神社に掲載されている由緒書き
神社に掲載されている由緒書き
昔、二木島湾を境にして、熊野(牟婁-むろ)の国と伊勢(英虞-あご)の国に分かれていた。この地は伊勢に属していたことから阿古師(あこし)神社の名が付き、向かいの神社は室古(むろこ)神社の名が付いたという。
「紀伊続風土記」に
「村より卯辰(東南東)の方、出崎を阿古崎といふ。海上渡り20余町阿古崎と入海を隔てて東西相対す。阿古師は英虞(あご)の神なるべし。」
と両神社の関係が記されている。
祭神は豊玉姫命・伊勢大神・三毛入野(みけいりぬ)命の諸説がある。このうち、三毛入野(みけいりぬ)命については、神武天皇の兄で、天皇御東遷のとき遭難しこの地に祀られたと伝えられている。
また、室古神社との間で行われる例祭は従来5月5日と11月2日であったが、現在は11月3日である。神社での古式に則った祭典の後で開催される関船競漕は、8本の櫓を32人で漕ぐ八挺櫓の船の競争で、水軍や捕鯨の際の勢子船の速漕ぎを彷彿とさせる力強く勇壮で活発なものである。
「紀伊続風土記」に
「村より卯辰(東南東)の方、出崎を阿古崎といふ。海上渡り20余町阿古崎と入海を隔てて東西相対す。阿古師は英虞(あご)の神なるべし。」
と両神社の関係が記されている。
祭神は豊玉姫命・伊勢大神・三毛入野(みけいりぬ)命の諸説がある。このうち、三毛入野(みけいりぬ)命については、神武天皇の兄で、天皇御東遷のとき遭難しこの地に祀られたと伝えられている。
また、室古神社との間で行われる例祭は従来5月5日と11月2日であったが、現在は11月3日である。神社での古式に則った祭典の後で開催される関船競漕は、8本の櫓を32人で漕ぐ八挺櫓の船の競争で、水軍や捕鯨の際の勢子船の速漕ぎを彷彿とさせる力強く勇壮で活発なものである。
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