御機の九〔八雲討ち琴造る紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|島根県

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御機の九「八雲討ち琴造る」紋

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御機の九「八雲討ち琴造る」紋の概略

【1】下民に落ちた素戔嗚尊が大蛇退治〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P462-464 )
荒金(あらかね)の 土(つち)に落(お)ちたる 粗金とも書き、土に掛かる枕詞として伝わる。
山から採掘したままで精錬されていない金属のこと。
流浪男(さすらを)の 天(あめ)の畏(おそ)れの 罪を犯し宮中より追放された素戔嗚尊のこと。
蓑笠(みのがさ)も 脱(ぬ)がで休(やす)まん  
宿(やど)も無(な)く 地(ち)に彷徨(さまよ)いて  
咎(とが)めやる 摺屋(すりや)が許(もと)に 「スリヤ」は人名とも思えるが、28紋に「天鈴(あすず)暦と 名を変えて 梓(あづさ)に彫りて 奉る」(28-28)とあることから、木に文字を彫りつけた風習が古くからあったことがわかる。
 後世衣服に模様をすりつけたり、木版を印刷したりする職人を摺師(すりし)ということなどから、ここでは一応、摺(す)ることを仕事としている職人の意としておく。
 璽(をしで)は板画に適しているようにも思われる。
辿(たど)り来て ついに根(ね)の国(くに) 「根」は北陸地方、「細矛」は山陰地方
細矛(さほこ)なる 弓削(ゆげ)の曾尸茂梨(そしもり) 「弓削(ゆげ)」とは、大化前代、弓の製作に従事し朝廷に勤仕した人々の集団のこと。
 従来は古代朝鮮の地名のように解されてきたが、本書の所伝によれば、このような解釈は、「曾尸茂梨(そしもり)」の本義とは異なるようである。ただし、それが何を意味するのか、今の段階では明かにしえない。
弦召(つるめそ)が 宿(やど)に噤(つぐ)むや 弦売(つるめ)は弦召(つるめそ)ともよばれ、弦を売り歩く行商人のこと。
血脈(しむ)の虫(むし) 佐太(さた)の村長(あれおさ) 素戔嗚尊は、母伊弉冉尊が月経の時に孕んだ子だったので、生まれつき荒金の血を持っていたために、乱行におよび下民となってしまったということ。
島根県八束郡鹿島町佐陀宮内に佐太神社がある。佐太大神をはじめとして、多くの神を祭る。当社は導大神とされる。
脚摩乳命(あしなづち) 襲緒(そを)のテニツチ 脚摩乳命(あしなづち)は筑紫の赤土命の弟。
テニツチは『日本書紀』には「手摩乳(てなづち)」、『古事記』には「手名椎(てなづち)」とある。
襲緒は鹿児島県曽於郡のこと。
八女(やめ)生(う)めど 生(お)いたちかぬる 早子の化した八岐大蛇に7人までを噛み殺されてしまったこと。
悲(かな)しさは 簸川(ひかわ)の上(かみ)の 斐伊川のこと
八重谷(やゑだに)は 常に叢雲(むらくも) 八重谷は未詳。
立ち登り 背(そびら)に繁(しげ)る  
松榧(まつかや)の 中に八岐(やまた)の  
大蛇(おろち)居(ゐ)て 羽々(はは)八酸醤(やかがち)の 羽々(はは)とは、大蛇のこと。
『日本書紀』には「眼(まなこ)は赤酸醤(あかかがち)」、『古事記』には「目は赤加賀智(あかかがち)」とあり、「今の酸醤(ほおづき)なり」との註が付されている。
人御饌(ひとみけ)と 筒(つつ)がせらるる 「ツツガ」は八紋の用例にみる獄舎の義と通じるものであると思われる。
ここでは、身を拘束されるというような意味、生贄にされること。
七娘(ななむすめ) 残る一人の  
稲田姫(いなだひめ) これも食(は)まんと  
両親(たらちね)は 手撫(てな)で足撫(あしな)で  
痛(いた)むとき 素戔嗚尊(そさのみこと)の  
神問(かんと)ひに あからさまにぞ  
答(こた)ゑけり 「姫(ひめ)お得(ゑ)んや」と  
いや問(と)いに 「御名(みな)は誰(たれ)ぞ」と 「いや問い」とは条件付の質問という意味
裏(うら)問(と)えば 「天(あめ)の弟(おとと)」と  
顕(あら)はれて 契(ちぎ)りお結(むす)ぶ  
稲田姫(いなだひめ) 病(や)める炎(ほのほ)の  
苦しさお 袖脇(そでわき)裂(さ)きて  
風入れば 炎(ほのお)も冷めて  
快(こころよ)く 童(わらべ)の袖(そで)の  
脇(わき)あけぞ 姫は弓削屋(ゆげや)に  
隠し入れ 素戔嗚尊(すさ)は休(やす)みの  
姫姿(ひめすがた) ユヅの黄楊櫛(つげぐし) 「ユツ」の「ユ」は「斎」、「ツ」は「付く」の義。
髻(つら)に挿し 山の桟敷(さすき) 後世「さじき」といわれる。
「さじき」は、祭礼などを見物するために地面より一段高く作られた観覧席のこと。
「さすき」の語義は「狭隙」であろう。
八絞(やしぼ)りの 酒お醸(かも)して  
待(ま)ち給(たま)ふ 八岐(やまた)頭(かしら)の 早子は八岐大蛇となり姉持子は九頭大蛇と化す。
また、二十八紋に「二人大蛇 姫に生まれて 君召せば 持子は御子生み 典侍となる 早子は姫生み 内局」(28-31)ともみえる。
大蛇来て 八舟(やふね)の酒お
飲み酔(ゑ)いて 眠る大蛇を  
ずたに斬(き)る 羽々(はは)が尾先(おさき)に  
剣(つるぎ)あり 羽々(はは)叢雲(むらくも)の 後世、倭姫が日本武尊に授ける剣。
三十九紋(39-6)参照。
名にし合(あ)ふ  

