室古神社【1】トップページ|三重県

マピオン地図
三重県熊野市二木島町
 ⇒ 公式サイトはこちらです。

室古神社(むろこ)トップページ

室古神社(むろこ)阿古師神社(あこし)八鬼山(やきやま)

参拝履歴

室古神社と阿古師神社

 紀元前663年10月、神武天皇一行は、熊野と伊勢の境の盾ヶ崎で遭難(難破)したという。

 ここに漂着した3番目の兄・稲氷(いなひ)命を室古神社(むろこ)に祀り、遺骸は見つからなかったが2番目の兄・御毛沼(みけぬ)命を阿古師神社(あこし)に祀った。

拝殿

室古神社(むろこ)拝殿

ご祭神

稲氷(いなひ)命〜『古事記』の表記
 or
稲飯(いなひ)命〜『日本書紀』の表記

本殿

室古神社(むろこ)本殿

二木島湾周辺マップ

二木湾周辺マップ

⇒ マピオンで周辺図を確認

 二木島峠の西側の峠は逢神坂(おおかみざか)と呼ぶ。熊野の神と伊勢の神が出会う場所という意味だ。
 東側の峠を「曽根次郎、太郎坂」と呼ぶ。後者は自領、他領が転化したものとされる。
 いずれもこのあたりを境にして西熊野伊勢とする。

