記録に残しておきたいメモ書き
大津シノ宮で彦火々出見尊と豊玉姫はともに神上がられているのだが・・
第一次天孫降臨から26万年後の紀元前1,290,607年の第二次天孫降臨のとき、瓊々杵尊は梅、桜、卯の花を折りかざして進んでいくのだが、「卯の花」に関連した場所に「大津シノ宮」があったらしい。
紀元前1,290,607年に、瓊々杵尊は瑞穂の仮宮を造営されている。
3万年ほどして、天之忍穂耳尊が箱根で神上がられてから比叡山の造成を行った。
そして、紀元前1,086,682年、別雷(わけいかつち)の天君(あまきみ)は
「深き思ひの あるにより」
瑞穂の仮宮を瑞穂宮として造営するとき、鵜川宮と大津シノ宮も造営され、彦火々出見尊は大津シノ宮を賜った。
大津シノ宮という名称が登場するのはこれが最初である。
大濡煮尊の御世から251万1千60年経た紀元前489,645年に彦火々出見尊と豊玉姫は大津シノ宮で神上がられた。
大津シノ宮の推定地の近くに彦火々出見尊を祀る天孫神社、そして豊玉姫を祀る関蝉丸神社(下社)があることを知って訪ねておきたかった。
紀元前1,290,607年に、瓊々杵尊は瑞穂の仮宮を造営されている。
3万年ほどして、天之忍穂耳尊が箱根で神上がられてから比叡山の造成を行った。
そして、紀元前1,086,682年、別雷(わけいかつち)の天君(あまきみ)は
「深き思ひの あるにより」
瑞穂の仮宮を瑞穂宮として造営するとき、鵜川宮と大津シノ宮も造営され、彦火々出見尊は大津シノ宮を賜った。
大津シノ宮という名称が登場するのはこれが最初である。
大濡煮尊の御世から251万1千60年経た紀元前489,645年に彦火々出見尊と豊玉姫は大津シノ宮で神上がられた。
大津シノ宮の推定地の近くに彦火々出見尊を祀る天孫神社、そして豊玉姫を祀る関蝉丸神社(下社)があることを知って訪ねておきたかった。
大津シノ宮は三尾神社(みお)と推定される → 詳しくは、大津シノ宮を探せ!
Copyright (C) 2002-2009 「月の光」成田亨 All Rights Reserved.
お問合せはこちらのメールフォームからお願いします。※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。