御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|秀真伝

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御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕

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御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕の概略

【1】別雷天君から火々出見尊へ、火々出見尊の帰還

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P99-101 )
     

【2】豊玉姫が北津で出産、御子名は鵜葺草葺不合

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P101-103 )
これの先 后(きさき)孕(はら)みて  
月(つき)臨(のぞ)む 故(かれ)に「あとより  
鴨船(かも)おして 北津(きたつ)に行かん 福井県の敦賀のこと
わがために 産屋(うぶや)おなして  
待ち給え」 故(かれ)松原(まつばら)に 福井県の敦賀にある気比の松原。
この近辺の神社は神明神社に統合されたという。
産屋(うぶや)葺(ふ)く 棟(むね)合(あわ)ぬ間(ま)に  
鴨船(かもふね)着(つ)きて 早(はや)入(い)りまして  
御子(みこ)お生(う)む 勝手神(かって)は椅子(いす)も  
     
天児屋根神(こやねかみ) 諱(いみな)考(かが)えて  
鴨仁尊(かもひと)と 母(はは)より渚(なぎさ)  
武鵜葺草(たけうがや) 葺不合尊(ふきあわせず)の  
名(な)お賜(たま)ふ ゆえは千座(ちくら)に 「チクラ」は、舳羅・筑羅と記され、朝鮮と日本の潮界にあたる海。
その語源は、朝鮮と対馬の間にある瀆盧(とくら)〔巨済島の古称〕の転訛という説もみえるが、距離的ぬは遠すぎる。
鴨船(かも)割(わ)れて 姫(ひめ)も建祗命(たけすみ)  
穂高見命も 渚(なぎさ)に落(お)ちて  
溺(おぼ)るるお 猛(たけ)き心(こころ)に  
泳(およ)がせば 竜(たつ)や蛟(みづち)  
力(ちから)得(え)で 恙(つつが)も波(なみ)の 「力を借りないで」という意味
磯(いそ)に着(つ)く 釣舟(つりぶね)よりぞ  
美保崎(みほさき)の 鰐船(わにふね)得(え)てここに  
着くことも 御種(みたね)思(おも)えば  
渚(なぎさ)猛(たけ) 母(はは)の御心(みこころ)  
顕(あら)はるる    

【3】産屋を覗いた火々出見尊、罔象女宮に隠れる豊玉姫

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P103-105 )
  君松原に 彦火々出見尊。鵜葺草葺不合尊が生まれた敦賀湾岸の気比の松原
この近辺の神社は神明神社に統合されたという。
涼(すヾ)み来て 産屋(うぶや)覗(のぞ)けば  
腹這(はらば)ひに 装(よそ)ひなければ  
枢(とぼそ)引(ひ)く 音(おと)に寝覚めて 枢とは開き戸の、かまちの上下の端に突き出た部分。これが回転軸となって戸が開閉する。
恥(はづ)かしや 弟(おと)建祗命(たけずみ)と 建祗命は豊玉姫の弟で、玉依姫神の父。
六月(みなづき)の 禊(みそぎ)してのち  
産屋(うぶや)出て 遠敷(をにふ)に至り 福井県遠敷郡(おにゅうぐん)。
滋賀県と京都府の県境をなす。
御子(みこ)抱き 眉目(みめ)見手(みて)撫でて  
「母は今 恥(はぢ)帰るなり  
真見(まみ)ゆ折 もがな」と捨てゝ  
朽木川(くちきかわ) 上(のぼ)り山超(やまこ)え 滋賀県高島郡を流れる安曇川の中流を朽木川という。
やゝ三日(みか) 別雷山(わけつち)の峰(ね)の 別雷山とは、貴船山のこと。
罔象女神(みずはめ)の 社(やしろ)に休(やす)む  京都市左京区貴船町に鎮座する貴船神社のこと。
 貴船神社(本宮)貴船神社(奥宮)がある。
 貴船神社(結宮)
= 中略 =  

【4】火々出見尊の大嘗ヱ

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P105-105 )
     

