賀茂御祖神社の南側に出雲井於神社【1】ここだけは紹介しておきたい!

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京都府京都市左京区下鴨泉川町59( マピオンによる広域地図
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思い出の写真集(旅行の記録)

神武天皇の母・玉依姫の誕生・・

 玉依姫は、紀元前178,625年ごろ、河合の館(河合神社がある)で誕生された。

 鴨建祗命と磯依姫は河合の館(河合神社がある)に住んで13鈴(72万年)経つが、子供ができなかった。
 それで、別雷神(賀茂別雷神社のことか)にお祈りされた。
 すると、その夜の夢に玉が現れ、すぐに子供ができたのでした。
 その子を玉より生まれた姫という意味で、玉依姫と名付けられた。
 玉依姫の誕生には、別雷神(賀茂別雷神社のことか)の力が加わっている。

  『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七「御祖神船魂の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P139-141 )

これの先 鴨建祗命  
磯依姫(いそより)と 十三鈴(そみすず)までも 72万年経っても子が生まれない。
子無きゆえ 別雷(わけつち)神 瓊々杵尊。玉依姫が瀬見の小川(賀茂川)の辺で遊んでいた時、川上より丹塗矢が流れてきたので取って床に置き、ついに孕んで男子が生まれた。御子の夢の告げにより祭られたのが現在の賀茂別雷神社であるという伝説がある。
祈る夜の 夢に賜(たま)わる  
玉の名も 玉依姫 玉依姫は、紀元前178,625年ごろ、河合の館(河合神社がある)で誕生された。
生みてのち 養(ひた)して齢(よわひ)  
十四鈴(そよすず)に 両親(たらちね)ともに 紀元前118,625年ごろ、
神となる 河合(かわい)の神ぞ  
玉依姫 喪祭りなして  
ただ一人 別雷(わけつち)神に  
また詣(もふ)で 斎(ゆゆ)捧(ささ)ぐれば  
ウツロイが 疑(うたが)ひ問(と)わく  
「姫(ひめ)一人 別雷(わけつち)神に  
仕(つか)ふかや」 答え「しからず」  
また問(と)わく 「世(よ)にちなむかや」  
姫答え 「何者なれば  
落さんや われは神の子  
汝は」と いえばウツロヰ  
飛び上がり 鳴る神してぞ  
去りにける ある日また出(い)て  
禊(みそぎ)なす 白羽(しらは)の矢(や)来て  
軒に刺す 主(あるじ)の汚血(おけ)  
止まりて 思わず男(を)の子(こ)  
生み育つ 三歳(みつ)なるときに  
矢お指して 父というとき  
矢は上る 別雷(わけいかつち)の  
神なりと 世に鳴り渡る  
姫(ひめ)御子(みこ)お 諸神(もろかみ)請(こ)えど  
諾(うなづ)かず 高野の森  比叡山の西方に神建祗命が降臨されたと伝わる御蔭山があり、西北麓に御蔭神社がある。さらに西北には高野川が流れている。
 高野の森とはこの辺りか?
隠(かく)れ住む 別雷神(わけいかつち)の  
祠(ほこら)なし 常(つね)に御影(みかげ)  
祭るなり    

五瀬尊の誕生、玉依姫が五瀬尊の養育・・

 八瀬姫は、紀元前66,043年に五瀬尊を生み、すぐ神上がられた。

 そのため、五瀬尊に御乳を差し上げる御乳姫を求めるお触れが出された。
 そのお触れを見た民が、玉依姫のことを告げた。
 紀元前66,043年、玉依姫が鵜葺草葺不合尊の内侍となり、五瀬尊の養育に当たられた。

 紀元前711年、玉依姫神が内宮となり神武天皇を生む。

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七「御祖神船魂の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P137-143 )

