上小野榛原(かみつおのはりはら)の鳥見社(とみ)【1】トップページ|奈良県

『いつもNAVI』のロゴ
奈良県宇陀市榛原区萩原鳥見山公園( いつもNAVIによる広域地図
 ⇒ 公式サイトはこちらです。

 平成23(2011)年8月17日(水)、神武天皇の史蹟を周ってこれたこれまでのお礼参りと日本武尊御陵

鳥見山公園の霊畤(まつりのには)旧跡鳥見社(宇陀市榛原区萩原鳥見山公園内)八咫烏神社(宇陀市)
能褒野王塚古墳(三重県)能褒野神社(三重県)

鳥見社(とみ)トップページ〜
宇陀市鳥見山南麓にある上小野榛原(かみつおのはりはら)霊畤(まつりのには)

参拝履歴

鳥見社(とみ)〜
宇陀市鳥見山南麓の上小野榛原(かみつおのはりはら)霊畤(まつりのには)

準備中

鳥見社(とみ)の拝殿

大和神社

ご祭神

相殿中央:皇祖天神(みおやのあまつかみ)
相殿 左:神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)
相殿 右:大山祇御祖命(おおやまつみみおやのみこと)

鳥見社(とみ)の本殿

大和神社

天鈴61年(即位4年)、天富命に命じて鴨社を遷し
宇陀市榛原の鳥見山に御祖神(鵜葺屋葺不合尊)を祀る

 太玉命の孫に当たる天富命は、神武天皇即位の大礼のとき、三種の神器の受け渡しのとき、道臣命(日の使い)・天田根命(月の使い)とともに、「星の使い」となった。
 現・墨坂神社のある天野の地が天富命の邸跡とも伝えられていることを鑑みると、天富命は、神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のとき、現在の墨坂神社のある地に住んで、京都から遷座された賀茂社を鳥見の山中に設け(霊畤)、鵜葺屋葺不合尊(御祖神)を祀られたのだろう。
 「上小野榛原(かみつおのはりはら)」が現在の「鳥見社」に当たるのであろう。
 神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のときの「下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあるのは、「神武天皇大和進入」の推定では、「墨坂伝承地」にあたる。
 第10代祟神天皇のとき、「墨坂伝承地」に祀られていたものが、天富命の住居であった墨坂神社に祀りかえられたとき、「鳥見社」にあった「上小野榛原(かみつおのはりはら)」も祀りかえられたのかもしれない。
 大田種子の記述に従えば、上のようになると思う。
 この後、天富命は阿波忌部を率いて千葉県館山市の安房神社のある地に渡り、東国開拓に着手された。
 千葉県に神武天皇の母・玉依姫が祀られているところが多く、「鳥見神社」が多いのは、神武即位4年に天富命が宇陀市鳥見山(霊畤)で御祖神を祀られた記憶が多大に影響しているのだと思う。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十〔天君都鳥の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P269-270 )
四穂(よほ)二月(きさら) ネウエのキナエ 天鈴61年(神武即位4年)2月
勅(みことのり) 「御祖(みをや)の神(かみ)の 神武天皇の父・鵜葺屋葺不合尊のこと
都鳥(みやこどり) わが身(み)お照(て)らし  
仇(あだ)平(む)けて みな治(をさ)むゆえ  
天富(あめとみ)に 賀茂社(かも)お遷(うつ)させ  太玉命の孫に当たる天富命は、神武天皇即位の大礼のとき、三種の神器の受け渡しのとき、道臣命(日の使い)・天田根命(月の使い)とともに、「星の使い」となった。
 現・墨坂神社のある天野の地が天富命の邸跡とも伝えられていることを鑑みると、天富命は、現在の墨坂神社のある地に住んで、京都から遷座された賀茂社を鳥見の山中に設け(霊畤)、鵜葺屋葺不合尊(御祖神)を祀られたのだろう。
 この後、天富命は阿波忌部を率いて千葉県館山市の安房神社のある地に渡り、東国開拓に着手された。
 千葉県に神武天皇の母・玉依姫が祀られているところが多く、鳥見神社が多いのは、神武即位4年に天富命が宇陀市鳥見山(霊畤)で御祖神を祀られた記憶が多大に影響しているのだと思う。
御祖神(みをやかみ) 祭(まつ)る榛原(はりはら)  
鳥見山(とりみやま) 天田根(あたね)お賀茂(かも)の  
建祗命(たけすみ)の 祭(まつ)り嗣(つ)がせて  
国造(くにつこ)ぞ」 正月(むつき)十一日(そひか)は 天鈴62年(神武即位5年)
県主(あがた)召(め)し 神酒(みき)お賜(たま)はる  
初(はじ)めなるかな    

宇陀市鳥見山南麓の鳥見社(とみしゃ)の周辺地図

宇陀市鳥見山南麓の鳥見社(とみしゃ)の周辺の地図  

宇陀市鳥見山南麓の鳥見社(とみしゃ)の周辺の地図