝(ひゑ) 三十八年(みそや)二月(きさらぎ) 2月1日
  朔(ついたち)と 梅(うめ)の花見(はなみ) 瓊々杵尊の八洲めぐりの勅の時、
梅の花見をする。
  御饗(みあえ)して 日読みの宮の  
  門出(かどで)宣(のり) 昔(むかし)日読(ひよ)みの  
    = 中略 =  
酒折(さかおり)の 宮(みや)に入(い)ります 山梨県の甲府と石和の中間にある
  預(あづか)りの 大山祗命(おおやますみ)が  
  御饗(みあえ)なす 御膳(みかしは)捧(ささ)ぐ  
  葦津姫(あしつひめ) 一夜(ひとよ)召(め)されて 大山祗命の娘で桜内命の曾孫。称え名を木花咲耶姫という。
契(ちぎ)り込(こ)む 帰(かえ)る新治(にはり)  
  ユキスキの 宮(みや)に祈(いの)りの  
  大嘗(おおなめ)ヱ 三種(みくさ)お受(う)けて 新治宮で践祚(せんそ)の大嘗ヱ(おおなめえ)が執り行われ、忍穂耳尊より三種の神器をお受けになり、天つ日嗣を譲り受けた。
  天(あ)に応(こた)え 宮(みや)に治(おさ)むる  
  その飾(かざ)り 香久(かぐ)八幡(やはた)あり  
  その明日(あすか) 大御宝(おおんたから)に  
  拝(おが)ましむ 天児屋根命(こやね)鹿島宮(かしま)に  
  年(とし)越(こ)ゆる 大物主命(ものぬし)一人(ひとり) 大物主命とは子守神のこと。
  日高見(ひだかみ)の 井堰(いせき)なしなし  
  日隅(ひすみ)まで 祖父(ををじ)喜(よろこ)び 津軽の大己貴(奇杵)命。
  「その父(ちち)が 大和(やまと)の神(かみ)と 子守神の父・奇彦命が大和大国御魂神となって、三輪山に隠れた、ということ。
  成(な)りてのち 孫(まご)に会いたくて  
  年寄(としよ)ると」 手づから御饗(みあえ)  
    = 中略 =  
  時(とき)に君(きみ) 思(おぼ)すことあり  
  天児屋根命(こやね)して 新治(にはり)に留(とど)め  
  勝手神(かって)して 海辺(うみべ)お上(のぼ)る  
  行幸(みゆき)触(ふ)れ 大山祗命(おおやますみ)は  
伊豆崎(ゐづさき)の 仮屋(かりや)に迎(むか)え  
  御饗(みあえ)なす 膳(かしわ)なすとき  
  葦津姫(あしつひめ) イメ孕(はら)めり 十五紋に「イメの源 月となる」と見える。ここでは、「イメ」とは「胎内」のことだろうか?それとも「妻」という意味だろうか?
  申(もう)すゆえ 伊勢(いせ)に告(つ)げんと  
  装(よそ)ひなす 時(とき)にその母(はは)  
  姉(あね)連(つ)れて 仮屋(かりや)に至(いた)り  
  真見(まみ)ゑ請(こ)ふ 召(め)せば申(もふ)さく  
  「妹(いもと)さえ わが慈(いつく)しの  
  姉(あね)あり」と 言葉(ことば)飾(かざ)れば  
  二心(ふたごころ) 姉(あね)磐長姫(いわなが)お  
  召(め)せばその 形(かたち)鋭(するど)く  
  眉目(みめ)悪(あ)しく 故(かれ)に肝消(きもけ)し  
  ミヤビ変(か)え 「やはり葦津姫(あしつ)」と 「ミヤビ」とは、ここでは恋心のこと。
  曰(のたま)えば 父(ちち)驚きて  
  妻(つま)叱(しか)る 「かくあらんとて  
  出(いだ)さぬお 急(いそ)ぎ帰(かえ)れ」と  
  追(お)ひやれば 母姉(はなあね)恨(うら)み  
  下(しも)召(め)して 妹(いもうと)落(おと)さん 下(しも)とは、下人(げにん)のこと。
  仇枕(あだまくら) ついに偽(いつわ)り 仇枕とは、仇を討つ計画をたてること。
白子宮(しらこや)で 君(きみ)に聞(き)こゆる 三重県鈴鹿市に「白子」という地名がある。
  疑(うたが)ひに 旅屋(たびや)を夜半(よわ)に  
立(た)ち出(い)でて 伊勢(いせ)に帰ります  
  姫(ひめ)一人(ひとり) 寝覚(ねざ)めて行(ゆ)けば  
  松坂(まつざか)に 関(せき)止(と)められて  
  白子宮(しらこや)に 帰(かえ)り誓(ちか)って  
  妬まれ わが恥(はぢ)滌(すす)げ  
  この桜(さくら) 昔(むかし)曾祖父(ひををぢ)  
  桜内大人(さくらうし) この花捧ぐ 六紋に「東に桜植え 大内宮」。伊雑宮の東殿に植えた桜のこと。
  大御神(ををんかみ) 大内(おうち)に植(う)えて  
  伊勢の道 成(な)る離(はな)るゝお  
  計(はか)ります 桜(さくら)心(こころ)あらば  
  わが孕(はら)み 仇(あだ)種(たね)ならば  
  花(はな)萎(しぼ)め 正(まさ)種(たね)ならば  
  生むときに 咲け」と誓いて  
  こゝに植(う)ゑ 里に帰(かえ)ます  
  十二月(そふ)満(み)ちて 六月(みなつき)初日 6月1日
  三つ子生む その胞衣(ゑな)の紋(あや)  
