豆酘の多久頭魂神社【1】トップページ|長崎県対馬

マピオン地図
長崎県対馬市厳原町豆酘1250(詳細地図はこちら
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 平成18(2006)年8月7日-8月8日(月-火)に対馬で立ち寄った神社

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参拝記録

豆酘の多久頭魂神社

豆酘の多久頭魂神社拝殿

豆酘の多久頭魂神社拝殿

豆酘の多久頭魂神社の大クス

ご祭神

 天照大神、
 天之忍穂耳命、
 彦火能邇邇芸尊、
 日子穂穂出見尊、
 鵜茅草葺不合尊
【境内由緒】
 神武天皇の御代天神地祇を祭らせ給ふところの社なり。即ち勧請は神武天皇元年なり。
 神籬磐境の社にして是の遥拝所は神佛習合、天道信仰時代の堂宇をそのまま拝殿となしてゐる。
 又神功皇后三韓に向ひ玉ふ時に諸神を祭り拝し給ふ処の社にして延喜式神名帳に載るところの社なり。
 貞観十二年三月五日従五位下を、其の後叙位ありて正四位下を授けられる。
 例祭 十月十八日

豆酘の多久頭魂神社の全景地図

豆酘の多久頭魂神社の全景地図

豆酘の不入坪(いらぬつぼ)〜古代祭祀場

豆酘の不入坪(いらぬつぼ)

不入坪(いらぬつぼ)〜古代祭祀場

豆酘の不入坪(いらぬつぼ)
 境内に八丁郭と同様におそろし処といわれる塔がある。
 祭祀場で、不入坪(いらぬつぼ)といわれる。
 頁岩(けつがん)という板状の石を積み上げた小ぶりなピラミッド。
 頂部には意味ありげな石が固定されています。
 それは確かに、オソロシドコロに特有のものでした。
 なぜ、今になってこの小ピラミッドが発見できたのか。
 ピラミッドは昔からずっとそこにあったはずです。
 そう、それは不入坪の杜の樹勢が弱くなったので、外から視認できるようになったということです。

豆酘の高御魂(たかみむすび)神社

豆酘の高御魂(たかみむすび)神社

ご祭神

 高皇産靈尊
【境内由緒】
 橿原の朝高皇産靈尊の五世の孫津島県直建弥己々命に詔して天神地祇を祭らせ給ふ処にして神功皇后三韓に向ひ給ふ時行宮を定められ御親ら戦捷祈願し給ひし社なり、高皇産靈を祀る社は全国にも稀にして佐護の神皇産靈を主基の宮、本社を悠紀宮として上古由緒ある社にして顕宗天皇三年四月、上より神田十四町を献上せられた。
 神事造営は上より行はれ国主の崇敬篤き社なり。
 延喜式神名帳に載る名神大、高御魂神社は是の社なり。
 例祭 一月三日

豆酘の五王神社

豆酘の五王神社

ご祭神

 素戔嗚尊
 五王神社は、國本神社の相殿に祀られていた神社。
 もとの鎮座地・伽藍原は、護法原とも呼び、牛王原と書くようになって、五王と変化した。

豆酘の下宮神社

豆酘の下宮神社

ご祭神

 豊玉姫
 別名を淀姫玉妃命
  下宮神社は海神を祀る神社。
  神宮皇后三韓征伐のおり、干珠・満珠を皇后に奉ったという。

豆酘の國本神社

豆酘の國本神社

ご祭神

 庁神
 國本神社は庁神を祀る神社。
 聖武天皇(701〜756年)の勅により斎祀された古社で、政所の神。

豆酘の神住居神社(かみずまいじんじゃ)

神住居神社(かみずまいじんじゃ)

神住居神社(かみずまいじんじゃ)

ご祭神

 神功皇后
 諸神
 多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ)の境内の一角にある。
 神功皇后の行宮(あんぐう)として一時的な宮殿だった場所です。
 ここに伝わる豆酘の船浮神事(ふなうかし)は別名カンカン祭りと呼ばれ、赤船と白船に分かれて子供たちを捕まえるお祭りが行われます。
 これは皇后が新羅の軍勢を捕虜にした伝承にちなむようです。
 神住居神社のすぐ裏手には「淀姫神社」があります。神功皇后の妹と言われる「淀姫/豊姫」も同行していたのでしょうか。

豆酘の師殿神社

豆酘の多久頭魂神社拝殿

ご祭神

 宗盛世(豆酘郡主だった人)
 師殿神社は旧村社。
 豆酘郡主であった宗盛世を祭神とする。

豆酘の観音堂

豆酘の観音堂
 現観音堂は昭和に再建されたもの。
 元の観音堂は、現在の多久頭魂神社社殿(遥拝所)となっている。

豆酘の鐘楼(梵鐘)

豆酘の鐘楼(梵鐘)

鐘楼(梵鐘)

「金鼓・梵鐘:国指定重要文化財」
高麗時代の金鼓がありますが、韓国にも例のない大作です。
社前の鐘楼に懸かっている梵鐘は、寛弘5年(1008)初鋳、以後二度の改鋳が行われ、それに対馬の古族阿比留氏の名が見えます。

○ 梵鐘(多久頭魂神社)  対馬市厳原町豆酘

 厳原港から南下、県道192号線または県道24号線により豆酘へ行く。対馬市役所豆酘出張所前の県道を進むと、「多久頭魂神社」の参道へ入る案内標識がある。
 神社にはこのほか、国指定重要文化財「金鼓」、県指定有形文化財「大蔵経」がある。

○ 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

 梵鐘(多久頭魂神社)  重要文化財(国指定)・工芸品。
 指定年月日 昭和50年6月12日  所在地 下県郡厳原町大字豆酘。
 所有者 多久頭魂神社。
 多久頭魂神社遥拝所入口の鐘楼にあり、豆酘観音堂鐘とも呼ばれてきた梵鐘である。鐘の姿はやや丈長の端正な形で、双頭式の竜頭は竜の口が笠形上の柱を噛み、竜の上に三面宝珠が火炎につつまれて配されている。袈裟襷(けさだすき)も通常のもので、鐘身上帯は無文、下帯は唐草文を鋳出している。乳区には4段4列の笠形乳をならべ、撞座は筋蓮弁を用いた八葉蓮華をかたどって竜頭の長軸方向に2個を配し、下辺の駒爪は2段につき出している。
 銘文により初鋳は平安時代の寛弘5年(1008)、改鋳が平安時代の仁平3年(1153)と南北朝時代の康永3年(1344)の二代にわたるものであることが知られる。
 また銘文中に上松浦山下庄の大工覚円、小工李興の名が見られ、竜頭に肥前鐘の特色が指摘されている。
 総高98.5m。

2012年10月8日、「大蔵経」が、8人の韓国人窃盗団に盗まれた

 2012年10月8日、対馬の海神神社の国指定の重要文化財「銅造如来立像」(統一新羅時代)、観音寺の長崎県指定有形文化財の「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)、多久頭魂神社の長崎県指定有形文化財の「大蔵経」が、8人の韓国人窃盗団に盗まれた。
 なお、これ以前にも韓国人により日本に所在する仏像や仏画が盗難され韓国に持ち出される事例が多発していた。
 2013年1月29日、窃盗と密輸の容疑で韓国人窃盗団5人が韓国警察に逮捕され、韓国国内で仏像2体が回収された(「大蔵経」の行方は不明)。

【地図】豆酘の多久頭魂神社

【地図】豆酘の多久頭魂神社

【地図】豆酘の多久頭魂神社

【対馬全図】