神社に掲載されている由緒書き
神社に掲載されている由緒書き
当宮は敦賀市の市街地の東北に位置し、元官幣中社の社格である。
この金崎山は、気比人宮司・氏治の居城でもあり延元2年(1337年)3月6日落城す。
その時城中に在られた尊良親王(たかながしんのう)は自刃され、義顕・氏治の将兵300余人も殉し果てた。
皇太子・恒良親王(つねながしんのう)は逃れられるも後に幽閉され、翌年京都にて他界される。
金崎城落城後556年を経て明治26(1893)年、敦賀の人々の熱烈なる請願によって尊良親王(たかながしんのう)恒良親王(つねながしんのう)を祭神に社殿を金崎宮として鎮座されたのが本宮である。
又落城の時、殉難した将士を祀る絹掛神社は、これら将士の子孫の有志を募り・・・
神社に掲載されている金ヶ崎城跡の説明書き
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