神明神社 旧鎮座跡【5】記録に残しておきたいメモ書き|福井県

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記録に残しておきたいメモ書き

「丹波の国から・・」という伊勢神宮遷宮伝承が残されている・・

 穴馬の伝説と民話のコンテンツからの引用です。

  ↓一番よく伝承がまとめてあると思います。

 伊勢三ケ村

 九頭龍川の支流伊勢川の谷間にある。
 「越前国名蹟考」に「上中下三カ村本枝不知」とあり、三村に分かれていた。
 上伊勢、中伊勢、下伊勢と通称される。
 西の伊勢峠を越えて西の谷(現大野市)に通ずる穴馬道沿いにあり、峠下集落の機能を持っていた。
 上流の字大伊勢にある神明社(祭神 天照皇太神)は、伊勢神宮が今の地に移る前に、一時この地にあったと伝え、村人は(皇太神宮)と呼ぶ。
 本殿の神体は十一面観音で、室町後期の作であると云う。村は浄土真宗の門徒で、上伊勢、中伊勢、下伊勢に各道場があった。
 そのうち下伊勢道場には天文六年(1537)八月付の画像本尊が伝えられた。
下伊勢には天正九年(1581)の教如書状があり、伊勢、下伊勢などの名が見えるが、偽文書との見方も多い。
中伊勢からは、縄文時代中期から後期に属する遺跡が発見され、磨製石斧、石棒、土器などが検出されている。

 (伊勢皇太神宮にまつわる伝承)

► 昔、丹波の国からここへお伊勢さんが移って来た。そして全国の人が御参りに来た。当時は三十六社(又は46社)あって栄えていた。その後本社が三重の伊勢に移り、ここに奥の院、八幡様、薬師如来の三社が残った。
その他にも末社があったが、だんだんさびれたので、末社の神様は、お祓い杉の根元に埋めた。百年ほど前は、壊れたご神体を拝むことが出来たが、今はふさがって見えない。
► お伊勢さんには別伝がある。
 ヤマトタケルのミコトの時代に、ヤマトヒメノミコトが戦乱を避けて五十年日本中を逃げ歩いていた。その時穴馬の伊勢にも数年滞在した。
► 明治維新までは、三重県の伊勢から二-三十年毎に大太夫がお参りに来た。大太夫は供を七人連れて来て、庄やの岸名(高橋次郎)の家に泊まった。宿にはチリメンの幕をはり、宿からお宮さんに参る道にはバラス敷き(あるいは盛砂をして)両側にアサガラを植えて、シバガキを作った。その道を大太夫は衣冠束帯で参拝、太夫(村にいる神主)達はエボシ姿で案内した。拝殿を昇り、奥の院の前の四角石、これを拝石という。その石の上にコモを敷き、その上に座ってノリトする。
 拝石の上には他の人は昇らせない。今でも普通の人が、ここに座るとバチが当たるという。その夜はアワモチをついて、太夫やお供に祝いした。岸名には、今でも大太夫をごちそうした時のお膳がある。
► お宮さんには神様の御用金がいけてある。その場所は、歌で示されている。
 「立てば前、座ればうしろ、朝日もさすが、夕陽もさす、白いつつじの下にある。」
 どこにあるか夢にでも見たいと村の人が思うがなかなか見つからない。ある人が夢に見て、堀に言ったが何も出なかった。  朝日さし、夕陽さすところとあるから、山の手に違いない。
 座れば後ろというのだから、斜面になったところだろう。
► 下伊勢の神田(しんでん)と云う所は、松原で、昔は神社がたくさんあったらしい。和泉式部が、ここに参って乳をしぼった。  その跡が(式部田)と云う田になっている。この田の稲株を煎じて飲むと、女の人の乳が良く出るようになる。

 ↑以上が穴馬の伝説と民話のコンテンツからの引用でした。

【地図】九頭龍湖東南にある伊勢

元伊勢伝承が残されている・・

 元伊勢の原像(一) −廃村に立つ石碑−からの引用です。

 どうやら倭姫命が日雲、坂田宮の後に遷幸されたとする美濃国の「伊久良河宮(いくらかはのみや)」の比定地のようだ。このような山間部に元伊勢伝承が残されているとは思いもよらなかった。

