八岐大蛇の八頭を埋め杉を植えた「八本杉」【1】ここだけは紹介しておきたい!|島根県

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島根県雲南市木次町里方477-9( いつもNAVIによる広域地図
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八岐大蛇の八頭を埋め杉を植えた「八本杉」

 平成17(2005)年8月8日(月曜日)の参拝は須佐神社から

須佐神社三屋神社八本杉妙見山斐伊神社天が淵

八岐大蛇の八頭を埋め杉を植えた「八本杉」・・

八岐大蛇の八頭を埋め杉を植えた「八本杉」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』では、早子と持子は斐伊川にいたって、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と九頭龍に変じたと伝えています。
 素盞鳴命は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後、安潟神として祀ったので、木花咲耶姫の姉・磐長姫として生まれ変わることができた、と『秀真伝(ほつまつたゑ)』は伝えています。
 素盞鳴命が安潟神として祀ったのがこの八本杉斐伊神社でしょうか。

 素盞嗚命が八岐大蛇を退治した後、その八つの頭を埋め、その上に八本の杉を植えたと伝えられます。

 この杉は、長い年月の間、斐伊川の氾濫によって幾度も流失しましたが、その度に捕植され、現在の杉は明治6年(1873年)に植えられたものといわれています。

斐伊川の八岐大蛇の伝承地の地図

斐伊川の八岐大蛇の伝承地の地図

 斐伊川の八岐大蛇の伝承地

船通山 島根県仁多郡奥出雲町竹崎( → 「いつもNAVI」 )
素盞嗚命、天照大神との天誓約の後に鳥髪の峯に降臨したと伝えられる。
八岐大蛇公園 雲南市木次町新市( → 「いつもNAVI」 )
 素盞嗚命は天照大神との天誓約の後に鳥髪の峯に降臨。
 その後、斐伊川の上流から箸が流れてくるのを見つけ、川上に人が住んでいることを悟ったといわれています。
 この箸を見つけ、拾った場所が木次町新市の地であったと伝えられ、公園内に素盞嗚命と八岐大蛇が対決した場面を再現した石像と、「箸拾いの碑」が建立されています。
温泉神社(おんせんじんじゃ) 雲南市木次町湯村1060( → 「いつもNAVI」 )
 天が淵の近くにある万歳山(ばんざいさん)に櫛稲田姫の両親、アシナヅチ、テナヅチが住んでいたといわれ、この山腹にあった二人を祀る神岩が、現在、温泉神社の境内に安置されています。
長者の福竹 雲南市木次町西日登( → 「いつもNAVI」 )
 アシナヅチ、テナヅチと奇稲田姫は、八岐大蛇の危害から逃れるとき、この地に立ち寄り休憩されました。
 使っていた竹の杖を地面に立てたところ、杖から根が出たことから「長者の福竹」という地名になったといわれています。
 また、登った山の峰は「伴昇峰(ばんしょうがみね)」と呼ばれています。
天が淵 島根県雲南市木次町湯村1599( → 「いつもNAVI」 )
 斐伊川上流、木次町と吉田町境にある天が淵に八岐大蛇が潜んでいたといわれています。
室山(みむろやま)の
釜石(かまいし)
雲南市木次町寺領( → 「いつもNAVI」 )
  室山(みむろやま)には素盞嗚命と櫛稲田姫を祀る布須神社(ふすじんじゃ)があります。
  その麓にある岩は「釜石」といわれ、素盞嗚命が八岐大蛇の退治のときに「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」を作らせた釜跡であると伝えられます。
印瀬の壷神
(いんぜのつぼがみ)
雲南市木次町西日登1524-1( → 「いつもNAVI」 )
 印瀬の八口神社(やくちじんじゃ)の境内にある壷はスサノオノミコトがオロチ退治の時に「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」を入れた八つの壷のうちの一つと伝えられ、「壷神さん」として祀られています。
 この壺には「昔壷に触れたところ、俄かに天がかきくもり、山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じ、神に祈ってようやく静まった。」という伝承も残ります。
草枕 雲南市加茂町神原( → 「いつもNAVI」 )