【2】大屋彦を生んで野洲川宮の訪問〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P464-465 )
  稲田姫(いなだひめ)して  
大屋彦命(おおやひこ) 生めば素戔嗚尊(そさのを)  
野洲川(やすかわ)に 行(ゆ)きて誓(ちか)ひの  
男子(をのこ)生(う)む 「吾勝(あかつ)」といえば  
姉(あね)が目(め)に 「なお汚(きたな)しや 昼子姫(和歌姫・下照姫)
その心(こころ) 恥(はぢ)おも知らぬ  
世(よ)の乱(みだ)れ これみなそれの 八紋に記されている8年間(紀元前1,600,704年から紀元前1,600,697年)のハタレの大動乱。
過(あやま)ちと 思えば噎(むせ)ぶ  
早(はや)帰(かえ)れ」 素戔嗚尊(そさのを)恥(はぢ)て  
根国(ね)に帰(かえ)る のち大谷姫(おおやひめ)  
妻津姫(つまつひめ) 事八十命(ことやそ)生(う)みて  
隠(かく)れ住(す)む    

【3】伊吹戸主命の根国の益人討伐〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P465-467 )
ハタレ頭(かみ) 蜂(はち)のごとくに  
乱(みだ)るれば 神議(かみはか)りして  
ハタレ討つ 君(きみ)は禊(みそぎ)の  
さくなだり ハタレ厭(いと)ふの  
種(たね)を得(ゑ)て 御世(みよ)治(おさ)まれど 八紋に「天照神は さくなだり 早川の瀬に 禊して ハタレ破るの 呪いの 種お求めて」(8-8)とあるようにハタレ討ちに必要な、葛煤(かだすす)、蕨縄(わらびなわ)、オコゼ、蕗(ふき)、太曲餅(ふとまがり)、サツサツヅ歌、などハタレが好むもの、あるいは嫌うものなどを武神たちに授けている。
源(みなもと)は 根国(ね)の益人(ますひと)に 白人のこと。胡久美も含まれる。
よるなれば 伊吹戸主命(いぶきどぬし)に  
討(う)たしむる 諾(うなづ)き向(むか)ふ  
八十連(やそつづき) 細矛国(さほこ)の宮(みや)の 紀元前1,600,697年、白人・胡久美の征伐に向かうときに朝日宮を参詣。
朝日神(あさひかみ) 拝(をが)みて至(いた)る  
出雲路(いづもぢ)の 道(みち)に佇(たたず)む  
下民(したたみ)や 笠蓑(かさみの)剣(つるぎ)  
投げ捨てて 何(なに)宣(のり)こちの 何か一人ごとをいいながら
大眼(おおまなこ) 涙(なみだ)は滝(たき)の  
落(お)ち下(くだ)る 時(とき)の姿(すがた)や  
八年(やとせ)ぶり 想ひ思えば  
ハタレとは 驕(おご)る心(こころ)の  
われからと やや知る今の  
素戔嗚尊(そさのを)が 悔やみの涙  
叔父(おじ)甥(おい)お シムの過(あやま)ち  
償(つぐの)えと 嘆き歌うや  
天元(あも)に降(ふ)る 吾(あ)が蓑笠(みのかさ)ゆ  
シムの実木(みき) 三千日(みちひ)はさまで 実から木が生じ、木に実が生じることから、血脈(しむ)の蝕(むしばみ)から過ちが生じたことのたとえ。
「実木」は母・伊弉冉尊、父・伊弉諾尊をも象徴しているのではないか。
