下照姫命と思兼命を祀る五社神社〜「野洲之宮」と呼ばれる宮があったという
平成22(2010)年5月4日(火)、火の国の中心・安土山の暴発によって大地が裂け、磐が割れた
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下照姫命と思兼命を祀る五社神社〜かつて「野洲之宮」と呼ばれる宮があった
今から160万年前、野洲川周辺に「野洲の宮」と呼ばれた宮があったという。
昼子姫(稚姫君神・下照姫)が夫の思兼命とともに天之忍穂耳尊の養育にあたられた場所である。同時に『秀真伝(ほつまつたゑ)』でいう天之誓約が昼子姫と素盞鳴命の間でなされた場所である。
天之誓約の場所には2ヶ所ある。
神が人体をもって現れる前の天之誓約の場所と、人体をもって現れたあとの天之誓約の場所だ。
五社神社を「野洲の宮」というには野洲川から位置的に離れていると思うが、「下照姫命と思兼命」を祀っているところを見ると、五社神社の創祀に神代の記憶が想起されてきているのかもしれない。
遠い神代の記憶を偲ぶ姿勢に霊線が通るものだと思う。
五社神社の本殿
ご祭神
下照姫命大國主命
事代主命
大巳貴命
思兼命
『秀真伝』素戔嗚尊の野洲川宮の訪問、昼子姫と素戔嗚尊の誓約
『秀真伝』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P380-382 )の
素戔嗚尊の野洲川宮の訪問、昼子姫と素戔嗚尊の誓約より
素戔嗚尊の野洲川宮の訪問、昼子姫と素戔嗚尊の誓約より
流浪男(さすらを)は | 「勅(みこと)お受けて | 罪を犯し宮中より追放された素戔嗚尊のこと |
根国(ね)に行(ゆ)かん | 姉(あね)にまみゆる |
姉とは昼子姫(和歌姫・下照姫)のこと。 |
しばし」とて | 許せば上る | |
野洲川辺(やすかはべ) | 踏(ふ)み轟(とどろ)けば | 野洲之宮は失われているが、下照姫命や思兼命を祀る五社神社が野洲之宮を偲ばせてくれるかもしれない。 |
鳴(な)り動(うご)く | 姉(あね)はもとより | |
流浪男(さすらを)が | 荒(あ)るるお知(し)れば | |
驚(おどろ)きて | 「弟(おとうと)の来(く)るは | |
さはあらじ | 国(くに)奪(うば)ふらん | |
父母(かぞいろ)の | 依さしの国(くに)お | 6紋に「先に父親 『花杵は 根の国細矛国 治らすべし』」〔6-13〕とある。 |
捨(す)て置(お)けば | あゑ窺(うかが)ふ」と | |
総角(あげまき) | 裳裾(もすそ)お束(つか)ね |
『倭名類聚鈔』に「毛詩註云、総角(和名阿介万岐)結髪也」とある。 頭髪を中央から左右に振分け、耳の上で丸く巻いて結い上げる形。前から見ると、2本の角のように見えるので、中国では「角髪」「角子」「総角」などと角の字を用いて表す。 髪を上げて巻くことから、アゲマキという。 『日本書紀』「崇峻即位前紀」の分註に「古の俗、年少児の年、十五六の間は、束髪於額(ひさごはな)す。十七八の間は、分けて角子(あげまき)にす」とある。 |
袴(はかま)とし | 五百瓊御統(いもにみすまる) |
『日本書紀』には「八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつみ)の御統(みすまる)」、『古事記』には「八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠(たま)」とある。 「御統」は、多くの勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)を緒で貫いてまとめて輪にしたものとされる。 なお、「五百瓊(ゐもに)」の「瓊」は、丹心の義をも含むものと思われる。 |
体(からだ)巻(ま)きて | 千箭(ちのり)五百箭(ゐものり) |
