阿須賀神社(あすか)トップページ
『秀真伝(ほつまつたゑ)』(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P229 )
『秀真伝(ほつまつたゑ)』(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P260 )
■『日本書紀』「神代上」四神出生章、第十・一書に黄泉国において唾く時に化生した神として「号して速玉之男(はやたまのを)と曰す」とみえる。出雲国意宇郡の速玉神社、紀伊国の熊野速玉神社などがこの神を祭る。
■『日本書紀』「神代上」四神出生章、第十・一書に「次に掃ふ神を、泉津事解之男と号く」とみえる。紀伊国熊野三山の祭神の中に同神を祭る。
諱(いみな)高仁尊(たかひと) | (※)高仁尊とはイザナギ命のこと | |
神漏岐(かみろぎ)や | 高皇産霊(たかみむすび)の | |
五世神(ゐつよかみ) | 諱(いみな)玉杵(たまぎね) | |
豊受神(ゐとようけ)の | 姫(ひめ)の伊佐子(いさこ)と | (※)伊佐子とはイザナミ命のこと |
浮橋(うきはし)お | 速玉之男命(はやたまのを)が | (※)縁談を速玉之男命が |
渡(わた)しても | 解(と)けぬ趣(おもむ)き | 結ぼうとしたが、結べず。 |
解(と)き結(むす)ぶ | 事解之男命(ことさかのを)ぞ | (※)事解之男命が取り結ぶ。 |
方壺(けたつぼ)の | 西南(つさ)の筑波(つくば)の | (※)筑波の伊佐宮で婚儀。 |
伊佐宮(いさみや)に | 諾(うなづ)き編(あ)みて | |
伊弉諾(いざなき)と | 伊弉冉(いざなみ)となる |
『秀真伝(ほつまつたゑ)』(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P260 )
■『日本書紀』「神代上」四神出生章、第十・一書に黄泉国において唾く時に化生した神として「号して速玉之男(はやたまのを)と曰す」とみえる。出雲国意宇郡の速玉神社、紀伊国の熊野速玉神社などがこの神を祭る。
■『日本書紀』「神代上」四神出生章、第十・一書に「次に掃ふ神を、泉津事解之男と号く」とみえる。紀伊国熊野三山の祭神の中に同神を祭る。
拝殿
ご祭神
【主祭神】事解男命(ことさかおのみこと)【配 祀】熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
家津美御子大神(けつみみこおおかみ)
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)
【合 祀】黄泉道守神(よもつみちぬのかみ)
建角美神(たけつねのかみ)
明治後期に合祀した宮戸社と八咫烏神社の祭神
(※)【主祭神】事解男之命(ことさかおのみこと)とは、伊邪那美命との黄泉国での係わり合いにおける〔死の汚れを〕祓うために生まれた神である。
(注)熊野本宮大社(公式サイト)における事解男之命の説明
熊野本宮大社の第一殿 熊野牟須美神(伊邪那美大神) 本地佛 千手観音国土の基礎を築き、多くの神々を生んだ、伊邪那岐大神様の夫婦神である。
御亡くなりになられた大神様は「黄泉国」に鎮まるが、『日本書紀』に「紀州熊野の有馬」が大神様のお隠れになった地と記され、三重県熊野市有馬の花窟神社が、伊邪那美大神様の御墓である。
熊野三山 那智大社の主祭神。
熊野本宮大社の第一殿 相殿 事解之男神
熊野夫須美神と御一緒に御祭りされ、表に出てこない神様。
伊邪那岐大神様が黄泉国に伊邪那美大神様に逢いに来られ、互いにあるお約束事をされた時に、発した言葉の中から生まれた神様。
(注)熊野本宮大社(公式サイト)における速玉之男神の説明
熊野本宮大社の第二殿 速玉之男神 本地佛 薬師如来伊邪那岐大神様が黄泉国に伊邪那美大神様に逢いに来られ、互いにあるお約束事をされた時に、唾を吐き合う儀式の中から生まれた神様。熊野三山 速玉大社の主祭神。
熊野本宮大社の第二殿 相殿 伊邪那岐大神
速玉之男大神様と御一緒に御祭りされ、表に出てこない神様。
国土の基礎を築き、多くの神々を生んだ、伊邪那美大神様の夫婦神である。
伊邪那美大神様に逢いに黄泉国熊野に来られ、後に黄泉国の穢れを禊により祓い、天照大神・月読尊・素盞嗚尊の三貴子を生んだ。
熊野速玉大社では速玉之男神は伊邪那岐命とされているが、熊野本宮大社の説明では、速玉之男神は速玉之男神である。
本殿
神倉神社・阿須賀神社・烏止野神社・熊野本宮大社・熊野速玉大社
熊野の観光名所/阿須賀神社からの引用です
阿須賀神社は社伝によれば紀元前423年に創建されたそうですが、中古、火災により古文書を焼失したため、詳しいことはわかっていません。阿須賀神社の現在の社殿は、昭和20年(1945)に米軍の空襲により付近の民家約200戸とともに焼失したため、戦後、昭和27年(1952)に再建されたものです。
阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。古伝によると、
熊野大神は初め神倉山(神倉神社)に降臨し、次に阿須賀の森(阿須賀神社)に遷り、熊野大神のうち家津美御子はさらに貴袮谷〔きねがたに〕(貴袮谷社・烏止野神社)に遷ったが、結(伊邪那美)・速玉(伊邪那岐)の二神はそのまま阿須賀の森(阿須賀神社)に留まった。
第十代崇神天皇(紀元前97年2月17日〜紀元前29年1月9日)の御代に家津美御子はさらに熊野川上流の音無の里(熊野本宮大社)に遷り、結(伊邪那美)・速玉(伊邪那岐)の二神は第十二代景行天皇(71年7月11日〜130年11月7日)の御代に今の新宮(熊野速玉大社)に遷座した。
神武天皇 聖跡 熊野神邑(くまのかみむら)顕彰碑
神倉神社周辺マップ
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