荒(あら)ぶる恐(おそ)れ    
かく三度(みたび) 肝(きも)に答(こた)えて  
情(なさ)けより さすがに濡(ぬ)るる  
伊吹戸主神(いぶきぬし) 血脈(しむ)の蹲(つくば)ゑ うずくまること。しゃがむこと。
とも涙(なんだ) 駒(こま)より降(お)りて  
素戔嗚尊(そさのを)の 手お引き起こす  
「血脈(しむ)の縒(より) 天癒(あい)ゑることは  
のちの忠(まめ) 功(いさおし)成(な)せば  
晴(は)れやらん われお助(たす)けて  
一道(ひとみち)に 益人(ますひと)討(う)たば  
忠(まめ)なり」と 打ち連れ宿る  
佐太の宮 法(のり)を定(さだ)めて 戦法を定めて、の義か
ハタレ根も 白人胡久美  
大蛇らも 討ち治めたる  

【4】琴の起源、六弦琴・三弦琴・五弦琴〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P467-469 )
趣(おもむ)きお 天(てん)に告(つ)ぐれば  
高天原(たかま)には 弓弦(ゆづ)打ち鳴らし 六弓琴の起源を記す部分
天鈿女命(うすめみ)の 奏でるお見て  
大御神(ををんかみ) 桑(くわ)以て作る  
六弓弦(むゆづ)琴(こと) 賜ふ和歌姫(わかひめ)  
(むつ)に弾(ひ)く 葛(かだ)吹(ふ)き奏(かな)で 六弓弦(むゆづ)と睦(むつ)を掛けている。
女(め)が羽領布(はひれ) その琴の(ね)は 琴の「音」と琴の起源という意味の「根」を掛けている。
伊弉諾尊の 垣(かき)の葛(かだ)打つ  
糸薄(いとすすき) これお三筋(みすぢ)の 糸薄(いとすすき)とは、ススキの狭葉の一種で往々日当たりの良い山地、海岸近くなどに自生し、鑑賞のため庭に植えまたは盆栽とする。・・・・。本文にはこの糸薄の細い葉、あるいは穂が、垣根に巻きついた葛の葉を打ち、発した音から三弦琴(葛垣打琴-かだかきうちこと)を作ったことが記されている。
琴(こと)の音(ね)ぞ 形(かたち)は花と  
葛(くず)の葉(は)お 葛垣(かだかき)と打(う)つ  
五筋(ゐす)琴(こと)は 五臓(ゐくら)に響(ひび)く 五筋琴(ゐすこと)は、むかし竹子姫が自らを恥じ、諸国を琴を弾きながら流浪の旅をされているときに考案された。竹子姫が、琵琶湖のあたりを歩いているとき、霰(あられ)が降って糸薄(いとすすき)の葉に当たり、その音が竹子姫の琴に響いて、妙(たえ)なる音を顕したのです。竹子姫は糸薄の葉を写し琴をお作りになり、名も糸薄打琴と名付けました。それより琵琶湖と島も糸薄となりました。(28-33)
音(ね)お分(わ)けて 地(わ)の天地歌(あはうた)お アカハマナイキヒニミウク・・・のアワ歌。
教(をし)ゆれば 琴の音(ね)通る  
五薄(いすき)打(う)ち 六筋(むすじ)の琴(こと)は 六弦琴
酔(ゑ)ひ眠る 大蛇に六(む)つの  
弓弦(ゆづ)かけて 八雲打ちとぞ 素戔嗚尊が大蛇退治のときに用いた「ユヅの黄楊櫛(つげぐし)」の「ユヅ」と関係するか。
八雲打琴(やぐもうちのこと)。
名付くなり 葛(かだ)吹(ふ)き奏(かな)で  
女(め)が衣領布(はひれ) これも手段(てだて)の  
名にし合う    

