記録に残しておきたいメモ書き
参考資料
【参考】 http://sintengengakukai.blog.fc2.com/blog-entry-8.html?sp
さてこのオノコロ島ですが現在の何処に在る島なのでしょうか?淡路島そのものとする説、
淡路島の南にある沼島であるとする説、淡路島の中の三原町のおのころ島神社とする説、
淡路島北に隣接する絵島とする説などがあります。
古事記伝に於いて本居宣長はこのオノコロ島の在処について幾つか言及しています。それによると古事記の仁徳天皇の段で天皇が淡路島に景行して詠んだ歌が在ります。
「 押し照るや、難波の崎よ、
出で立ちて、我が国見れば、
淡島、おのごろ嶋、檳榔の、嶋も見ゆ、
放つ嶋も見ゆ 」
「押し照るや」は「難波」に掛かる枕詞です。仁徳天皇は難波の高津宮にいました。「難波の崎を出発して淡路島に着いて我が国つまり本州の方向を見れば淡島・オノコロ島・檳榔の生える島や離れ島が見える」という意味の歌です。
淡路島からオノコロ島が見える訳ですから、淡路島はオノコロ島ではないことが解ります。
宣長は淡島の並びの様だと言っています。
現在南あわじ市には自凝島神社が存在していますので淡路島=オノコロ島説はこの辺りから出たのかも知れません。
古事記に依ればオノコロ島で岐美二柱の神が国生みして最初に生まれたのが「淡道之穂之狭別嶋」としています。
この嶋は淡路島と比定されますので淡路島=オノコロ島説というのは間違いでしょう。
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