  四十九(よそこ)の鈴(すず)の  
九百十一(こもそひ)枝(ゑ) 初穂(はつほ)キアヱの  
初三日(はつみか)に 天児屋根命(こやね)申さく  
「君は今 御祖(みをや)の道に  
治(をさ)むゆえ 人草(ひとくさ)の親(をや)  
天地(あめつち)の 神(かみ)も降(くだ)れば  
御親神(みをやかみ) 世々の御祖(みをや)の  
嗣子(つぎこ)無し 十二(そふ)の后も  
如何(いか)なるや」 時に天君  
「われ思ふ 十三(そみ)鈴(すず)老(を)いて  
種(たね)あらじ」 子守神(こもり)申さく  
「世嗣(よつぎ)文(ふみ) あり」とて天(あま)の  
押雲命(おしくも)に 勅(のり)して世嗣(よつぎ)  
社(やしろ)なす 時に押雲命(おしくも)  
「な当てなし」 天児屋根命(こやね)太占(ふとまに)  
占(うら)なえば 八瀬姫(やせひめ)良けん  
ヤヒの意(ゐ)は 中の屋となる  
シのハラは 母と孕める  
屋(や)の局(つぼね) 内女(うちめ)は中(なか)の  
位(くらい)なり」 年も若葉(わかば)の  
八瀬姫(やせひめ)お 十一(そひ)の后(きさき)も  
みな祝(いは)ふ 押雲命(おしくも)清(きよ)め  
世嗣(よつぎ)社(や)に 祈れば印(しるし)  
孕み得て 十五月(よゐつき)に生む  
五瀬君 八瀬姫(やせひめ)宮(みや)に  
入(い)るる間に つい神となる  
御乳(おち)なくて 触(ふ)れ尋(たづ)ぬれば  
= 上記の「神武天皇の母 玉依姫の誕生・・」に記載 =  
  御触(みふ)れによりて  
申(もふ)さくは 「一枝山(ひゑ)の麓(ふもと)に  
姫(ひめ)ありて 乳(ちち)良きゆえに  
民の子の 痩(や)するに乳(ちち)お  
賜(たま)われば たちまち肥(こ)ゆる  
これ昔 神の子なれど  
隠れ住む 森に五色(ゐいろ)の  
雲起こる 出雲路森(いづもじもり)と  
名付くなり」 諸神(もろかみ)請(こ)えど  
参(まい)らねば 「清雄鹿なされ  
しかるべし」 時に岩倉命(いわくら)  
伺(うかが)いて 遣(つか)いお遣(や)れど  
来(きた)らねば 自(みずか)ら行(ゆ)きて  
招(まね)けども 諾(うなづ)かぬ由(よし)  
返事(かえこと)す 若山咋命(わかやまくい)が  
申(もふ)さくは 「雄鹿人(をしかど)ならで  
来(こ)ぬゆえは 別雷神(わけつちかみ)お  
常(つね)祭(まつ)る 召(め)せば祭(まつ)りの  
隠(かく)るゆえなり」    
勅(みことのり) 山咋命(やまくい)おして  
召すときに 母子(ははこ)上(のぼ)れば  
見給(みたま)ひて 氏名(うじな)お問えば  
姫答え 「親(おや)の建祗(たけずみ)  
磯依(いそより)が 名付(なづ)く玉依(たまより)  
波提(はで)が孫 子は父もなく  
神なりぞ 父が無ければ  
諱(いみな)せず 出雲(いづも)の御子(みこ)と  
人が呼ぶ」 言葉も精(くわ)し  
透(す)き通(とほ)る 玉の姿の  
輝けば 勅(みことのり)して  
内局(うちつぼね) 五瀬尊(いつせ)養(ひた)せば  
御子(みこ)の名も 御毛入(みけいり)御子(みこ)ぞ  
生む御子は 稲飯(いないい)君(きみ)ぞ  
御后(みきさき)と なりて生む御子  
神日本(かんやまと) 磐余彦(いはれひこ)の  
尊なり