火の国とは・・

 火、動いて水、中心が歓喜。
 光、動いて影、中心が歓喜。
 熱、動いて暗、中心が歓喜。
 日、動いて月、中心が歓喜。
 陽、動いて陰、中心が歓喜。

 火の国とはウとムが和したムであり、極小と極大が和した超完成かつ超未完成の国。
 歓喜の国
 弥栄の国
 根源の国

 火の国の燃えカスである黒煙は、この世では金(きん)と現れるらしい。

ベルゼブブ・黒煙・「黒煙を忌み嫌う心」・九頭龍

    〜平成20(2008)年12月29日(月曜日)の夜から12月31日(水曜日)にかけて記述〜

 火の国の歓喜の結果、周辺に黒煙が生じる。いわゆる火の国の燃えカス、ススだ。

 (※)しかし、この火の国の燃えカス、ススがないと物質界は誕生しない。

 この黒煙の世界にも
 火の国の光と熱が届けられているのだが、熱は届いても光は届ききらなかったのだ。

 この黒煙の発生について永遠の楽園の住人は無知であった。

 そのため、永遠の楽園のなかに「黒煙を忌み嫌う心」が生じてしまった。
 光が行き届く世界においては、「黒煙を忌み嫌う心」は浄化しえたのだが、光が行き届かない黒煙の世界では浄化し切れなかったのだ。

 永遠の楽園のなかの「黒煙を忌み嫌う心」が黒煙の世界にも到達した。

 その結果、黒煙を慈しみ育もうとした「光の当たらない熱のベルゼブブ」は、「黒煙を忌み嫌う心」をも育ててしまったのだ。
「黒煙を忌み嫌う心」は黒煙発生源である火の国を嫌う九頭龍として現れてしまった。
 九頭龍の実体は「光の当たらない熱」(ベルゼブブ)の中で、「黒煙を忌み嫌う心」が火の国の燃えカス(物質界の源になる素子)を得て、物質的に実体化したものである。

 九頭龍が生まれたことによって、ベルゼブブは慈愛の座から転落してしまった。

 ベルゼブブは光と熱の関係を破壊しにかかり、
 九頭龍は、黒煙を生じさせる火の国を破壊しにかかった。
 火の国がなければ、黒煙は生じないし、光と熱も生じないからである。

 神代に九頭龍は持子という女性に転生させられた。

 神代に九頭龍は持子という女性に転生させられ、そして天照神との間に、ある男の子を生んだ。
 九頭龍発生の原因となった「黒煙を忌み嫌う心」を九頭龍・持子の子として表現したのだ。
 内から外に表現された「忌み嫌う心」は、「忌み嫌った」元なる世界を亡くそうとする性質をもっている。  つまり、九頭龍・持子の子というふうに外に表現されたものは、火の国や高天原を滅ぼそうとする性質の象徴になっているといえるかもしれない。

(1)九頭龍・持子の子とは火の国の「黒煙を忌み嫌う心」の神格化である。

 九頭龍・持子の子には「火の国や高天原を滅ぼそうとする性質」を改める機会が何度も与えられたのである。
 母・持子が天照神を亡き者にし、自分を皇位に就かせようとしたとき、子の立場として母・持子を諭すことのできる能力が与えられていたはずである。
 母・持子が天照神を亡き者にし、自分を皇位に就かせようとした責任は、母・持子にあるのであって自分は知らないことであったという立場をとったのではないか?
 八岐大蛇・早子の子の三女神(宗像三女神といわれる竹子姫・湍子姫・田奈子姫)が母・早子の罪を晴らすために日本各地を回ったのとは対照的である。

(2)九頭龍・持子の子は、生まれながらにして火の国や高天原を滅ぼそうとする性質がある。

 だから、九頭龍・持子の子には、  火の国や高天原を滅ぼそうという性質を改め、天照神に帰順する機会を何度も与えられたのだ。
 大国主命の国譲のとき真っ先に高天原から派遣されたのは、母・持子の九頭龍の罪を償えるだけの能力をもっていると認められていたからであった。
 九頭龍・持子の子の能力からすれば、大国主命の帰順は難しい課題ではなかったはずである。
 ところが、九頭龍・持子の子はここでも大国主命の甘い誘いに乗り、天照神の神命があるにも関わらず3年ものあいだ復命しなかった。
 「火の国」や高天原を滅ぼそうという本来克服すべき性質を乗り越えることができなかったのだ。

(3)大国主命の国譲りの後、九頭龍・持子の子に出雲統治が託された。

 出雲とは「出る雲」。
 火の国の歓喜の燃えカスが発生するところ、という意味かもしれない。
 つまり、
 九頭龍・持子の子の本来の出自に因縁を持つ場所で「火の国」や高天原を滅ぼそうという性質を改める最後の機会を与えられたのだろう。

 九頭龍・持子の子よ、

 あなたは伊邪那岐命・伊邪那美命、天照大神、素盞鳴命、須佐之男命、大国主命を始めとする万神の注目の的になっているのである。