【5】素戔嗚尊が許され、再び宮中へ〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P469-469 )
  山田県(やまだあがた)お  
望高命(もちたか)に 賜(たま)えば阿波(あわ)の 伊吹戸主命の諱
伊吹戸神(いふきかみ) 諸神議(もろかみはか)り  
素戔嗚尊(そさのを)が 心およする  
血脈(しむ)の歌 身の塵(ちり)干(ひ)れば 天元(あも)に降(ふ)る 吾(あ)が蓑笠(みのかさ)ゆ シムの実木(みき) 三千日(みちひ)はさまで 荒(あら)ぶる恐(おそ)れ
禍(が)は消えて 賜(たま)ふ璽(おしで)は  
氷川神(ひかはかみ) ハタレ根お討つ  
功(いさおし)や そこに本居(もとゐ)お  
開くべし 八重垣幡(やゑがきはた)も 「八重垣」は天照神の八方を垣となって守護する忠臣を表す言葉。「八重垣剣」もこれと同様の思想を負っている。
賜(たま)はれば ふたたび上る 再び宮中に上ることが出来るようになった

【6】素戔嗚尊の宮造りと奇杵命の誕生〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P469-469 )
天(あめ)晴(は)れて 敬(うやま)い申(もふ)す  
奇(く)し日より 清埴(すがは)に築(きづ)く 『日本書紀』に「遂に出雲の清地(すが)に至ります」。『古事記』に「其地に宮を作りて坐しき。故、其地をば今に須賀(すが)と云う」。『出雲国風土記』に須我社(すがのやしろ)、須我山(すがやま)、須我小川(すがのおがわ)がみえる。島根県大原郡大東町海潮に須賀神社がある。
祭神は須佐之男命、清湯山主(すがゆやまぬし)三名(みな)狭漏彦(さるひこ)八島野命(やしまのみこと)、稲田比売命、建御名方命の四柱。
宮の名も 櫛稲田宮(くしいなだ)なり  
細矛国(さほこくに) 変(か)えて出雲(いづも)の  
国はこれ 天の道(みち)以(も)て  
民(たみ)安(やす)く 宮(みや)ならぬ間(ま)に  
稲田姫(いなだひめ) 孕(はら)めば歌(うた)に  
八雲立つ 出雲(いづも)八重垣(やえがき) 本紋(9-2)にみえる簸川川上の八重谷に立ち上る叢雲のこと。
「八雲立とは、かの八岐大蛇の居る所に常に八色の雲ありしその心なり」
八重垣とは、素戔嗚尊が己の諸業を反省し、天照神の忠臣となることと、また天照神から賜った八重垣幡(やえがきのはた)のこと、早子の化身である八岐大蛇から妻を守るための、八重の垣を張り巡らすことを掛けている。
妻籠(つまこ)めに 八重垣(やえがき)作る 「妻籠めに」七紋(7-12)の天照神の御製のごとく、妻を娶り、天を巡る日月のように夫婦となって心を和(やわ)す、またさらには、櫛稲田宮を造っている最中に妻が身籠った子種を、八岐大蛇から守護する決意。
そして妻を天照神にたとえ、大君を守護する決意など、もろもろの意味が込められている。
「八重垣作る」八重垣を作ることに宮を築くことを掛けている。
素戔嗚尊の乱行は、七紋(7-8・9)に示されているように自分の宮がなかったことが大きな一因となっている。
その八重垣(やえがき)わ   最後が「」で結ばれていることが重要。七紋(7-12)の天照神の御製は「やわ」すことの重大さを諭すものであった。
その教えを充分悟り知ることができたという意を表すために、「八雲立」と「」の音ではじめ、「八重垣わ」と「」で終わる歌を作ったと考えられる。
なお『日本書紀』では「や雲たつ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣ゑ」となっており、『古事記』では「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」となっている。
この歌お 姉に捧げて 昼子姫
八雲打ち 琴の奏でお 「八雲打ち」という琴の奏法を昼子姫が伝授する
授(さづ)かりて 歌に合(あわ)せる  
稲田姫(いなだひめ) ついに奇妙(くしたえ)  
顕(あら)はれて 八重垣(やえがき)打(う)ち  
琴歌(ことうた)ぞ 生む子の諱(いみな)  
奇杵命(くしきね)は 琴(こと)に優しく 「くしきね」は「奇しき音」の義でもある。
俗称大黒大国の名で知られる。
「琴(こと)に優しく」殊に優しくの義でもある。
治(をさ)むれば 流れお汲める  
諸が名も 八嶋(やしま)シノミの 『日本書紀』本文に素戔嗚尊が生んだ子として「清(すが)の湯山主(ゆやまぬし)三名(みな)狭漏彦(さるひこ)八嶋篠(やしましの)」と号(なづ)く。
一(ある)に云はく、「清(すが)の繁名(ゆひな)坂軽彦(さかがるひこ)八嶋手命(やしまでのみこと)」という。又云はく、「清(すが)の湯山主(ゆやまぬし)三名(みな)狭漏彦(さるひこ)八嶋野(やしまの)」という。
この神の五世(いつよ)の孫(みまご)は、即ち大国主神なり、とみえる。
27紋(27-25)をみると、奇杵命より五代目の大物主蕗根命が大己貴を名乗っていることがわかる。
本書において、他の大物主が大己貴と名乗った明文はないが、本文に「流れを汲める 諸が名も」とあることより、奇杵命の血脈を受け嗣ぐ大物主、あるいは事代主が大己貴を襲名しているのではないかと推測される。
大己貴 次は大年(おおとし) 大年倉結命
倉結命(くらむすび) 次は葛木(かつらぎ)  
一言主命(ひとことぬし) 次は酢芹姫(すせりめ) 葛木一言主命・酢芹姫
五男三女(ゐをみめ)ぞ    