 神武天皇一行は、熊野と伊勢の境の盾ヶ崎で遭難(難破)したという。

 稲氷(いなひ)命を室古神社(むろこ)に祀り、御毛沼(みけぬ)命を阿古師神社(あこし) に祀った。

『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述による神武天皇のご兄弟

神武天皇の御兄弟の系図

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述による神武天皇のご兄弟

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七「御祖神船魂の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P137-29 )
二神は 常に糾(ただ)すの 二神とは、春日神と子守神のこと
殿(との)に居て あまねく治む 「糾すの殿」とは、京都市左京区賀茂御祖神神社の鎮座地「糾す森」と関連があるか?
民(たみ)豊(ゆた)か 折鈴(さくすず)なれば  
植(う)ゑ継(つ)ぎて 七鈴(なすず)およべど  
なお豊か 四十九(よそこ)の鈴(すず)の  
九百十一枝(こもそひゑ) 初穂キアヱの 2,934,001年、1月3日。
初三日(はつみか)に 天児屋根命(こやね)申(もふ)さく  
「君は今 御祖(みおや)の道に  
治(をさ)むゆえ 人草(ひとくさ)の親(おや)  
天地(あめつち)の 神(かみ)も降(くだ)れば  
御親神(みをやかみ) 世々の御祖(みをや)の  
嗣子(つぎこ)無し 十二(そふ)の后(きさき)も  
如何なるや」 時(とき)に天君(あまきみ)  
「われ思う 十三鈴(そみすず)老いて  
種あらじ」 子守神(こもり)申さく  
「世嗣文(よつぎふみ) あり」とて天の  
押雲命(おしくも)に 勅(のり)して世嗣(よつぎ)  
社(やしろ)なす 時に押雲命(おしくも)  
「な当(あ)てなし」 天児屋根命(こやね)太占(ふとまに)  
占(うら)なえば 「八瀬姫(やせひめ)良けん 比叡山の西側に高野川が流れ、この流域に「八瀬」という地名があるが「八瀬姫」にちなむものか?
ヤヒの意(ゐ)は 中(なか)の屋(や)となる  
シのハラは 母と孕(はら)める  
屋(や)の局(つぼね) 内女(うちめ)は中(なか)の  
位(くらい)なり」 年(とし)も若葉(わかば)の  
八瀬姫(やせひめ)お 十一(そひ)の后(きさき)も  
みな祝(いは)ふ 押雲命(おしくも)清め  
世嗣社(よつぎや)に 祈(いの)れば印(しるし)  
孕(はら)み得(ゑ)て 十五月(そゐつき)に生(う)む  
五瀬君(いつせきみ) 八瀬姫(やせひめ)宮(みや)に  
入(い)るゝ間(ま)に つい神(かみ)となる  
御乳(おち)なくて 触(ふ)れ尋(たづ)ぬれば 八瀬姫が神上がり、五瀬尊の御乳を捜し求める触れがでていた。
これの先(さき) 鴨建祗命(かもたけづみ)と  
磯依姫(いそより)と 十三鈴(そみすず)までも  
子無(こな)きゆえ 別雷神(わけつちかみ)に 別雷神とは瓊々杵尊のこと。
祈(いの)る夜(よ)の 夢(ゆめ)に賜(たま)わる  
玉(たま)の名(な)も 玉依姫(たまよりひめ)お  
生みてにち 養(ひた)して齢(よはひ)  
十四鈴(そよすず)に 両親(たらちね)ともに  
神(かみ)となる 河合(かあい)の神(かみ)ぞ 河合神社
玉依姫(たまより)は 喪祭(もまつ)りなして  
たヾ一人(ひとり) 別雷神(わけつちかみ)に  
また詣(もふ)で 斎(ゆゝ)捧(さゝ)ぐれば  
ウツロイが 疑(うたが)ひ問(と)わく  
「姫(ひめ)一人(ひとり) 別雷神に 「別雷宮(わけつちみや)」で仕えたのだろうか?賀茂別雷神社のことと考えられるが、その創建に関する記述は『秀真伝』には見られない。
仕(つか)ふかや」 答え「しからず」  
また問(と)わく 「世(よ)にちなむかや」  
姫(ひめ)答(こた)え 「何者(なにもの)なれば  
落(おと)さんや われは神(かみ)の子  
汝(なんじ)は」と いえばウツロヰ  
飛(と)び上(あ)がり 鳴(な)る神(かみ)してぞ  
去(さ)りにける ある日(ひ)また出(い)で  
禊(みそぎ)なす 白羽(しらは)の矢(や)来(き)て  
軒(のき)に刺(さ)す 主(あるじ)の汚血(おけ)の  
止(とヾ)まりて 思(おも)はず男(を)の子(こ)  
生(う)み育(そだ)つ 三歳(みつ)なるときに  
矢(や)お指(さ)して 父(ちち)というとき  
矢(や)は上(のぼ)る 別雷(わけいかつち)の  
神なりと 世に鳴り渡る  
姫(ひめ)御子(みこ)お 諸神(もろかみ)請(こ)えど  
諾(うなづ)かず 高野の森に 比叡山の西側に高野川が流れる。この高野川の流域に「八瀬」という地名があるが「八瀬姫」にちなむものか?
隠(かく)れ住(す)む 別雷神(わけいかつち)の  
祠(ほこら)なし 常(つね)に御影(みかげ)お  
祭(まつ)るなり 御触れによりて 八瀬姫が神上がり、五瀬尊の御乳を捜し求める触れがでていた。
申(もふ)さくは 「一枝山(ひゑ)の麓(ふもと)に  
姫ありて 乳(ちち)良(よ)きゆえに  
民(たみ)の子(こ)の 痩(や)するに乳(ちち)お  
賜(たま)われば たちまち肥(こ)ゆる  
これ昔(むかし) 神の子なれど  
隠(かく)れ住(す)む 森(もり)に五色(ゐいろ)の  
雲(くも)起(お)こる 出雲路森(いづこぢもり)と 賀茂御祖神社境内にある式内出雲井於神社と関係すると思われる。
名付(なづ)くなり」 諸神(もろかみ)請(こ)えど  
参(まい)らねば 「清雄鹿(さおしか)なされ  
しかるべし」 時に岩倉命(いわくら)  
伺(うかが)いて 遣(つか)いお遣(や)れど  
来(きた)らねば 自(みずか)ら行(ゆ)きて  
招(まね)けども 諾(うなづ)かぬ由(よし)  
返事(かえこと)す 若山咋命(わかやまくい)が  
申(もふ)さくは 「雄鹿人(おしかど)ならで  
来(こ)ぬゆえは 別雷神お  
常(つね)祭(まつ)る 召(め)せば祭(まつ)りの  
隠(かく)るゆえなり」    
勅(みことのり) 山咋命(やまくい)おして  
召(め)すときに 母子(ははこ)上(のぼ)れば  
見給(みたま)ひて 氏名(うじな)お問(と)えば  
姫(ひめ)答(こた)え 「親(をや)の建祗(たけづみ)  
磯依(いそより)が 名付(なづ)く玉依(たまより)  
波提(はで)が孫(まご) 子(こ)は父(ちち)もなく  
神(かみ)なりぞ 父(ちち)が無(な)ければ  
諱(いみな)せず 出雲(いずも)の御子(みこ)と  
人(ひと)が呼(よ)ぶ」 言葉(ことば)も精(くわ)し  
透(す)き通(とほ)る 玉(たま)の姿(すがた)の  
輝(かがや)けば 勅(みことのり)して  
内局(うちつぼね) 五瀬尊(ゐつせ)養(ひた)せば 玉依姫は、八瀬姫の子である五瀬尊を養育された。五瀬尊は長髄彦の矢にあたり神上がられ、竃山神社(かまやま)に祀られている。
御子(みこ)の名(な)も 御毛入(みけいり)御子(みこ)ぞ 父もなく生まれた玉依姫の子の名を「御毛入(みけいり)」という。神武天皇「大和討ち」の時、熊野と伊勢の境の盾ヶ崎で遭難(難破)し、阿古師神社(あこし)に祀られている。
生む御子(みこ)は 稲飯君(いないいきみ)ぞ 鵜葺草葺不合尊の内局の時に生んだ御子で「稲飯(いないい)」という。神武天皇「大和討ち」の時、熊野と伊勢の境の盾ヶ崎で遭難(難破)し、室古神社(むろこ)に祀られている。
御后(みきさき)と なりて生(う)む御子(みこ) 鵜葺草葺不合尊の内宮の時に生んだ御子は・・
神日本(かんやまと) 磐余彦(いはわれひこ)の 神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」という。
尊(みこと)なり 時に天種子命(たねこ) 天児屋根命の孫
武仁尊(たけひと)と 諱(いみな)鏤(ちりば)め  
奉(たてまつ)る 天君(あまきみ)御子(みこ)に  
勅(みことのり) 「ツヅ」の御歌(みうた)に  
これ璽(をしで) 豊経(とよへ)る幡(はた)の  
ツヅ根(ね)にぞなせ    

