平成22(2010)年5月4日(火)、火の国の中心・安土山の暴発によって大地が裂け、磐が割れた
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火の国の怒りと憎しみの感情の暴発によって、大地が裂け磐が割れた
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奥石神社の大地が裂け磐が割れ、怒りと憎しみの感情が潜り込み隠れた
火の国の中心が安土山の位置に相当し、その安土山から怒りと憎しみの烈火が走り、観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の南側の位置に相当する大地を裂いた。
志呂志神社(しろし)・長田神社・大炊神社・白鬚神社周辺の出来事がきっかけとなって暴発した火の国の烈火は大地を裂いてしまったが、老蘇の森の星霜を経ることによって鎮静化されてきたものらしい。
天之誓約の時に天照大神が観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から佐々木山(小中山・常楽寺山)に降臨されたこと、
時を経て、少彦名命が沙沙貴神社に漂着し、奇杵命(大国主命)とともに民の教化にあたられてこと、
七代孝霊天皇の時代に石辺大連翁が地裂け水湧いて人が住めないこの地に樹木を植え緑につつんだこと、
・・などこの周辺の土地に秘めた物語はとても深い。
今回の参拝旅行は、それらを確かめるためのものだ。
本殿で祝詞を奏上すると・・
本殿の前で大祓祝詞を奏上していると、ある個所にきて、「あっ!」
と息を飲み、祝詞奏上を中断することになった。
その個所は、
「大津辺に居る大船を 舳解き放ち艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓ひ給ひ清め給ふ事を 高山の末 低山の末より 佐久那太理に落ち 多岐つ早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ 」という個所であった。
大祓祝詞の「大津辺」の「大津」は滋賀県の大津市周辺である。
そして、安土町は「大津辺」からみて「彼方(おちかた)」にあたる。ということは、大祓祝詞のいう「彼方(おちかた)の繁木」とは、安土町の「老蘇の森」である、ということになる。
安土町の「老蘇の森」の根元、つまり、「地裂け水湧いて」いた昔の大地には、「焼鎌の敏鎌以て打ち掃ふ」べき存在があると大祓祝詞は言っているのだ。
だからこそ、奥石神社を「鎌宮」と言ってきたのだ。
大祓祝詞を奏上しながら、上のように気付くと全身を雷に打たれたような衝撃が走った。
祝詞の奏上を終え、すぐ社務所に走った。
私のように捉えた人物がいるかどうか知りたかったのだ。
「大祓祝詞のいう彼方(おちかた)の繁木とは老蘇の森のことではないのですか?」「奥石神社を鎌宮というのは大祓祝詞の彼方(おちかた)の繁木に関係あるからではないですか?」
「私のように主張している人物はいますか?」
しかし、私のように主張している人物はいないらしい。
火の国(安土山)の怒りと憎しみが実体化し、老蘇の森の根元に潜んでいると私が直感したことを、大祓祝詞は誰にも解るように表現していたのだ。
神楽殿の向こうに本殿が見える
ご祭神
天児屋根命摂社の諏訪明神
建御名方富命 八坂刀売命鎌の紋章を掲げている鎌宮としての奥石神社
御神体の観音寺山
安土町の奥石神社(おいそ)の地図
安土山から三上山にかけての地図
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