阿須賀神社【1】トップページ|和歌山県

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和歌山県新宮市阿須賀1-2-28( マピオンによる広域地図
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阿須賀神社(あすか)トップページ

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P229 )

  諱(いみな)高仁尊(たかひと) (※)高仁尊とはイザナギ命のこと
神漏岐(かみろぎ)や 高皇産霊(たかみむすび)の
五世神(ゐつよかみ) 諱(いみな)玉杵(たまぎね)
豊受神(ゐとようけ)の 姫(ひめ)の伊佐子(いさこ)と (※)伊佐子とはイザナミ命のこと
浮橋(うきはし)お 速玉之男命(はやたまのを)が (※)縁談を速玉之男命
渡(わた)しても 解(と)けぬ趣(おもむ)き   結ぼうとしたが、結べず。
解(と)き結(むす)ぶ 事解之男命(ことさかのを)ぞ (※)事解之男命が取り結ぶ。
方壺(けたつぼ)の 西南(つさ)の筑波(つくば)の (※)筑波の伊佐宮で婚儀。
伊佐宮(いさみや)に 諾(うなづ)き編(あ)みて
伊弉諾(いざなき)と 伊弉冉(いざなみ)となる

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P260 )
■『日本書紀』「神代上」四神出生章、第十・一書に黄泉国において唾く時に化生した神として「号して速玉之男(はやたまのを)と曰す」とみえる。出雲国意宇郡の速玉神社、紀伊国の熊野速玉神社などがこの神を祭る。
■『日本書紀』「神代上」四神出生章、第十・一書に「次に掃ふ神を、泉津事解之男と号く」とみえる。紀伊国熊野三山の祭神の中に同神を祭る。

拝殿

阿須賀神社拝殿

ご祭神

【主祭神】事解男命(ことさかおのみこと)

【配 祀】熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
     家津美御子大神(けつみみこおおかみ)
     熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)

【合 祀】黄泉道守神(よもつみちぬのかみ)
     建角美神(たけつねのかみ)
     明治後期に合祀した宮戸社と八咫烏神社の祭神

(※)【主祭神】事解男之命(ことさかおのみこと)とは、伊邪那美命との黄泉国での係わり合いにおける〔死の汚れを〕祓うために生まれた神である。

(注)熊野本宮大社(公式サイト)における事解男之命の説明

 熊野本宮大社の第一殿 熊野牟須美神(伊邪那美大神) 本地佛 千手観音
 国土の基礎を築き、多くの神々を生んだ、伊邪那岐大神様の夫婦神である。
 御亡くなりになられた大神様は「黄泉国」に鎮まるが、『日本書紀』に「紀州熊野の有馬」が大神様のお隠れになった地と記され、三重県熊野市有馬の花窟神社が、伊邪那美大神様の御墓である。
 熊野三山 那智大社の主祭神。

 熊野本宮大社の第一殿 相殿 事解之男神
 熊野夫須美神と御一緒に御祭りされ、表に出てこない神様。
 伊邪那岐大神様が黄泉国に伊邪那美大神様に逢いに来られ、互いにあるお約束事をされた時に、発した言葉の中から生まれた神様。

(注)熊野本宮大社(公式サイト)における速玉之男神の説明

 熊野本宮大社の第二殿 速玉之男神 本地佛 薬師如来
 伊邪那岐大神様が黄泉国に伊邪那美大神様に逢いに来られ、互いにあるお約束事をされた時に、唾を吐き合う儀式の中から生まれた神様。熊野三山 速玉大社の主祭神。
 熊野本宮大社の第二殿 相殿 伊邪那岐大神
 速玉之男大神様と御一緒に御祭りされ、表に出てこない神様。
 国土の基礎を築き、多くの神々を生んだ、伊邪那美大神様の夫婦神である。
  伊邪那美大神様に逢いに黄泉国熊野に来られ、後に黄泉国の穢れを禊により祓い、天照大神・月読尊・素盞嗚尊の三貴子を生んだ。

 熊野速玉大社では速玉之男神は伊邪那岐命とされているが、熊野本宮大社の説明では、速玉之男神は速玉之男神である。

本殿

阿須賀神社本殿

神倉神社・阿須賀神社・烏止野神社・熊野本宮大社・熊野速玉大社

 熊野の観光名所/阿須賀神社からの引用です

 阿須賀神社は社伝によれば紀元前423年に創建されたそうですが、中古、火災により古文書を焼失したため、詳しいことはわかっていません。
 阿須賀神社の現在の社殿は、昭和20年(1945)に米軍の空襲により付近の民家約200戸とともに焼失したため、戦後、昭和27年(1952)に再建されたものです。
 阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。古伝によると、

 熊野大神は初め神倉山(神倉神社)に降臨し、次に阿須賀の森(阿須賀神社)に遷り、熊野大神のうち家津美御子はさらに貴袮谷〔きねがたに〕(貴袮谷社・烏止野神社)に遷ったが、結(伊邪那美)・速玉(伊邪那岐)の二神はそのまま阿須賀の森(阿須賀神社)に留まった。
 第十代崇神天皇(紀元前97年2月17日〜紀元前29年1月9日)の御代に家津美御子はさらに熊野川上流の音無の里(熊野本宮大社)に遷り、結(伊邪那美)・速玉(伊邪那岐)の二神は第十二代景行天皇(71年7月11日〜130年11月7日)の御代に今の新宮(熊野速玉大社)に遷座した。

神武天皇 聖跡 熊野神邑(くまのかみむら)顕彰碑

熊野神邑

神倉神社周辺マップ

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