神武天皇の御兄弟の系図と祀られている神社(御陵)

  古事記 日本書紀 祀られている神社(御陵)
五瀬(いつせ) 彦五瀬
(ひこいつせ)
●紀元前663年5月8日(?)、五瀬命が崩御した地と伝えられる
 男神社(おの)
大阪府泉南市男里3丁目16-1

●ここから上陸か?
 水門吹上神社(みなとふきあげ)
和歌山県和歌山市小野町2-1

●この地に埋葬する
 竃山神社(かまやま)
和歌山県和歌山市和田438
御毛沼(みけぬ) 三毛入野
(みけいりの)
阿古師神社(あこし)
三重県熊野市甫母町
紀元前663年10月、三毛入野命の遺骸は見つからなかったが、阿古師神社(あこし)に祀ったとされる。
稲氷(いなひ) 稲飯(いなひ) 室古神社(むろこ)
三重県熊野市二木島町
紀元前663年10月、ここに漂着した稲飯命を室古神社(むろこ)に祀ったとされる。
若御毛沼
豊御毛沼
倭伊波礼毗古
(かむやまといわれひこ)
神日本磐余彦
(かむやまといわれひこ)
神武天皇陵〜畝傍山東北陵
(うねびやまのうしとらのみささぎ)という
奈良県橿原市

生玉神社(生国魂神社)
奈良県橿原市大久保町3-56
紀元前585年(神武76年)3月10日に亡くなり、紀元前584年(綏靖元年)9月12日に祀られる。

二木島湾周辺マップ

二木湾周辺マップ

三重県南部(熊野市から松阪市)の広域地図

和歌山県南部の広域地図

和歌山県南部(串本から新宮市)の広域地図

和歌山県南部の広域地図