鳥見山中霊畤顕彰碑(とみのやまのなかのまつりのには)【1】ここだけは紹介しておきたい!|奈良県

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奈良県桜井市等弥神社南側( いつもNAVIによる広域地図
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 平成23(2011)年8月16日(火)、桜井市での神武天皇の史蹟

狭井河之上顕彰碑第10代 祟神天皇陵第12代 景行天皇陵磐余邑顕彰碑春日神社(吉備)
桜井茶臼山古墳等彌神社鳥見山の祭祀跡鳥見山中霊畤顕彰碑
下居神社(おりい)倉橋の九頭神社(女神とする)倉橋の九頭龍神社(男神とする)
第32代 崇峻天皇陵赤坂天王山古墳

 鳥見山公園の霊畤(まつりのには)旧跡には2か所が伝えられている

桜井市の鳥見山中霊畤顕彰碑宇陀市の鳥見山公園の霊畤(まつりのには)旧跡

鳥見山中霊畤顕彰碑(とみのやまのなかのまつりのには)

参拝履歴

鳥見山中霊畤顕彰碑(とみのやまのなかのまつりのには)

鳥見山中霊畤顕彰碑

鳥見山中霊畤顕彰碑

駐車場についてから鳥見山中霊畤顕彰碑へ

鳥見山中霊畤顕彰碑

鳥見山中霊畤顕彰碑

【3】天鈴58年1月1日、橿原の宮で神武天皇の即位の大礼、11月大嘗ヱ

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十〔天君都鳥の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P263-268 )
  今(いま)天君(あまきみ)の  
位(くらい)なる 昔(むかし)は御上天君(みうゑ)  御上天君とは瓊瓊杵尊のこと。
 24紋に
 「三種神宝お分けて 授く心は 永く一つに なる由お 紋に印して」〔24−6〕
 と天照神から瓊瓊杵尊への三種神器を分けて授けたこた記されている。
分(わ)け授(さづ)く 今(いま)はなきゆえ 今はその制がないので、という義。
その使(つか)ひ よりて議(はか)れば  
みな曰(いわ)く 日(ひ)の神(かみ)使(つか)ひ  
道臣命(みちおみ)と 月(つき)の使(つか)ひは  
天田根命(あたね)なり 星(ほし)の使(つか)ひは  
天富命(あめとみ)と 忌部(いんべ)賜(たま)わり  神代以来の氏族。
 後世、斎部と改められる。
 忌は斎戒の意で、神事に携わる伴部であったのでこの名が付けられたとされる。
 伊勢、阿波、讃岐、出雲、筑紫などの忌部があって、中央の忌部氏がこれを統括していた。
 その祖を天太玉とする。
 天太玉命は『秀真伝』では、高皇産霊高杵尊の子。
 太玉命の孫とされる天富命は神武天皇に仕え、神物を調え、阿波忌部を率いて東国を拓殖し、安房国に太玉命を奉祀した。
 これが今の安房神社とされる。
 斎部氏の長である斎部首は、鏡・玉・矛・盾・木綿・麻・宮殿などを造るのを職としていた。
禊(みそぎ)なす 時(とき)に橿原(かしはら)  
天皇(すめらき)の 御世(みよ)新玉(あらたま)の  
鈴サナト サヤヱ初日(はつひ)の  天鈴58年。
 日数にキアヱ暦を使用しているのはここで初めてみえる。
おめでたも 筑紫(つくし)の例(ため)し  
可美真手命(うましまち) 十種(とくさ)捧(ささ)げて  
天種子命(あめたねこ) 神代(かみよ)古事(ふること)  
奉(たてまつ)る 七草(ななくさ)糝(みそ)も  
とんど火(ほ)も 神在(かみあり)粥(かゆ)  「とんど火」小正月の火祭り。
行(おこな)われ サアヱ日嗣(ひつぎ)と  正月14日
天富命(あめとみ)は 別雷宮(わけつちみや)の  
剣(つるぎ)持(も)ち 天田根命(あたね)は鏡(かがみ)  
持(も)ち上(のぼ)る    

【6】天鈴61年(即位4年)、天富命に命じて
鴨社を遷し宇陀市榛原の鳥見山に御祖神(鵜葺屋葺不合尊)を祀る

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十〔天君都鳥の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P269-270 )
四穂(よほ)二月(きさら) ネウエのキナエ 天鈴61年(神武即位4年)2月
勅(みことのり) 「御祖(みをや)の神(かみ)の 神武天皇の父・鵜葺屋葺不合尊のこと
都鳥(みやこどり) わが身(み)お照(て)らし  
仇(あだ)平(む)けて みな治(をさ)むゆえ  
天富(あめとみ)に 賀茂社(かも)お遷(うつ)させ  
御祖神(みをやかみ) 祭(まつ)る榛原(はりはら)  
鳥見山(とりみやま) 天田根(あたね)お賀茂(かも)の  
建祗命(たけすみ)の 祭(まつ)り嗣(つ)がせて  
国造(くにつこ)ぞ」 正月(むつき)十一日(そひか)は 天鈴62年(神武即位5年)
県主(あがた)召(め)し 神酒(みき)お賜(たま)はる  
初(はじ)めなるかな    

鳥見山中霊畤顕彰碑の周辺地図

三輪山から大和三山