 斐伊川と赤川の合流点に近いところに位置する草枕山は、八塩折の酒(やしおおりのさけ)を飲んだ八岐大蛇が苦しんで枕にして寝た山であるといわれています。
 赤川は安政年間まで草枕山を迂回して斐伊川に注いでいましたが、度重なる水難のため山を真二つに切り開き流れを変え、現在に至っています。
八口神社 雲南市加茂町神原98( → 「いつもNAVI」 )
 スサノオノミコトは草枕山に近い「八口神社」から矢を射て、ヤマタノオロチを仕留めたと伝えられています。
尾留大明神旧社地
(おどめだいみょうじんきゅうしゃち)
雲南市加茂町三代( → 「いつもNAVI」 )
 素盞嗚命は、この地で八岐大蛇の尾を開いて「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を得られたと伝えられています。
 「天叢雲剣」は、またの名を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」ともいわれ、三種の神器の一つとして熱田神宮(名古屋市)の御神体として祀られています。
八本杉 島根県雲南市木次町里方477-9( → 「いつもNAVI」 )
 素盞嗚命が八岐大蛇を退治した後、その八つの頭を埋め、その上に八本の杉を植えたと伝えられます。
 この杉は、長い年月の間、斐伊川の氾濫によって幾度も流失しましたが、その度に捕植され、現在の杉は明治6年(1873年)に植えられたものといわれています。
斐伊神社 島根県雲南市木次町里方字宮崎463( → 「いつもNAVI」 )
 八本杉は当斐伊神社の境内地だったといいます。
佐世神社(させじんじゃ) 雲南市大東町下佐世1202( → 「いつもNAVI」 )
 八岐大蛇を退治した素盞嗚命が、佐世の木(ツツジ科の植物)の葉を頭に挿して踊っている時に、その枝が地に落ちたことから「佐世」という地名になったと伝えられています。
 佐世神社には、その枝が成長したといわれるシイの巨木が残ります。
大森神社(おおもりじんじゃ) 雲南市木次町東日登1345( → 「いつもNAVI」 )
 素盞嗚命が八岐大蛇を退治して櫛稲田姫を救い、結婚の約束をして須賀の地へ向かう途中、大森の地にしばし宿られ、婚儀の準備をされたといわれています。
須我神社 雲南市大東町須賀260( → 「いつもNAVI」 )
 素盞嗚命が八岐大蛇を退治し、櫛稲田姫を伴なって八雲山(やくもやま)の麓に至ったとき、
 「我此地に来て、我が御心すがすがし」
 といわれたことから、この地域を須賀(すが)というようになったと伝えられます。
  須我神社は、素盞嗚命、櫛稲田姫が造ったとされる「日本初之宮」です。
 この宮を包むようにして美しい雲が立ち上がるのを見て、素盞嗚命が
 「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
 と歌を詠んだことから、須賀の地は和歌発祥の地ともいわれています。
河辺神社(かわべじんじゃ) 雲南市木次町上熊谷1462-1( → 「いつもNAVI」 )
 素盞嗚命の妻、櫛稲田姫が懐妊されたとき、産湯に使う良い水を探し求めたところ、「甚く久麻久麻志枳谷なり(いたくくまくましきたになり)」と仰せられ、河辺神社を御産所に定められたといわれています。
 「久麻久麻志枳谷」は奥まった静かできれいな谷という意味であり、これから熊谷(くまたに)という地名がついたといわれ、「熊谷(くまがい)さん」と呼ばれる産湯に使う水を汲んだ井戸の跡も残されています。

 船通山の地図

 平成22(2010)年6月1日(火)から平成22(2010)年6月6日(日)にかけて【地図】船通山の地図を整理していて気づいたことは次の3つ。
〔1〕船通山の北側が斐伊川(島根県)の源流にあたる「鳥上の滝」、南側が鳥取県の日野川
  斐伊川(島根県)は八岐大蛇の伝承地を通って宍道湖の西岸から注ぐ。
  日野川は淡道之穂之三別島の「根」にあたりそうな場所から美保湾に注ぐ。
  ひらがなで書くと「ひい」川と「ひの」川となるので相似的な関係にあるのかもしれないと思う。
〔2〕八岐大蛇の伝承地は斐伊川の東岸に集中していて、西岸にはない。
  斐伊川の西岸は清浄な地という認識があった感じだ。
〔3〕斐伊川の南に「伊弉冊」という地名があり、斐伊川の北側に「引那伎」という地名が残る。
  伊弉諾尊と伊弉冊尊の伝承が地名として残されている。
  すごい地帯だと思う。
船通山の地図