【5】葵桂によって豊玉姫を説得する瓊々杵尊、竜君

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P106-108 )
明(あく)る年 太上(おゝゑ)天皇(すべらぎ) 皇位を退いた瓊々杵尊
別雷山(わけつち)の 葵桂(あおいかつら)お  
袖(そで)に掛(か)け 宮(みや)に至(いた)れば  
姫(ひめ)迎(むか)ふ 時に葉(は)お持(も)ち  
「これ如何(いかん)」 豊玉姫(とよたま)答え  
「葵葉(あおいば)ぞ」 「またこれ如何(いかん)」  
「桂葉(かつらば)ぞ」 「いづれ欠(か)くるや」  
「まだ欠(か)けず」 「汝(なんじ)世(よ)お捨(す)て  
道(みち)欠(か)くや」 姫(ひめ)は畏(おそ)れて  
「欠(か)かねども 渚(なぎさ)に泳(およ)ぐ 出産のため北津に向かうとき、千座で鴨船が割れて渚に落ちて美保崎まで泳いだことを指す。
嘲(あざけ)りに 腹這(はらば)ひの恥(はぢ) 御子を産んで横たわって休んでいる姿を火々出見尊に見られてしまったこと
重(かさ)ぬ身(み)は あに上(のぼ)らんや」  
「これ恥(はぢ)に 似て恥(はぢ)ならず  
しかと聞け 子を生むのちは  
ちなみ断(た)つ 七十五日(なそゐか)に養(た)す  
慎(つつ)しまず さら断(た)ち養(た)せず  
勝手神(かってかみ) かねて申(もふ)すお  
覗(のぞ)く恥(はぢ) 汝(なんじ)にあらず  
竜の子 千穂(ちほ)(うみ)に住み 竜の子は、千年は海に住みタツタ知る
タツタ知る 千穂(ちほ)(やま)に住み 千年は山に住み
竜(たつ)降(ふ)ると 千穂(ちほ)(さと)に住み 千年は里に住み、ツクバなる。
ツクバなる 三(み)生(い)き悟(さと)りて 三つの生き方を悟る。
君となる 汝(なんじ)渚(なぎさ)に 竜の君
落(お)ちんとす 御種(みたね)思(おも)えば  
猛心(たけごころ) なして泳(およ)ぎて  
永(なが)らうる これ地息(わいき)知(し)る  
宮(みや)に立(た)ち 振(ふ)りて嘲(あざけ)り  
免(まぬが)るる これ天息(あいき)知(し)る  
今(いま)一(ひと)つ 葵桂(あおひかつら)の  
伊勢(いせ)お得(ゑ)ば 人息(ひとい)お悟(さと)る  
三(み)つ知(し)れば 竜君(たつきみ)ごとく  
神(かみ)となる」 「竜君(たつきみ)如何(いかん)」  
「竜(たつ)は鰭(ひれ) 水(みず)知(し)るゆえに  
鱗君(うろこきみ) 神祇鬼(かんつみおに)お  
三(み)つ知(し)れば 人(ひと)は神(かみ)なり」  
姫(ひめ)は恥(はぢ) 陥(おちい)りいわず  
美穂津姫(みほつひめ) 行幸(みゆき)送りて 奇彦命(奇杵命の子)の妻で子守神の母
こゝにあり 問えば喜び  
答え問う 美穂津姫(みほつ)諾(うなづ)き  
「太上(おゝゑ)君(きみ) 心(こころ)な痛(いた)め  
給(たま)ひぞよ 君(きみ)と姫(ひめ)とは  
日と月と 睦(むつ)まじなさん」  
申すとき 大君(おゝきみ)笑(ゑ)みて  
建祗命(たけづみ)に 豊玉姫(とよたま)養(た)せと  
川合(かわあい)の 国(くに)賜(たま)わりて 下賀茂神社(賀茂御祖神社)の南側に河合神社(祭神:玉依姫神)が鎮座する。
谷(たに)お出(で)て 室津(むろつ)に亀船(かめ)の  
迎(む)い待つ 門出(かどい)で送(おく)り  
行幸(みゆき)なす    

【6】瓊々杵尊の遺言

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P108-110 )
  君(きみ)ゑ大君(ををきみ) 彦火々出見尊に瓊々杵尊が。
遺(のこ)し言(ごと)   遺言を残す。
= 中略 =  
豊玉姫(とよたま)は 別雷山(わけつちやま)に 貴船山で邇々杵尊の喪祭りを行う。
喪(も)は四十八日(よそや) 年(とし)の祭(まつ)りも  
御饗(みあえ)なす   この後に豊玉姫は再び宮入。

【7】彦火々出見尊から豊玉姫への歌、和歌の神力

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十六〔鵜葺草葵桂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P110-112 )