関蝉丸神社(下社)〔せきせみまる〕【3】文献に掲載されている由緒書き|滋賀県

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滋賀県大津市逢坂1丁目15-6( マピオンによる広域地図
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

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滋賀県神社庁のホームページの関蝉丸神社(下社)のページより

滋賀県神社庁のホームページからの引用

上社 猿田彦命 下社 豊玉姫命 〔配祀神〕上下社 蝉丸霊  当社は上下社をもって一社とする。
 社記によると創祀は嵯峨天皇の弘仁十三年(822年)と伝える。
 しかし逢坂山は京都と近江の国堺であり、琵琶湖と王城並畿内を結ぶ交通の要所でもあったので、古くより国堺神・坂神・手向の神(道祖神)又逢坂越の関の守護神としても崇敬され、更に王城の疫神として疫神祭(道饗祭)が斎行されたこともあり、これ等の御神徳が集って関明神上下社が創祀されたものと考えられる。
 貞観十七年(875年)に坂神に従五位下の神位が贈られている。
 寺門伝記補録五の関明神寺外には「江州会坂山関明神二所、一在坂頭、一居坂脚、神祠自徃古而在焉、未詳其始、相伝白 二所同祭道祖神 以為関所鎮神 朱雀院御宇 詔崇祭蝉麻呂霊千当社 土俗今因祠名蝉麻呂宮、又下祠前有井 名関白清水 仍又号清水明神也。」と記されている。
 時代が降ると関明神として崇敬されてきたが、この関明神は後撰集の歌人で琵琶の名手である蝉丸だとする信仰がひろまり、歌管弦の名手鴨長明もその一人で無名抄にそのことを書いている。
 蝉丸が当社に合祀されたのは天慶九年とも平安時代末とも云われ詳でない。
 けれども蝉丸伝承は時代と共にたかまり、次第に歌舞音曲その他諸芸にかかわる人々の信仰があつくなって、江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許をうける人々が全国的規模で増加した。 昭和五年郷社に列格した。