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参拝記録・・
紀元前1,290,607年、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の時・・・
紀元前1,290,607年3月15日、梅の花の下に御饗(みあえ)を催された瓊々杵尊は、微笑んで申されました。
「以前日読みの宮にて、梅の花の下、三種の神宝を天照神より賜り、めでたく門出をした。
そしてまた、この白山にて梅の花の下ウケステ女の峰輿を得て、宴を張っている。これはきっと天意に叶った印である」
とおっしゃって、梅の小枝を折り頭にかざして、近江の国の高島に至りました。
その地の酒波(ささなみ)という場所に咲いていた桜の花も美しいとして、君はまたその小枝を折りかざしたのでした。
子守神の生まれた郷である高島の万木村(よろきむら)周辺を田にしようと、子守神の子、太田命と箕島命が井戸や運河を掘って、あたりに水を引きました。
日置神社から琵琶湖西岸を進んできて、鴨川を越えた志呂志神社(しろし)あたりで、大炊神社のある音玉川の淵で寝そべっている猿田彦命を見つける。
瓊々杵尊のご一行が音玉川(おとたまがわ)にさしかかると、その川の岸の白砂で昼寝をしている地元の神に会いました。
身の丈は普通の人の2倍の17咫(た)もあり、顔は赤く、鼻の高さは7枳(き)もありました。
瞳は鏡のごとく爛々と輝いていたので、君のお伴の八十物部たちが恐れてしまいました。そこで瓊々杵尊は、鈿女命(うずめのみこと)に、
「汝、あの大きな目に負けぬよう、どのような神であるか問うてみよ」
とお命じになりました。
鈿女命は胸元を開いて、裳の紐を下げて嘲り笑って、その地元の神の前を通りすぎました。
すると今まで寝ていた赤面の神は目を覚まし、鈿女命の奇妙な姿を見るなり、
「そのようなことをするのは、なにゆえか」
と申しました。そこで、
「天孫瓊々杵尊の行幸なさる道をふさぐのは何者ぞ」
と鈿女命も負けじと問い返しました。
「天照神の御孫が行幸され、この地に向かわれていると聞き、鵜川(うかわ)の仮屋(かりや)にて御饗をしてのち、この河原にてお待ちしていたのじゃ。かくいうわれは、長田(ながた)の猿田彦と申す」
鈿女命は再び、
「どちらの方から行くのだ」
猿田彦命答えて
「われがお導きしましょう」
「汝はわが君の行く先を知っておるというのか」
「君は筑紫の国の高千穂の峰に行かれる。私は途中までお伴し、伊勢の南長田川まで行こうと思う」
こう返事をしました。
それをお聞きになった瓊々杵尊はお喜びになり、あたりに咲いていた卯の花を取りかざして行かれたのでした。
猿田彦命をして、険しい山の岩石を打ち砕かせ、神の力を示すような道を開き、鎧崎(よろいざき)に至り、三尾(みお)の高い山や、鏡山の土を積み上げた三上山(近江富士ともいう)を築かせました。白鬚神社(しらひげ)の拝殿と本殿・・・
ご祭神
猿田彦命白鬚神社の摂社を一望・・
石段を登ってすぐの摂社・・
その上の4つの摂社
岩戸社と磐座
白鬚神社(しらひげ)の地図
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