「因幡の白兎」を伝える白兎神社【1】トップページ|鳥取県

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 白兎海岸での「因幡の白兎」からの大国主の物語

白兎海岸と淤岐ノ島「因幡の白兎」で有名な白兎神社八上姫の賣沼神社
大国主命が初めて遭難された赤猪岩神社大国主命が2回目に遭難された大石見神社
伊太祁曽神社へ避難妙見山三屋神社で出雲平定八上姫が御子神を産んだ御井神社

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白兎神社の前に立つ大国主命と「因幡の白兎」

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

◆参拝履歴◆

 訪問日:平成19(2007)年8月17日(金)

「因幡の白兎」の物語は、紀元前776年(50鈴木・999枝・2穂)から、第5代大物主の蕗根命が神上がり神武天皇が誕生される紀元前712年(鰐彦64歳)までの間の数年間の出来事だろう。
 この期間の紀元前718年の鈴木の木が枯れている。

(※)参考→ 『秀真伝(ほつまつたゑ)』と『 注釈 上紀(うえつふみ) が伝える大国主命

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

神社に掲載されている由緒書き

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

ご祭神

白兔神
(配祀)
保食神

本殿

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

鳥居から

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

白兎が身を包んだといわれる「蒲」

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

白兎が体を洗ったとされる「御身洗池(みたらし)」

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

白兎が体を洗ったとされる「御身洗池(みたらし)」

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社

「因幡の白兎」の大国主命とは、第6代大物主の櫛甕玉命のことである

 平成24(2012)年5月20日(日)に記す。

 「因幡の白兎」の大国主命とは、第6代大物主の櫛甕玉命のことである。
 第6代大物主の櫛甕玉命は、神武天皇が誕生される64年前の紀元前776年(50鈴木・999枝・2穂)に生まれている。
 そして、神武天皇が亡くなられた紀元前585年(天鈴133年)、192歳のとき神武天皇の御尊骸と共に洞に入られ、三輪山の神として祀られるようになった。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機31紋に「鰐彦命(わにひこ)までが、三輪の神」〔31-16〕と記述されているところから、、三輪山の高宮神社(こうのみや)のご祭神の「日向御子神」が第6代大物主の櫛甕玉命であり、別名「鰐彦命(わにひこ)」であり、「因幡の白兎」の主人公である大国主命だ。
 第5代大物主の蕗根命は、ご自分の「幸御魂(さきみたま) 奇(くし)しゐ術魂(わざたま)」から次のような神託を受けた。

子(こ)無(な)きがゆえに  
乱(みだ)るるぞ 事代主(ことしろぬし)が  
兄弟(ゑと)の子(こ)の 櫛甕玉(くしみかたま)お  
請(こ)い受(う)けて 嗣(つぎ)となすべし 」

 第5代大物主の蕗根命が受けた神託の背景は、第5代大物主の蕗根命に子がないために、世が「乱れて」きていることを告げている。
 ちょうど長髄彦の乱が起き始めた頃の世情である。
 第5代大物主の蕗根命は、伯父にあたる積葉八重事代主命の子である櫛甕玉命を養子に貰い受けて、第6代大物主とした。
 このとき、大物主という官職に相応しい妻が選ばれた。
 この妻が子守神の十二男である大田命の三良姫である。

◆ 「因幡の白兎」の主人公の櫛甕玉命の足跡。

 櫛甕玉命は父のつみは積葉八重事代主命が原見宮から阿波宮に帰還する鰐船(わにぶね)のなかで生まれたため、「鰐彦(わにひこ)」という諱をもつ。
 「鰐彦(わにひこ)」も日本各地を周りながら民の訓育をされてきた。その中の一つとして、八上の地を訪れたのだろう。
 その時の物語が「因幡の白兎」となって伝えられたのだ。

