観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|滋賀県

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天之誓約の時、天照大神は観音寺山〔繖山-きぬがさ〕から、佐々木山に降り立った

 平成22(2010)年5月5日(水)、天照大神は観音寺山〔繖山-きぬがさ〕から、佐々木山に降り立った

観音正寺観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕佐々木山(小中山・常楽寺山)沙沙貴神社阿賀神社
天之御中主尊神社大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)

天之誓約の時、天照大神は観音寺山〔繖山-きぬがさ〕に降り立ち、佐々木山へ

 天照大神が降臨された観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から佐々木山(小中山・常楽寺山)
八幡山(鶴翼山)からみる観音寺山〔繖山-きぬがさ〕から佐々木山
八幡山(鶴翼山)から撮影

 ↓天照大神が降臨された観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の頂上

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕</a>の頂上

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から〜撮影しようというとき天照皇大御神が降り立たれた。

 天照大神と素盞嗚命との天之誓約のとき、天照大神は滋賀県蒲生郡安土町の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から滋賀県蒲生郡安土町の佐々木山(沙沙貴山)に降り立たれたようだ。

 ↓観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点からみる佐々木山(小中山・常楽寺山) ・・

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕より

 天照大神に対して、素盞嗚命は滋賀県高島市今津町酒波の日置神社の背後にある青蓮山(せいれんざん)に降り立たれたようだ。

 ↓日置神社の南側参道からみる青蓮山(せいれんざん)

青蓮山(せいれんざん)

日置神社より

 天照大神と素盞嗚命が天之安川を挟んで天之誓約をした結果は・・
 まず、天照大神が素盞嗚命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から三女神の神霊が竹生島に降臨(誕生)した。
 多紀理毘売命(タキリビメ) - 別名:奥津島比売命(オキツシマヒメ)
 市寸島比売命(イチキシマヒメ) - 別名:狭依毘売命(サヨリビメ)
 多岐都比売命(タキツヒメ)

 ↓三女神の神霊が降臨(誕生)した竹生島。

青蓮山(せいれんざん)から望む竹生島

青蓮山(せいれんざん)より

 次に、素盞嗚命は、天照大神が持っていた「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の5柱の男神が生まれた。
 左のみづらに巻いている玉から 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
 右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命(アメノホヒ)
 かづらに巻いている玉から天津日子根命(アマツヒコネ)
 左手に巻いている玉から活津日子根命(イクツヒコネ)
 右手に巻いている玉から熊野久須毘命(クマノクスビ)
 の五男神の神霊が八幡山(鶴翼山)に降臨(誕生)した。

 ↓五男神の神霊が降臨(誕生)した八幡山(鶴翼山)

安土山から八幡山方面を望む

安土山より

 天照大神は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取って養い、先に生まれた女神は素盞嗚命の物から生まれたから素盞嗚命の子だと宣言した。
 素盞嗚命は、
「自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だった」
 といい、それを認め天照大神は素盞嗚命を許した。
 この天照大神と素盞嗚命の天之誓約は数万年に及ぶものであり、竹生島に降臨(誕生)した三女神が人類の始まりだったという。

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕へ

 観音正寺の脇をぬけて

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕への標識

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕

 観音寺山の三角点

 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点

蛇を踏んだのは、観音寺山(繖山-きぬがさやま)と青蓮山(せいれんざん)

 天照大神と素盞嗚命の天之誓約が行われたであろう青蓮山(せいれんざん)を参拝したのは平成22(2010)年5月3日(月曜日)だった。
 酒波寺の左脇の道路を車で登って行った。
 車で登っていって、奥の突き当たりの小さいスペースに駐車し、青蓮山(せいれんざん)に登ろうと引き返すと、子どもたちが
「小さい蛇が横たわっているよ」
「この蛇、苦しそうだよ」
 と小さい蛇を覗き込んでいる。
 どうやら私の車で、小さい蛇を踏んでしまったらしい。
 参拝を終え、青蓮山(せいれんざん)を降りてくると、この蛇の動きは無くなっていた。
 道脇に除いて、木の葉をかぶせた。
「今度生まれてくるときは山の神として生まれ変われるように」