  (うめ)(さくら) 卯(う)花(ばな)と変(かわ)り  
  怪(あや)しめば 君(きみ)に告(つ)ぐれど  
  返事(かえ)なくて 姫(ひめ)は裾野(すその)に  
  無戸室(うつむろ)し 巡(めぐ)りに柴(しば)の  
  垣(かき)なして 母子(はゝこ)誓(ちか)ひて  
  中にあり 「仇種(あだたね)ならば  
  亡(ほろ)びん」と 火(ひ)お付(つ)け焼(や)けば  
  熱(あつ)がりて 這(は)ひ出(い)でんとす  
  峰(みね)の竜(たつ) 水(みづ)吐(は)きかけて  
  一人づつ 導(みちび)き御子(みこ)お  
  這(は)ひ出(いだ)す 諸人(もろびと)驚(おどろ)き  
  火(ひ)お消(け)して 姫(ひめ)引(ひ)き出(い)だし  
  御輿(みこし)もて 宮(みや)に送(おく)りて  
  伊勢に告ぐ 白子の桜 白子宮に咲いた桜のこと
  生(う)まれ日(ひ) 咲(さ)きて絶(た)えねば  
  天御孫(あめみまご) 鴨船(かもふね)早(はや)く  
飛ばさせて 興津(おきつ)に着けば  
  雉子(きじ)飛(と)びて 酒折(さかおり)に告(つ)ぐ  
  姫(ひめ)恨(うら)み 衾(ふすま)被(かぶ)りて 衾とは、布地などで作り、寝るときに身を蔽う夜具。
  答(こた)え無(な)し 返事(かえこと)すれば  
  君しばし 思(おも)ひて和歌(わか)の  
  歌身(うたみ)染め 奥津彦命(おきひこ)おして 歌身とは、短冊のことか。
奥津彦命とは新治宮にて八将神を祭る任にあった神。
  清雄鹿人(さをしかど) 姫(ひめ)頂(いただ)きて  
  沖(おき)つ藻(も)は 辺(へ)には寄(よ)れども  
  さ寝床(ねとこ)も 能(あた)わぬかもよ  
  浜(はま)つ千鳥(ちどり)よ    
  この歌(うた)に 恨みの涙(なんだ)  
  溶(と)け落(お)ちて 肝(きも)に応(こた)えの  
  徒跣(かちはだし) 裾野(すその)走りて  
  興津浜(おきつはま) 君(きみ)喜(よろこ)びて 静岡県清水市の海岸添いに興津町がある
輿(こし)並(なら)べ 行(ゆ)く大宮(おおみや)は 静岡県富士宮市大宮字桜ヶ丘に鎮座する富士山本宮浅間神社か。
同社は木花之佐久夜毘売、天津日高日子番能邇々芸命、大山津見命を祭る。
  大山祗命(やますみ)の 道(みち)迎(むか)えして  
  三所(みどころ)に 諏訪命(すわ)が御饗(みあえ)は  
  須走(すばし)り 酒折宮(さかおりみや)に 静岡県駿東郡に須走がある。
  入(い)りまして 「諸神(もろかみ)聞(き)けよ  
  われ先に 花おかざして  
  駆(か)け通(とほ)る これ胞衣(ゑな)の紋(あや)」  
  諱(いみな)なす 初(はつ)に出る名は  
  火之明(ほのあかり) 諱(いみな)梅仁(むめひと)  
  次の子は 名も火進(ほのすゝみ)  
  桜木(さくらぎ)ぞ 末(すえ)は名(な)も彦(ひこ)  
  火々出見(ほおでみ)の 諱(いみな)卯津杵(うつきね)  
  また姫(ひめ)は 子お生(う)む日(ひ)より  
  花(はな)絶(た)えず ゆえに木花(このはな)  
  咲耶姫(さくやひめ)」 宮造(みやつく)りして 酒折宮に新殿をつくる。
  御座(おわ)します    
    = 中略 =  
  そののちに 君(きみ)この山に  
  登り見て 中心(なかご)休(やす)めり  
  八(や)つ峰(みね)に 居雪(ゐゆき)絶(た)えねば  
  代々(よよ)の名(な)も 豊居雪山(とよゐゆきやま)  
    = 中略 =  
  二神(ふたかみ)の 国中柱(くになかばしら)  
  瀛(おき)の壺(つぼ) 天照神の 瀛(おき)の壺とは、近江国八尋殿。
壺は天界と交流する要所。
  日高見(ひだかみ)の 方丈宮(かたたけみや)の 方丈宮(かたたけみや)とは、四紋に「みな方壺の ヤマテ宮」と見えることから、ヤマテ宮のことと考えられる。
  中柱(なかばしら) 方壺(けたつぼ)の文(ふみ)  
  稜威神(ゐづかみ)の 原見(はらみ)ハ壺(つぼ) ハ壺(つぼ)とは酒折宮のことか。
  四方八方(よもやも)の 中柱(なかばしら)なり  
  大御神(ををんかみ) 原(はら)の治君(をきみ)と  
  名(な)お賜(たま)ふ    
    = 中略 =  
  世々(よよ)豊(ゆた)か 八万年(やよろとし)経(へ)て  
  日高見(ひだかみ)の 君(きみ)より召(め)せば  
  諸(もろ)ともに 宮(みや)に上(のぼ)れば  
  父帝(ちちみかど) 御子(みこ)二方(ふたかた)に  
  勅(みことのり)  
    = 中略 =  
  箱根神(はこねかみ) 三年(みとせ)祭(まつ)りて  
  瀛壷(おきつぼ)の 峰(みね)より眺(なが)め  
  勅(みことのり)   比叡山の造成の勅。