月の光の歴史観|「月の光」

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 日本の聖地と伝えられている場所を、現在ある状態で正確に伝えるという構成をとっていません。
 『ひふみ神示』がいわんとする層、『竹内文献』関連の著作が伝える層、『秀真伝』が伝える層、各地に残る伝承や各神社の言い伝えの層、これらの層を同時に重ねて推理するとこんな風になるのではないか、という構成にしようと思っています。

 ですから、推理小説を読むように、フィクションとして取り扱ってください。

このサイトの歴史観

 武仁尊(神武天皇のこと)と天種子命に、鵜葺草葺不合尊よりの勅があった。

 その中の一文。

「武仁(神武天皇のこと)、天種子よ、しかと聞くがよい。わたしはつくづく考えてみるに、民の御食はその回数と量が増え、性格も生まれつき小賢しく、寿命も千歳から百歳と減ってしまって、わたしが80万歳生きたことも、民が百歳しか生きないことも、世の民はおなじことであるかのように考えておる。」

『完訳 秀真伝』(鳥居 礼 編著、八幡書店刊))下巻 170ページより

「神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふよりほかに道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。」

『ひふみ神示』(岡本天明著、発行元コスモテン・パブリケーション、発売元太陽出版)下巻216ページ

 上の『秀真伝』と『ひふみ神示』の引用文から、かつては「神人(かみひと)」という方たちが存在し民を導き暮らされていたこと、そして「神人(かみひと)」の寿命は長かった事が伺われます。けれど、世の中の曇りのため神武天皇が人皇として立たざるをえなくなった時の岩戸しめで「神人(かみひと)」の長寿の源泉も閉ざされ、急激に寿命が短くなったようです。
 しかしながら『古事記』第21代雄略天皇(456年12月25日 - 479年9月8日)の項に、一言主神に関する記述(雄略天皇4年)があることは、神武天皇によって岩戸が閉められてからも「わずかながらもマコトの神道の光」(五十黙示録 第二巻 碧玉の巻 第十帖)が残っていたことが示されていると思います。
 上の脈絡から『秀真伝』を記述した太田種子が、『秀真伝』を上奏したときに200歳を超えて生きたという『秀真伝』の記述は信じるべき記述だと私は考えていますし、『秀真伝』上奏後、300歳を越えて生存していた可能性も否定できないだろうと考えています。ですから、太田種子の説話は、紀元前のことでもあるし2世紀・3世紀のことでもありえるというのが真実なのではないかと思います。
 同じく、武内宿禰が300歳を超えて生きていたという計算(『日本の神様辞典』川口謙二編著、柏書房刊、154ページ)も誇張した表現でははく真実だとわたしは考えています。
 仏教の渡来とともに「神人(かみひと)」の寿命は、さらに短くなり現在のような状況になったのでしょう。短くなってしまった人の寿命を前提にして考えるから、200歳や300歳という寿命が信じられなくなるのです。ましてや万年の寿命を信じろというほうが無理があるでしょうが、神人の時代には『秀真伝』がいうように万年単位の寿命が当たり前だったのかもしれません。
 今の世では、かつての「神人(かみひと)」の系図を引かれる方たちは、世の隅に落っこちていて、ご苦労されているのかもしれません。

(※)『書紀』の記述による太田田根子

 そして第10代崇神天皇7年(前91年8月に倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさじはらまくはしひめ)と穂積臣の遠祖大水口宿禰(とほおやおおみくちのすくね)と伊勢麻績君(いせのおみのきみ)の三人が同じ夢を見た。

「太田田根子に大物主を祭らせ、市磯長尾市(いちしのながおち)に倭大国魂神を祭らせれば天下太平となる」
とのことであった。

 それで天皇は喜んで確信して太田田根子を茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえむら)に探し出した。
 天皇自ら諸侯を率いて神浅茅原に赴いて
 「おまえはだれの子か」  と太田田根子に問うた。

「父は大物主大神、母は活玉依媛(いくたまよりひめ)、陶津耳(すえつみみ)の女(むすめ)、あるいは奇日方天日方武茅渟祇(くしひかたあまつひかたたけちぬつみ)の女なり」
とかれは返答した。

 そこで、太田田根子に御諸山で大三輪の大神(大物主)を祭らせ、長尾市(ながおち)には現在の奈良県天理市新泉町星山 大和神社(おおやまとじんじゃ)祭神「日本大國魂大神、八千戈大神、御年大神」に倭大国魂神を祭らせた。

(※)武内宿禰(たけうちのすくね)

武内宿禰【西暦75年(景行天皇5年)?月?日 - 367年(仁徳天皇55年)4月?日】
(※)成務天皇と同じ年に生まれている。

第9代開化天皇(紀元前158年11月12日 - 紀元前98年4月9日)
第10代崇神天皇(紀元前97年2月17日 - 紀元前29年1月9日)
第11代垂仁天皇((紀元前69年1月26日 - 紀元後70年8月8日)

第12代景行天皇(71年8月24日 - 130年12月24日)
第13代成務天皇(131年2月18日 - 190年7月30日)
第14代仲哀天皇(192年2月11日 - 200年3月8日)
   神功皇后【170年(成務40年) - 269年6月3日(神功69年4月17日)】
第15代応神天皇(201年1月5日 - 310年3月31日)
第16代仁徳天皇【257年(神功皇后摂政57年) - 399年2月7日(仁徳天皇87年1月16日)】