【7】奇杵命は少彦名命と共に国巡り〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P471-472 )
  君奇杵命お 天照神
大物主(ものぬし)に 竹子姫(たけこ)お妻と 天照神と早子の間に生まれた三女神の長女。琵琶湖で糸薄打琴を考案する。
なして生む 兄は奇彦命(くしひこ) のちに事代主、大物主を歴任する。
俗称恵美須(えびす)で知られる。
女(め)は高子姫(たかこ) 弟(おと)はステシの  
高彦根命(たかひこね) 奇杵命(くしきね)淡国(あわ)の 『日本書紀』には「出雲国の五十狭狭(いささ)の小汀(をはま)」、『古事記』には「出雲のミホの御前に坐す時」となっているが、小笠原通當の『秀真政伝』は「是少彦名命佐々木宮にて普く導居玉ふ折ふし湖水遊に行玉ふ所にて大己貴神に出合玉ふの所なり。正伝記に淡海佐々木の汀とあり出雲にあらず」とみえる。
笹崎(ささざき)に 白斂(かがみ)の船に 『古事記』には、「羅摩船(かがみふね)」とあり、「羅摩(かがみ)」とは「カガイモ」のこととされる。『日本書紀』には「白斂(かがみ)の皮を以て舟に為(つく)り」とみえる。 「白斂(かがみ)」とは「ヤマカガミ」のこと。
乗り来るお 問えど答えず  
久延彦命(くえびこ)が 「神皇産霊命(かんみむすび)の  
千五百子(ちゐもこ)の 教(をし)ゑの指(ゆび)お  
漏(も)れ落(お)つる 少彦名命(すくなひこな)は  
これ」といふ 奇杵命(くしきね)篤(あつ)く  
恵(めぐ)むのち ともに努(つと)めて  
遷し国 病めるお癒し 「うつし」はこの世、現実の世界の義とされる。
しかし文脈から考えると「遷し国」とも考えられ、本紋註71に引く『三笠紀』逸文にも「大己貴命 少彦名命も 共々に 国々巡る」とみえ、あるいは十紋には、出雲の地から津軽に居を遷し「ウツシクニタマ」という称号を得ていることから、ここでは「遷し国」の義と思われる。
鳥(とり)獣(けもの) 穂汚虫祓ひ  
恩頼(ふゆ)おなす 少彦名命(すくなひこな)は  
淡嶋(あわしま) 葛垣打琴(かだがき)習(なら)い 「淡嶋」とは「淡路島」のことで、近江多賀宮の伊弉諾尊をさす。
葛垣打琴は、伊弉諾尊が生み出したもの。
雛祭り 教ゑて至る  
加太の浦 淡嶋神ぞ 和歌山市加太に淡島神社がある。
祭神は少彦名命と大己貴命。婦人病に霊験のある神として広く信仰される。
当社の3月3日の例祭に行われる雛流しの行事は有名である。
また「あわしま」は淡島明神の小宮をたずさえたり、背負ったりして、その由来を語り、門付けをして歩いた行者のことをさす。
これは、少彦名命が雛祭りを民に教えながら諸国を廻ったという『秀真伝』の伝承と関連があるものと思える。

