神武天皇を導いた八咫烏神社【5】記録に残しておきたいメモ書き|奈良県

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奈良県宇陀市榛原区高塚字八咫烏42( いつもNAVIによる広域地図

記録に残しておきたいメモ書き

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八咫烏命とは誰か?

『秀真伝』下巻御機の29「武仁尊大和討ちの紋」(八幡書店、下巻P232-236 )

 動物霊を操る丹敷戸畔(にしきとべ)を誅し、大台ケ原を越える。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』下巻御機の29「武仁尊大和討ちの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P232-236 )
  山路険しく 紀元前663年(即位前3年)
天鈴(あすず)55年
末絶えて 野にしぢまひて  
天皇(すめらぎ)の 夢に天照(あまてる)  
神の告げ 「八咫(やた)の烏(からす)お」  
導きと」 覚むれば八咫(やた)の  
烏(からす)あり 大祖父が穿(うが)つ  
飛鳥道(あすかみち) 軍(いくさ)率き行く  
道臣命(みちおみ)が 峰越え宇陀の  
穿村(うがちむら)    
  = 途中略 =  
  十一月(ねつき)弓張(ゆみはり) 紀元前663年(即位前3年)
天鈴(あすず)55年11月弓張月の日。
磯城彦(しぎひこ)お 雉子(きゞす)に召(め)せど  
兄(あに)来(こ)ず また遣(や)る八咫(やた)の  
烏(からす)鳴き 「天神(あまかみ)の御子(みこ)  
汝(なんじ)召(め)す いざわいざわぞ」  
兄磯城(ゑしぎ)聞き 「厭(いと)うなす神(かみ)  
汚穢(をゑ)ぬとき 仇烏(あだがらす)」とて  
弓(ゆみ)引けば 弟(おと)が屋(や)に行き  
「君(きみ)召(め)すぞ いざわいざわ」と  
烏(からす)鳴(な)く 弟磯城(おとしぎ)怖(お)ぢて  
容(かたち)変(か)え 「神(かみ)の厭(いと)うに  
われ恐(おそ)る ゑゝ汝(なんじ)」とて  
葉盛(はも)り饗(あ)え まゝに至(いた)りて  
「わが兄(あに)は 仇(あだ)す」と申(もふ)す  

『秀真伝』下巻御機の30「天君都鳥の紋」(八幡書店、下巻P261-270 )

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』下巻御機の30「天君都鳥の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P261-270 )
  日の神使ひ 紀元前660年(即位年)
天鈴58年1月1日
道臣命(みちおみ)と 月の使ひは  
天田根命(あたね)なり 星の使ひは  
天富命(あめとみ)と 忌部(いんべ)賜わり  
禊(みそぎ)なす    
  = 途中略 =  
天富命(あめとみ)は 別雷宮(わけつちみや)の  
剣持ち 天田根命(あたね)は鏡  
持ち上る    
  = 途中略 =  
  次春(つぎはる)十一日(そひか) 紀元前659年(即位後2年)
天鈴(あすず)59年
勅(みことのり) 「思えば忠(まめ)は  
可美真手(うましまち) 代々(よよ)物部(ものべ)嗣(つ)げ  
道臣(みちおみ)と 望みのまゝに  
築坂(つきさか)と 久米村(くめ)の地(ところ)お  
賜うなり 珍彦(うつひこ)がこと  
船と埴(はに) 大和国造(やまとくにつこ)  
弟猾(おとうけし) 猛田(たけだ)県主(あがたし)  
黒速(くろはや)は 磯城(しぎ)の県主(あがたし)  
天日別(あめひわけ) 伊勢の国造(くにつこ)  
天田根神(あたねかみ) 賀茂(かも)の県主(あがたし)  
勝手(かつて)孫(まご) 剣根(つるぎね)葛城(かつらぎ)  
国造(くにつこ) 八咫烏(やたがらす)孫(まご)  
葛野主(かどのぬし)」    
  = 途中略 =  
四穂二月 ネウエのキナエ 紀元前657年(即位後4年)
天鈴61年2月
勅(みことのり) 「御祖(みおや)の神の  
都鳥(みやこどり) わが身お照らし  
仇(あだ)平(む)けて みな治むゆえ  
天富(あめとみ)に 賀茂社(かも)お遷(うつ)させ  
御祖神(みをやかみ) 祭る榛原(はりはら)  
鳥見山(とりみやま) 天田根お賀茂の  
建祗命(たけすみ) 祭り嗣(つ)がせて  
国造(くにつこ)ぞ」