 「鰐彦(わにひこ)」は、因幡の地で、八上姫と「恋」を語らった時期があったのだろう。

 「鰐彦(わにひこ)」が因幡の地にいるときに、父の積葉八重事代主命から
 「第5代大物主の蕗根命の養子になって、第6代大物主に就任するように」

 という要請を受け取られた。

 「鰐彦(わにひこ)」が第6代大物主に就任するために出雲に向かったとき、八上姫は身籠られていたようだ。
 「鰐彦(わにひこ)」が出雲に向かっている途中、赤猪岩神社で、「鰐彦(わにひこ)」の第6代大物主就任を快く思わない勢力の妨害を受け、「鰐彦(わにひこ)」は落命してしまった。
 第5代大物主の蕗根命と刺国若姫は、神々の力を借りて「鰐彦(わにひこ)」を蘇生した。
 傷を癒すために大石見神社に身を隠しているとき、反対勢力に見つかり、再度生命を落としそうになった。
 養母の刺国若姫は一計を案じ、「鰐彦(わにひこ)」を伊太祁曽神社へ避難させた。
 「鰐彦(わにひこ)」は、伊太祁曽神社で英気を養い、出雲平定に動かれることになる。
 妙見山で国見をされ、三屋神社に陣を張り、出雲平定を成し遂げた。
 このとき、大物主という官職に相応しい妻として、子守神の十二男である大田命の三良姫が選ばれたのだ。

 八上姫は、「鰐彦(わにひこ)」の出雲平定を知って、出雲の地で身籠った子を産みたいと思った。

 しかし、八上姫が出雲に到着されたときは、子守神の十二男である大田命の三良姫と結婚された直後だったのだ。
 八上姫は、御子神を御井神社で産み、自らは八上の地に戻られたのである。
 神代の離縁の風習は、男子は父が引き取り、女子は母が引き取る。
 御子は男子であったため、「鰐彦(わにひこ)」の元で育てられたのだ。

◆ 「因幡の白兎」の伝承は、神代の終わりに近い頃の、以上のような出来事であった。

 「鰐彦(わにひこ)」が生まれた紀元前776年(50鈴木・999枝・2穂)から、第5代大物主の蕗根命が神上がり神武天皇が誕生される紀元前712年(鰐彦64歳)までの間の数年間の出来事だろう。
 この期間の紀元前718年に「鈴木の木」が枯れている。

第5代大物主の蕗根命(大己貴と尊称)と第6代大物主の櫛甕玉命(鰐彦命)

『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十七〔御祖神船魂の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P127-170 )より