『日本書紀』に「叉(また)背(そびら)に千箭(ちのり)の靫(ゆき)〔千箭、此をば知能梨と云ふ〕と五百箭(いほのり)の靫(ゆき)と負(お)ひ」とみえる「千箭の靫」「五百箭の靫」のこと。 靫とは、矢を入れて背負う道具のこと。千箭とは千本入り、五百箭とは、五百本いりのものをいう。 |
肱(ひぢ)に付(つ)け | 弓筈(ゆはず)お振(ふ)りて | 「弓筈」『時代別国語大辞典』に「弓の両端の弦を掛けるところ、弓弭(ゆみはず)。上端を末弭(うらはず)、下端を本弭(もとはず)という。左右から削って弦をかけるようにするが、金属や、角・骨などで別にハズを作ってはめ込むこともあった」と記す。 |
剣(つるぎ)持(も)ち | 堅庭(かたにわ)踏(ふ)んで | |
蹴散(けちら)して | 稜威(いつ)の雄叫(おたけ)に |
「稜威(いつ)」は『神道大辞典』の「厳」の項では、「神の厳広なる威烈を讃える語。荘重の意味のイツカシ、儼然たる意味のイツクシ等の語根」とあり、「稜威」の項では「神霊の威烈を称する語」と記されている。 『古事記伝』には、「書紀に厳の字を用いられたるにつきてかの稜威と一つに心得るは誤なり、稜威は健きことを云ひ厳はことを云へれば本より別なり。神を祭るときの種々のものを健きことを以て名づく由なきことを思ふべし」としている。 本文の「稜威の雄叫」は「神霊の威烈な様」としても理解できるが、それではのちにある「稜威返ゑしませ」が理解しにくい。 |
詰(なじ)り問(と)ふ | 素戔嗚尊(そさのを)曰(いわ)く | |
「な恐(おそ)れそ | 昔(むかし)根の国 | |
行(ゆ)けとあり | 姉(あね)とまみゑて | |
のち行(ゆ)かん | 遥(はる)かに来(く)れば | |
疑(うたが)わで | 稜威(いつ)返(かゑ)しませ」 | |
姉(あね)問(と)わく | 「清心(さごころ)は何」 | 「サ」は清きこと、速きことに通じる |
その答え | 「根国(ね)に至るのち | |
子お生まん | 女(め)ならば穢(けが)れ | |
男(を)は清(きよ)く | これ誓(ちか)ひなり | |
昔(むかし)君(きみ) | 真名井(まなゐ)にありて | 天照神が、6紋に「急ぎ真名井に 行幸なる」〔6-6〕とあるように、豊受神のもとへ道奥の伝を受けるためにかけつけたときのこと |
御統(みすまる)の | 玉(たま)お滌(そそ)ぎて | |
棚杵尊(たなきね)お | 持子(もち)に生ませて | 穂日尊の諱。 |
床神酒(とこみき)に | 早子(はやこ)お召(め)せば | 「床神酒」大濡煮尊・少濡煮尊の時代に、婚礼の儀式の制定とともにできた三々九度の盃。 |
その夢に | 十握(とつか)の剣(つるぎ) |
この一文は、その後の持子早子の謀計および素戔嗚尊の乱行を予言するものである。 「十握の剣」は持子早子に同情するあまり、剣をもち暴挙に及ばんとした素戔嗚尊を、「折れ三段」は素戔嗚尊の乱行による千暗の罪の「三段枯れ」を、「さ噛みに噛んで」は子種を噛むことを最大の目的とする持子早子の本性本体としての大蛇をそれぞれ象徴するものと考えられる。 28紋には「また持子大蛇 瀬織津姫お噛まん噛まん」〔28-31〕とみえ、「さ噛みに 噛んで」と対応する。 |
折(お)れ三段(みきだ) | さ噛(か)みに噛(か)んて | |
三玉(みた)となる | 三人姫(みたりひめ)生(う)む | 御統の玉を滌いだことから「三玉」の夢を見た。これにより、のちに生まれた三姫の諱に「タ」をつけた。 |
タの諱(いみな) | われ穢(けが)れなば | もし私が穢れているのなら、三姫をもらい受けましょう、という意。 |
姫(ひめ)お得(ゑ)て | とも恥(はじ)みん」と | |
誓(ちか)い去(さ)る | 姫(ひめ)人(ひと)なりて | |
沖(おき)つ島(しま) | 相模(さがむ)江(ゑ)の島(しま) |
