参拝履歴
訪問日:平成7(1995)年11月1日(水)
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拝殿
ご祭神
和久産巣日神(稚産霊命とも書く)(わくむすびのかみ)
●伊勢外宮豊受大神の親神
●伊勢内宮天照大神の妹神
●香取神宮経津主大神 弟神
本殿
摂社の天之日津久神社
本殿向かって右奥に摂社『天之日津久神社』という小さな社がある。
昭和19(1944)年6月10日に岡本天明がこの社に参拝に来て、社務所で休んでいるとき、『日月神示(ひふみ神示)』の自動書記が始まった。
至恩郷(三重県菰野郡菰野町)に祀られている月の宮(我家の記念写真です恐縮ですが)は、平成6年11月11日の麻賀多神社(成田市台方)の祭典に使用した廃材を頂戴し、それを材料に平成7年8月6日に落成した第二神殿のことです。
ちなみに平成10年3月23日午前11時5分、ある方が至恩郷に訪ねて来られ敷地に足を踏み入れようとすると、敷地を掃除していたお手伝いの青年の箒の先から火が走り、日の宮、天明画室、道場が全焼してしまったそうです。
しかし、この麻賀多神社からの廃材で建てられた月の宮(平成7年8月6日落成)だけが消失から免れています。
(この注は平成16年5月私が記す)
昭和19(1944)年6月10日に岡本天明がこの社に参拝に来て、社務所で休んでいるとき、『日月神示(ひふみ神示)』の自動書記が始まった。
至恩郷(三重県菰野郡菰野町)に祀られている月の宮(我家の記念写真です恐縮ですが)は、平成6年11月11日の麻賀多神社(成田市台方)の祭典に使用した廃材を頂戴し、それを材料に平成7年8月6日に落成した第二神殿のことです。
ちなみに平成10年3月23日午前11時5分、ある方が至恩郷に訪ねて来られ敷地に足を踏み入れようとすると、敷地を掃除していたお手伝いの青年の箒の先から火が走り、日の宮、天明画室、道場が全焼してしまったそうです。
しかし、この麻賀多神社からの廃材で建てられた月の宮(平成7年8月6日落成)だけが消失から免れています。
(この注は平成16年5月私が記す)
東日本一と云われる大杉(御神木)
今から約千三百七十年前(聖徳太子時代)現在の稷山に新たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と称された、此の大杉は其の当時に植えられたもので太さ八m高さ四十m餘りで其のお姿は誠に威容其のものであります
正に東日本一と云われる此の大杉(御神木)は遠い遠い昔の日本の歴史を物語ると共にかつ多くの伝説を秘めた此の年輪の雄大さは千古不動の御神威と御神徳が示されて居ります
今日では特に不老長寿祈願の御神木として崇拝され昔から多くの祈願が行なわれ大願成就前には稍えより霊光が輝き神のお告げがあると云い傳へられて居ります
正に東日本一と云われる此の大杉(御神木)は遠い遠い昔の日本の歴史を物語ると共にかつ多くの伝説を秘めた此の年輪の雄大さは千古不動の御神威と御神徳が示されて居ります
今日では特に不老長寿祈願の御神木として崇拝され昔から多くの祈願が行なわれ大願成就前には稍えより霊光が輝き神のお告げがあると云い傳へられて居ります
大杉前案内板より
天之日津久神社|東日本一と云われる大杉(御神木)
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