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 参拝記録

平成21(2009)年8月10日(月)に参拝平成22(2010)年5月2日(日)に参拝

紀元前1,290,607年、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の時・・・

大炊神社(おおい)

 紀元前1,290,607年3月15日、梅の花の下に御饗(みあえ)を催された瓊々杵尊は、微笑んで申されました。
「以前日読みの宮にて、梅の花の下、三種の神宝を天照神より賜り、めでたく門出をした。
 そしてまた、この白山にて梅の花の下ウケステ女の峰輿を得て、宴を張っている。これはきっと天意に叶った印である」
 とおっしゃって、梅の小枝を折り頭にかざして、近江の国の高島に至りました。
 その地の酒波(ささなみ)という場所に咲いていた桜の花も美しいとして、君はまたその小枝を折りかざしたのでした。
 子守神の生まれた郷である高島の万木村(よろきむら)周辺を田にしようと、子守神の子、太田命と箕島命が井戸や運河を掘って、あたりに水を引きました。
 日置神社から琵琶湖西岸を進んできて、鴨川を越えた志呂志神社(しろし)あたりで、大炊神社のある音玉川の淵で寝そべっている猿田彦命を見つける。
   瓊々杵尊のご一行が音玉川(おとたまがわ)にさしかかると、その川の岸の白砂で昼寝をしている地元の神に会いました。

大炊神社(おおい)

 身の丈は普通の人の2倍の17咫(た)もあり、顔は赤く、鼻の高さは7枳(き)もありました。
 瞳は鏡のごとく爛々と輝いていたので、君のお伴の八十物部たちが恐れてしまいました。そこで瓊々杵尊は、鈿女命(うずめのみこと)に、
「汝、あの大きな目に負けぬよう、どのような神であるか問うてみよ」
 とお命じになりました。
 鈿女命は胸元を開いて、裳の紐を下げて嘲り笑って、その地元の神の前を通りすぎました。
 すると今まで寝ていた赤面の神は目を覚まし、鈿女命の奇妙な姿を見るなり、
「そのようなことをするのは、なにゆえか」
 と申しました。そこで、
「天孫瓊々杵尊の行幸なさる道をふさぐのは何者ぞ」
 と鈿女命も負けじと問い返しました。
「天照神の御孫が行幸され、この地に向かわれていると聞き、鵜川(うかわ)の仮屋(かりや)にて御饗をしてのち、この河原にてお待ちしていたのじゃ。かくいうわれは、長田(ながた)の猿田彦と申す」

大炊神社(おおい)

 鈿女命は再び、
「どちらの方から行くのだ」
 猿田彦命答えて
「われがお導きしましょう」
「汝はわが君の行く先を知っておるというのか」
「君は筑紫の国の高千穂の峰に行かれる。私は途中までお伴し、伊勢の南長田川まで行こうと思う」
 こう返事をしました。それをお聞きになった瓊々杵尊はお喜びになり、あたりに咲いていた卯の花を取りかざして行かれたのでした。
 猿田彦命をして、険しい山の岩石を打ち砕かせ、神の力を示すような道を開き、鎧崎(よろいざき)に至り、三尾(みお)の高い山や、鏡山の土を積み上げた三上山(近江富士ともいう)を築かせました。
大炊神社

ご祭神

事代主神

大炊神社(おおい)の地図

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