「沖つ島」28紋には「竹子姫 多賀に詣でて 大物主が 館に終われば 薄島(すすきしま) おもむろ納め 竹生島神」〔28-33〕とみえる。この原文から考察すると竹子姫は近江の竹生島に祭られたことになる。竹生島には都久夫須麻神社があって、安芸の厳島神社、相模の江島神社とならんで日本三大弁天の一つとされていることからも、竹子姫の遺骸を竹生島に納め、そこに社が建ったとみるのが順当であろう。 ところが本紋に「沖つ島」とある。この沖つ島に関連して、滋賀県近江八幡市北津田町に大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)がある。 この大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)は、延喜式内の名神大社の由緒をもつ古社で、祭神は、奥津嶋姫命。鎮座地は、現在の社殿のある近江八幡市の北部の島山という、琵琶湖東岸のかつての島の中央部南岸にあたる。 一説には、近江八幡の沖合いに浮かぶ沖島の奥津嶋神社 (おきつしま)より現在の場所に遷座されたものともいわれている。 さらに、現在同社の鎮座する島山には本書において奥津嶋姫命の夫と伝えられる大物主命を祭る大島神社も鎮座していて、本書の所伝と何らかの関連を示している。 ここで『秀真政伝』をみると「三女自天を弁て、筑前沖津嶋、中津島、辺津島に身を流罪して世を恥恐玉ふ。又後に、安芸市杵嶋、近江竹生島、相模江島の三嶋に移って益以、罪を流清玉ふ」と記されている。 私見では、竹子姫は筑紫にて罪を償ったのち、近江沖津島にて、大物主の大己貴命とともに暮らし、その館にて神上がって、竹生島に遺骸を納めたのではないだろうか。 なお、竹子姫については、28紋に「竹生島神 昔流浪い 琴お弾く 時に霰の 薄打つ 琴に響きて 妙なれば 木の葉お写し 琴造る 名も糸薄打ち 島湖も 名は糸薄(いすき)なり」〔28-33〕とあり、後に「竹生神」という称え名を賜ったという記述がみえる。 「相模江の島」28紋に「湍子姫 香久山祗命の 妻となり 香児山命生みて 相模なる 江の島神と なりにけり」〔28-34〕とある。「相模」は天照神の夢で大蛇を象徴した「さ噛みに 噛みて」に通じ、「さ噛む」という意味。「江の島」は、神奈川県藤沢市片瀬町にある江島のこと。 ここに鎮座する江島神社は、本書の所伝にいう三女神にあたる多紀理毘売命、市寸島比売命、田寸津比売命の三柱を祭っている。 しかも、同社には、寿永元年北条時政が祈願のため、この島の窟中に籠り、一顆の玉を感得したという本書の所伝の「三玉」との関連を暗示する伝承も伝えられている。 |
厳島(いつくしま) | 自(みか)ら流浪(さすら)ふ |
「厳島」28紋には「田奈子姫 伊吹戸宮に 生む御子の 兄は伊予津彦命 土佐津彦命 宇佐津彦命 これ御ともに 行(ゆ)きて筑紫の 宇佐に住む 母も宇佐にて 神となる 厳島宮 厭う神」〔28-29〕とある。 「宇佐」は、大分県宇佐郡宇佐町和気および橋津から南宇佐にわたる地域の古称。厳島神社は、広島県宮島町に鎮座、市杵島姫命を主神とし、湍津姫命、田心姫命を合祀する。 |
流浪男(さすらを)の | 陰(かげ)のミヤビの | 「流浪男」は、罪を犯し宮中より追放された素戔嗚尊のこと。「陰のミヤビ」は、密情のこと。ここでは、早子と素戔嗚尊が密情を結んだこと。 |
過(あやま)ちお | 晴(は)らしてのちに | |
帰(かえ)ります |
野洲川宮が偲ばれる五社神社
五社神社の摂社の八幡宮
五社神社の摂社の天照皇大神宮
五社神社の摂社の子安神社
子安神社の由緒書き
牧町の五社神社(おいそ)の地図
安土山から三上山にかけての地図
『秀真伝』素戔嗚尊の野洲川宮の訪問、昼子姫と素戔嗚尊の誓約
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