これの先 原見(はら)の天押雲命(おしくも) 原見山(富士山)の朝間宮にて勤めていた天押雲命が、近江国多賀の鵜葺草葺不合尊のもとへ召し上げられ、その代わりに、弟の若い日立命が朝間宮に仕えた。
召(め)し上(のぼ)す 弟(おとうと)日立命(ひたち)は  
若(わか)きゆえ 阿波(あわ)の事代主命(ことしろぬし) 現在の徳島県
侍(はべ)る宮(みや) はらからなれば  
西(にし)東(ひがし) 通(かよ)ひ勤(つと)めて  
要(かなめ)しむ 名も積葉八重(つみはやゑ)  
事代主命(ことしろ)が 三島(みしま)に至(いた)り  
原見(はら)に行(ゆ)き また三島より  
伊予(いよ)に行(ゆ)く ついにちなみて  
溝咋命(みぞくい)の 玉櫛姫(たまくしひめ)も 本紋に「三島(みしま)溝咋命 原見宮(はらみや)に 百枝県(ももえあがた)の 物部と 豊かに治む」(二七−二)とある。
孕(はら)むゆえ 鰐船(わに)乗(の)り阿波(あは)え  
帰る内(うち) 生む子の諱(いみな)  
鰐彦命(わにひこ)は 櫛甕玉命(くしみかたま)ぞ 積葉八重事代主命の子の櫛甕玉命は、鰐船で生まれたので鰐彦という諱(いみな)になった。
次の子は 諱(いみな)中彦(なかひこ)  
櫛梨命(くしなし)ぞ 青垣殿(あおがきとの)に  
住(す)ましむる 先(さき)に筑紫(つくし)の  
神立命(かんだち)は 襲緒(そを)の船津(ふなつ)の 襲緒(そを)、鹿児島県曽於郡。船津、鹿児島県姶良郡姶良町船津。
太耳姫(ふとみみ)お 夜須に娶りて  
蕗根命(ふきね)生む のち諸(もろ)ともに 大己貴神社(おおなむち) 〔福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3〕において、蕗根命が生まれる。
子守神の長男の神立命(かんだち)は夜須の地で神上がる。
神となる 大物主(おおものぬし)は  
蕗根命(ふきね)なり 豊祇彦命(とよつみひこ)と  
治(をさ)めしむ 野業(のわざ)教えて  
民(たみ)お生(う)む 一人(ひとり)治(おさ)むる  
大己貴命(おおなむち) 自(みづか)ら褒(ほ)めて 奈良県桜井市三輪の大神神社は大物主大神を主神とし、大己貴神、少彦名神を配祀している。
「葦(あし)の根さ 元(もと)より荒(あら)び  
岩根子(いわねこ)も みな伏(ふ)しなびけ  
治(をさ)むるは 八万穂にだれか  
またあらん」 海原(うなばら)光り 「海原の光り」という場面は、日に向かうことから、日向神という名が、第5代大物主の蕗根命に与えられていたかもしれない。
 大三輪神社の摂社神坐日向社が「第6代大物主の櫛甕玉命」が住まわれた土地だとすると、住所の「奈良県櫻井市三輪字御子ノ森」の「御子」とは、日向神の「御子」という意味を持ち合わせてくるだろう。
 三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)の祭神が「日向御子神」である点から、「第6代大物主の櫛甕玉命」は、「櫻井市三輪字御子ノ森」にお住まいになられて、山頂に「日向御子神」として祭られた可能性がある。
 あくまでも『秀真伝(ほつまつたゑ)』を主流においた解釈である。
 