 と祈った。

 平成22(2010)年5月5日(水曜日)観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕に向かったとき、ここでも蛇を踏んでしまった。
 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の山道に入ってすぐ、道路を横切る大きな縄のような動きを発見。
 ブレーキを踏んだが間に合わず、前輪でゴトッ!、そして後輪でもゴトッ!と何かを踏んだ感覚がシッカリと残るほど大きい蛇だった。
 ルームミラーで後方を確認すると、クネクネと身を丸く丸くに激しく回転させながら道路わきに隠れていった。
 天之誓約に関わる天照大神の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕と素盞嗚命の青蓮山(せいれんざん)の両方で蛇を踏んでしまったのだ。
 この蛇事件で、天之誓約が行われたのは観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕青蓮山(せいれんざん)だ、と確信をもった。
 平成19(2007)年5月に、神界に混乱をもたらした「蛇」の姿を素盞嗚命に見せてもらっていたが、その蛇は天之誓約にも深く関わっていた可能性を感じ取ることもできた。
 問題の根は、天照大神と素盞嗚命の天之誓約以前に存在していたのだ。
 天照大神と素盞嗚命の天之誓約では問題の所在を顕在化させるためのものだったのだろう。
 問題は根深くて、天之誓約をしたからハッキリする性質のものではなく、何万年も何万年も時の経過とともに明らかになっていく性質のものだったのだろう。
 その一端を今回の旅行で知ることができたのかもしれない。

 ちなみに私の車は、須佐之男命を祭神とする大宮氷川神社でお祓いを受け、車内に札を貼っているものだ。

天照大神と素盞嗚命の天之誓約についての注意点

 天之誓約の時、天照大神が滋賀県蒲生郡安土町の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から佐々木山(沙沙貴山)に降り立ち、素盞嗚命が滋賀県高島市今津町酒波の青蓮山(せいれんざん)に降り立った、ということはどの文献に記録されていない。

 私が日本各地を訪ねてようやく到達した推論である。

 天照大神と素盞嗚命の天之誓約の時は、神が人体をもって現れている時代ではないので、『秀真伝(ほつまつたゑ)』に記述されてはいない。  しかし、神が人体をもって現れる前のこういう因縁があるからこそ、滋賀県高島市今津町酒波の青蓮山(せいれんざん)日置神社)と滋賀県蒲生郡安土町の佐々木山(沙沙貴山)は、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代には三々九度の舞台として登場したきたのだろう。

(参考)沙沙貴神社は少波神を祀ると『秀真伝(ほつまつたゑ)』は伝える。

 そして、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代には、この天照大神と素盞嗚尊の天之誓約は、昼子姫と素盞嗚尊の誓約に置き換えられている。

(参考)下照姫(昼子姫の別称)を祭神とする五社神社が滋賀県近江八幡市牧町にある。

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』の誓約が、昼子姫と素盞嗚尊のものだから、天照大神と素盞嗚尊の天之誓約がなかったというのではない。

 それぞれの時代時代で表現のされ方が異なっているだけである。

○神が人体をもって現れる前の事柄、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代の事柄を考慮されて、瓊々杵尊は青蓮山(せいれんざん)日置神社)のある酒波の地に立ち寄られ、野洲市の野洲川沿いに三上山を造営されたのであろう。

天照大神と素盞鳴尊の誓約〜『新月の光』(八幡書店、木庭次守 編)上巻P332-

 天照大神と素盞鳴尊の誓約はカスピ海を中心に行われたのである。カスピ海以東アジアは天照大神の御領分、以西ヨウロッパは素盞鳴尊の御領分であったのでその中心で行われたのである。
 現今の琵琶湖は型である。
 伊邪那美命の後をうけて地教山即ちヒマラヤ山で治めていられた素盞鳴尊は、コーカス山へおいでになりヨーロッパ方面へおいでになって治めていられたのである。
 奥蒙古に行くと天照大神様そのままの服装を今でもやっているのである。
 (昭和17年10月12日 大本農園有悲閣にて)

(参照)『霊界物語』第15巻第10章「神楽舞」。第12巻第16章〜26章、第29章。

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)の地図

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)の地図

 安土山から三上山にかけての地図

野洲川から安土山までの地図