【8】奇杵命が一人で国巡り、肉食を許す〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P472-473 )
大己貴命 一人巡りて 『古語拾遺』からの引用と『三笠紀』の逸文
民(たみ)の糧(かて) 毛肉(けしし)許せば  
肥(こゑ)つのり みな早枯(はやか)れす  
稲(ぞ)は穂虫(ほむし) 奇杵命(くしきね)馳(は)せて  
これお問ふ 下照姫(したてるひめ)の 「下照姫」は和歌姫のこと。(1紋)
教(をし)え草 習い帰りて  
玄参(をしくさ)に 扇(あふ)げは穂(ほ)汚(お)の  
虫去りて やはり若(わか)やぎ  
稔(みの)るゆえ 娘(むすめ)高子姫(たかこ)お  
奉(たてまつ)る 天国魂命(あまくにたま)の  
小倉姫(おくらひめ) これも捧げて  
仕えしむ 下照姫は 和歌姫
二(ふた)青女(あおめ) 召して楽しむ  
八雲打琴(やぐもうち) 大己貴命には  
奇彦命(くしひこ)お 大物主(おおものぬし)の  
代(かわ)りとて 事代主(ことしろぬし)と  
仕(つか)ゑしめ 己(おの)は出雲(いずも)に  
教(をし)ゆるに 一二三六百八十(ひふみむもやそ)  
二(ふ)俵(たわら)の 胙(ひもろげ)数(かぞ)え 「胙」神に供える神饌の義とされる。ここでは食料のことか。
種袋(たねふくろ) 槌(つち)は培(つちか)う 穀物の種袋を背負い、培うための御宝としての槌を持ちながら民に農耕を教え歩かれたのでした。
御宝(をんたから) 飢(う)ゑ足(た)す糧(かて)も  
倉(くら)に満(み)つ 雨風(あめかぜ)旱(ひで)り  
稔(みの)らねど 天糧(あたたら)配(くば)り 「アタタラ」の「ア」は「天」、「タ」は助く、「タラ」は足らすの義か。
飢(う)ゑさせず    

【9】高子姫が高照姫、小倉姫が下照姫〜御機の九「八雲討ち琴造るの紋」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の九「八雲討ち琴造るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P473-474 )
  のちに和歌姫(わかひめ)  
日足るとき 八雲打琴(やぐも)五薄打琴(いすすき)  
葛垣打琴(かだがき)お 譲(ゆづ)る琴(こと)の音(ね)  
高子姫(たかひめ)お 高照姫(たかてる)となし  
若歌(わかうた)の 雲櫛文(くもくしふみ)は 和歌の奥儀を記した文
小倉姫(おぐらひめ) 授(さづ)けて名おも  
下照姫(したてる)と なして和歌国(わかくに)  
玉津島(たまつしま) 年徳神(としのりかみ) 後世「としとくじん」と呼ばれ、年の始めに祭る神とされている。別称歳神(としがみ)ともいい、民間伝承では男女の神とも考えられている。歳によってその来訪の道が異なり、その明き方、または恵方(えほう)という。
「玉津島」和歌山市和歌浦に玉津島神社がある。祭神は稚日女尊ほか三柱。古来から和歌浦和歌の神として上下の尊崇厚く、皇室から奉納の法楽の和歌その他を蔵す。
讃(たた)ゑます 出雲(いずも)八重垣(やえがき)  
大己貴命(おおなむち) 八重垣琴(やえがき)打ちて  
楽(たの)しむる 百八十一(ももやそひ)人(たり) 出雲に八重垣の宮を築かれた素戔嗚尊の御子・大己貴命は八重垣琴の音を楽しみ、181人もの多くの御子に恵まれたのでした。
子に満(み)つるかな