顕(あら)はれて 「われあればこそ  
汝(なんじ)その 大凡(おおよそ)になす  
労(いたは)りぞ」 大己貴命(おおなむち)問(と)ふ  
「汝(なんぢ)誰(た)ぞ」 「われは汝(なんぢ)の  
幸御魂(さきみたま) 奇(くし)しゐ術魂(わざたま)」  序註42および43を参照。
 内則五則(省恥悔畏悟)に対応する一霊四魂(直霊・荒魂・和魂・幸魂・奇魂)という考え方に関係しそうな術魂(わざたま)という用語が登場する。
 術魂(わざたま)とは、省みる力を象徴する直霊のことだろうか?
 この術魂(わざたま)を鰐彦の櫛甕玉命(くしみかたま)だとしている。
 三輪山に居られる幸魂が蕗根命を三輪山に呼び寄せているところをみると、蕗根命は荒魂・和魂・奇魂のいずれかの御魂を象徴する神だということになろう。
 蕗根命に先行して三輪山に居られるのは、天照神の命を受けて神上がられた奇彦(えびす神)だ。
 論理の帰結は、幸魂で「愛」を象徴するのは奇彦(えびす神)ということになるのかもしれない。
「畏れ」と「愛」は奇彦(えびす神)の代名詞なのかもしれない。
「さて知りぬ 祭る幸魂(さきたま)  
どこに住む」 「いや神(かみ)住(す)まず  
汝(なんじ)おば 青垣山(あおがきやま)に  
住(す)ませんと 宮造(みやづく)りして  
そこにあれ 子(こ)無(な)きがゆえに 第5代大物主の蕗根命(大己貴命)が三輪山の祭神になる。
第5代大物主の蕗根命は、大己貴命とも尊称されている。
奈良県桜井市三輪の大神神社は大物主大神を主神とし、大己貴神、少彦名神を配祀している。
乱(みだ)るるぞ 事代主(ことしろぬし)が  
兄弟(ゑと)の子(こ)の 櫛甕玉(くしみかたま)お  
請(こ)い受(う)けて 嗣(つぎ)となすべし」  
御教(みおし)ゑに 三諸(みもろ)のそばに  
殿(との)なして 請(こ)えば賜(たま)はる  
儲(もふ)けの子 櫛甕玉命(くしみかたま)と  奈良県桜井市三輪の大神神社は大物主大神を主神とし、大己貴神、少彦名神を配祀している。31紋に「鰐彦命(わにひこ)までが、三輪の神」〔31-16〕とあるから、櫛甕玉命(くしみかたま)が祭神に加わってよいはずだがみえない。
 第5代大物主の蕗根命が「日向神」と呼ばれた可能性があることは指摘した。
 三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)の祭神が「日向御子神」である点から、「日向御子神」とは「第6代大物主の櫛甕玉命」の可能性も排除でない。「第6代大物主の櫛甕玉命」が「櫻井市三輪字御子ノ森」にお住まいになられて、「日向御子神」として祭られた可能性がある。
 あくまでも『秀真伝(ほつまつたゑ)』を主流においた解釈である。
 大三輪神社の摂社神坐日向社が「第6代大物主の櫛甕玉命」が住まわれた土地だとすると、住所の「奈良県櫻井市三輪字御子ノ森」の「御子」とは、日向神の「御子」という意味を持ち合わせてくるだろう。
 しかし、摂社の神坐日向社が櫛御方命(くしみなかた)を祭神とする。
 櫛御方命(くしみかた)と
 櫛甕玉命(くしみかた)では一字違うだけだ。
 一番最後の「」があるか、ないかで雰囲気が違ってくる。
若妻(わかづま)の 刺国若姫(さしくにわかひめ)  
諸(もろ)ともに 住(す)ませて主は  蕗根命(大己貴命)の幸御魂が、蕗根命(大己貴命)を青垣山へ招いてくれたので、若妻の 刺国若姫(さしくにわかひめ)と養子の櫛甕玉命(くしみかたま)を奈良県桜井市三輪の大神神社に住まわせて蕗根命は筑紫の統治に努めた。
 大三輪神社の摂社の神坐日向社は、櫛御方命(くしみなかた)を祭神とする。
 櫛御方命(くしみかた)と櫛甕玉命(くしみかた)では一字違うだけだ。
 一番最後の「」があるか、ないかで雰囲気が違ってくる。
筑紫(つくし)治(た)す 日(ひ)足(た)るのときは  
これお告(つ)ぐ 母子(ははこ)至(いた)れば  
遺(のこ)し言(ごと) 「この叢雲剣(むらくも)は 叢雲剣(むらくも)」は、第5代大物主の蕗根命(大己貴命と尊称)の手元に留め置かれていたようだ。
第6代大物主の櫛甕玉尊(鰐彦)に「神武天皇の誕生祝いとして奉げるように」と託した。
生(あ)れませる 御子(みこ)の祝(いわ)ひに 神武天皇の誕生に祝いの品として。
捧げよ」と いいてイモヲセ  
神(かみ)となる 夜須(やす)に納(おさ)めて 神武天皇が誕生する直前に、蕗根命(ふきね)と刺国若姫が夜須で神上がり御亡骸は夜須に納められた。
祭るのち 筑紫(つくし)雄鹿(をしか)の  
勅(みことのり) のちに櫛梨命(くしなし)  
神となる 母に請われて 香川県仲多度郡象郷村下櫛梨に櫛梨神社がある。
祭神は、神櫛皇子命となっている。
雄鹿(をしか)棄(す)つ 故(かれ)に筑紫(つくし)の  
御幸(みゆき)請(こ)ふ    

  【系図】子守神 → 神立命 → 蕗根命 → 櫛甕玉命

【系図】素戔嗚-奇杵命-奇彦命-子守神

  【系図】素戔嗚尊-奇杵命(大己貴命)-奇彦命(えびす顔)-子守神

【系図】素戔嗚-奇杵命-奇彦命-子守神

白兎神社と天穂日命神社の位置関係

白兎神社と天穂日命神社